表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
榊原研究室  作者: 青砥緑
第五章 冬
113/121

遺言-2

 榊原教授の言う通り、克也は祖父と教授の会話を全て聞いており、かつ、それを記憶していた。今ならばそれを全て思い出すこともできる。


「はい。覚えています。僕の記憶のパスワードはノゾミだった。」

 克也は大して意識せずにその単語を発した。1か月前は恐ろしく感じた言葉だが、自分の記憶管理の仕組みを思い出せば、もうその言葉が自分に悪さをしないことは理解できた。

「そうだ。それが私が君のおじいさんから受け取った遺言だ。君が16歳になったときに家族の記憶と向き合うのに十分なだけ心も成長していたら、ノゾミという言葉と閉じられている記憶を思い出していいんだということを説明する。これが私の役割だったわけだ。不幸な偶然で、君は16歳の誕生日を待たずしてそれを思い出してしまったわけだけどね。私は今でもあの高熱は薬物だけでなく、意図されなかった方法で記憶を解放したせいではないかと思っているよ。16歳というのは幸助がつけた期限だ。君の父親と過ごした期間の記憶は幼い子供に残しておくには過酷過ぎた。でも父親は父親だ。永久に忘れさせても君のためにならない。だから、君が自分の父親のことを思い出しても受け止められるようになったら記憶を取り戻すようにと私に言い遺したわけだ。あの時期に、16歳という年齢を指定できたのは神業としかいいようがないが、今の江藤君をみると正しい予想だったようだね。」

 榊原教授はそこで一拍おいた。


「さて、これで私の役割の一つが終った。君に父親のことを思い出させ、そして受け入れられるまで見守ること。君が父親と過ごした日々を全て受け止められたとまでは楽観していないが、親との関係というのは誰だって長い時間をかけて乗り越える種類の問題だ。それに向き合う準備までできていれば私ができることはそう多くはない。私にはもう一つ、幸助からの遺言がある。もちろん君に関するものだ。まず、君はそれを聞きたいかどうか選ぶことができる。今聞かなくても、私が生きている限り、いつでも聞きに来てくれて構わない。江藤君、君はどうしたい?」

 克也は迷わなかった。

「今聞きます。」

 当たり前のことがいつまでも当たり前とは限らないということを、克也は研究室に入る前よりずっと深く心に刻んでいた。猿君も吉野も針生も、いつも通りの生活をしているときはずっと毎日、そんな日が続くと思っていたのに、突然に命を落とすかもしれない危機に巻き込まれた。不幸な想像だが、今日の帰り道で榊原教授が亡くなれば、生涯遺言を聞く機会はなくなってしまう。それが起きないと断言することは誰にもできない。克也は機会を逃す気はなかった。


「よろしい。君の記憶の仕掛けは実はもう一つある。ノゾミというパスワードで開くフォルダの他に、もうひとつ、中身が見られないフォルダが残っているはずだ。こちらについては私はパスワードを持っていない。ただし、それを導くためのヒントだけもらっている。それが遺言だ。」

 克也は自分の頭の中を探ってみた。開かないフォルダはいくつかある。最上が海辺で言ったようにもう空っぽのものが多いのかもしれない。その中のどれかに中身が詰まっていると言うことになる。見てはみたいが前回のような乱暴な記憶の取り戻し方はしたくないな、と思う。

「遺言のヒントって何ですか。」

 克也が聞くと榊原教授はちょっと最上の方を見やった。最上はじっと見つめ返したが無言のままだ。

「本当はこれも、少なくとも16歳になった後で伝えろと言われているんだ。君の誕生日まであと半月ある。今、聞いておきたいかね?」

 克也はまた即答した。

「今、聞きたいです。」

 後ろで最上が深く頷いて満足げな顔をしたが、克也は気がつかなかった。

「では、そうしよう。ヒントはね『鍵はお母さんが持っている』だそうだ。このヒントから得られる鍵で閉じてある君の記憶はね、君のお父さんが残したものだ。君のお父さんが君をおじいさんに預ける前に封印した記憶だそうだ。それを、本当に思い出したいと思ったらこのヒントについて、幸助が何か言っていなかったか良く思い出して御覧。」

 克也は困惑した。言葉通りなら記憶のパスワードを母が知っていたことになる。母は既に他界している。幸助が遺言した時点で亡くなっていたのだから母が持っているというのは比喩なのだろうか。困惑した表情の克也をみて、榊原教授もこのヒントだけでは克也は鍵を取り出せないのだと察した。魔法の呪文のように効くものではなかったらしい。

「君には助けてくれる仲間がたくさんいる。ゆっくり考えて、ゆっくり成長すればいい。閉じられている記憶を取り戻すかも含めて、じっくり考えてみることだ。」

 榊原教授がそう声をかけると、克也は煙に巻かれたような気分のまま頷いた。

「ありがとうございます。」

 克也はぽつりと礼を言った。

「おじいさんの遺言を覚えていて、教えてくれて。」

 榊原教授は「礼は既に幸助から受け取ってある」と返事をした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=880018301&size=200
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ