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榊原研究室  作者: 青砥緑
第五章 冬
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もう一つの封印-1

 学生達が帰って行った後、リビングには猿君と克也だけが残っていた。


 片付けを続ける吉野をキッチンに残して榊原教授と山城夫妻はダイニングテーブルについてお茶を飲んでいた。今日の招待のお礼を榊原教授が述べると、山城和男は頭を振った。

「いや、こうして克也が無事に16歳を迎えられたのも、皆さんのおかげですから。」

 そう言われた榊原教授が笑顔で和男と乙女に問いかけた。

「16歳の約束について、お二人は江藤幸助から聞いていますか?」

 和男は「何かあるんですか?」と不思議そうに問い返した。榊原教授は無言で自分をみつめている乙女の方に目を合せた。

「ああ、やはり一人で苦しまれたのですね。」

 その榊原教授の言葉を聞いて、和男は自分の妻が何か知っているらしいと察した。

「乙女?」

 問いかけても乙女は思いつめた表情で教授を見つめたままで、和男を振り返らない。

「幸助さんは、教授にはなんと?」

「その伝言は、克也君への私からの誕生日プレゼントなので。これから伝えたいと思います。ご一緒に、どうぞ。」

 榊原教授はそう答えてリビングへ戻って行った。克也は移動してきた榊原教授と山城夫妻を見て猿君との会話を中断して向き直った。

「江藤君、私からの誕生日プレゼントを。」

 榊原教授は克也にちょっとウィンクした。

「君のおじいさんから言付けだ。君への16歳の誕生日プレゼントには鍵がかかっている。鍵はお母さんが持っているそうだよ。」

 榊原教授の後ろで聞いていた乙女は青い顔で克也を見守っている。和男は隣の妻の様子が尋常でないことに気がついたが声をかけることが憚られた。ただそっと背に手を当てて支えるようにすると、その背が緊張に強張っていることが良く分かった。

「榊原教授、お母さんから受け取るって、克也のお母さんはもう・・・。」

 猿君が気がかりそうにじっと教授を見つめる克也の様子を窺いながら声をかける。

 克也は猿君の言葉が聞こえないように乙女の方へ顔を向けた。


「乙女さん、鍵をください。」


 猿君も和男も驚いて乙女の方を見た。確かに里親である乙女も克也のお母さんといえば言えなくはない。そういう呼び名を使っていないのですっかり頭から抜け落ちていた。克也の母親と言えば無条件に江藤緑だと思っていた。

 乙女は克也を見つめたまま唇を噛んでいたが、ゆっくりと口を開いた。

「克也、本当にそれがいるの?」

 克也は決然とした表情で口を開いた。瞳にはこれまで見たことが無いほど強い決意が漲っていた。

「僕の記憶を、僕は全部取り戻したい。」

 二人はしばらく見つめあっていた。乙女は克也の意思が揺るがないのを見ると榊原教授を見やったが、教授はイエスともノーとも示さない。江藤幸助が最後の鍵を託したのは乙女だ。決めるのは乙女だ。

 乙女が江藤幸助から遺言として、この話を聞いた時点で彼はすでに克也の父親に関する記憶を封印させていた。その封印そのものを「扉」と例えた。克也の頭の中で大きな扉を閉めてある。それを開くと克也は幼い時の記憶を取り戻すだろう。その中に、江藤友助が施したもう一つの記憶の封印がある。それを開けるには鍵が必要だ。鍵は既に克也の記憶の中にある。乙女に言い遺されたものも、それに克也が辿りつくためのヒントでしかなかった。それでも16歳になるまでは絶対に教えるなという条件付きだった。さらに、和男まで含めて誰にも伝えてはいけないし、書き残してもいけないとも言い渡されていた。

 克也の望む人生を歩ませてやりたい。和男と乙女のそしておそらく江藤幸助の共通した願いだ。江藤幸助は友助の残した記憶の内容をおぼろげに理解していた。それは決して何かの間違いなどで幼い克也が思い出してよいものではなかった。だが、克也が望むなら、手にすべきものでもあった。彼の背負う重荷が克也自身を押しつぶしてしまうのではないかと心配していたが、克也自身が背負いたいというなら、それを取り上げることはできない。元々これは克也のものだ。そう思ったからこそ、江藤幸助は克也から一度は奪った記憶と、息子が残した記憶にたどり着く鍵を慎重に信頼のおけるものに遺したのだ。


 乙女は深く息を吸うと、じっと克也を見つめて問いかけた。

「克也、本当のお母さんの名前を覚えている?」

 この質問そのものが、キーワードだった。克也は迷わず口を開いた。

「みどり」

 そう言った途端に霧のかかったような映像が頭に浮かんできた。ゆっくりとはっきりしてくる記憶。ノゾミの記憶を取り戻した時のような乱暴な奔流はない。靄が朝日に溶けて行くようにゆっくりと穏やかに蘇る記憶。父の声。自信に溢れ、堂々とした口調。初めてみる曇りのない父の笑顔。

「いいか、ノゾミ。お前はこれからお父さんとお母さんが一生かけて調べてきたものを受け取る。でも、今はまだ難しすぎる。いつか、そうだな、16歳になったら思い出して、この続きを考えてほしい。思い出したくなったら、「緑」と言うんだ。お母さんの名前だ。そしてお前だけの魔法の呪文だよ。」

 恐ろしく単純な鍵だった。しかし、妻の名である緑は友助が彼女を初めて見た日に一緒に網膜に焼き付けた色でもあった。友助にとってこれ以上に大事な言葉はなかったのだ。


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