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榊原研究室  作者: 青砥緑
第五章 冬
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与えられるものと与えるもの-3

 犬丸は午後に出てきた。克也が声をかけてお礼を言うと複雑そうに俯いて眼鏡を磨きだした。

「克也は僕にお礼をいったらダメ。」

「でも」

 克也が口を挟もうとすると犬丸は「とにかくダメなの!」と言い張った。克也が困惑していると最上が助け船を出してくれた。

「克也、人は大人になりきれてないとこういう反応をするんだぞ。覚えとけ。人の感謝を受け入れられないのは自分に負い目があるからだ、な、犬丸。」

 犬丸は大変不満げだったが最上には答えずに「克也は何も気にしなくてもいいの。趣味だよ趣味。爆弾づくりも花火作りも皆趣味なの。」とフォローのつもりか早口で言葉を重ねた。それからチラリと克也の方を見てしゅんとしている克也に「ねえ、克也」と声をかけた。

「今のお礼、針生さんにも言うつもり?」

 克也はもちろんだと頷いた。

「じゃ、連れてってあげるよ。お礼のお礼に。」

 そこまで聞いた研究室の面々は「本当に犬丸は素直じゃない」と思ったが犬丸がへそを曲げると針生と克也が会えなくなるかもしれないので黙っておいた。

 榊原教授が出張だったので、今日学校で会える人は犬丸で全員だ。克也はお礼を言ってみても、自分のためにしてもらったことに対して何かを返せている気がしなくてなんだか落ち着かない気持ちだった。余りある皆の好意を受け止めきれなかったのだ。



 数日後の夕方、犬丸は約束通り針生のいる病院に克也を連れて行ってくれた。針生の顔を見るのは約1カ月ぶりになる。犬丸は勝手知ったる様子で針生の病室の扉を叩いた。

「はーい」

 知っている声で返事があったので、克也は驚いた。病室のドアを開けてくれたのは吉野だった。吉野に会うのも最後にお見舞いに行って以来半月ぶりになる。

「あら、克っちゃん。久しぶり。」

 その吉野の声で克也の存在を認識したらしい針生の声が聞こえた。

「克也?入ってきていいよ。」

 針生の声だけ聞けば以前と変わらない様子に克也は少し安心した。犬丸はさっさと病室に入り込み差し入れを吉野に手渡している。克也は吉野に促されて病室に入って行った。カーテンを通り越すとベッドに体を起こして背中を背もたれに預けている針生の姿が見えた。

 犬丸が髪を毎日剃れないと言っていたが、少なくとも今日はいつも通りの艶やかさだ。記憶の中と違っているのは元々痩せていたが、それより更にやせた顔と体。そして不健康に乾いた皮膚に転々と散らばるひっかき傷だった。克也は一瞬立ち止まって針生の様子をまじまじ見てしまった。それから失礼だったかと慌てたが、針生は気にした風もなくちょっと腕を伸ばして「そこ座ったら」と椅子を勧めてくれた。


「急に押しかけてごめんなさい」

 腰かけながら声をかけると、針生は口の端をあげて笑った。薄い唇の端が切れていて口を開けると痛そうだ。

「気の利いたことが言えるようになったな。ちゃんと勉強続けてるのか。」

 克也より前に犬丸が口を出した。

「針生さん、それ完全におやじのセリフですよ。何それ。どこで覚えるの。」

「うるせえな、お前は。少しは克也を見習え。押しかけ王が。」

 針生は文句を言うと咳払いをして眉を寄せた。ベッドの反対側で差し入れの中身を皿に移していた吉野が、すぐに水差しを手渡した。針生は水を含んで少し呼吸を落ちつけてから、吉野に礼を言って水差しを返した。


「で、今日はどうした。」

 針生はまるでこの1カ月がなかったかのように軽く問いかけてきた。知らない表現の意味を毎日のように聞いていた時と寸分たがわぬ様子だ。

「この間、猿君から誘拐事件の時に何があったか全部説明してもらって僕は何も知らないで皆にありがとうって言っていたけど、それじゃ全然足りないと思って。改めてお礼を言いに来ました。車のシートのことも、猿君に作ってくれた服のことも、病院で細野さんが来たときに守ってくれたことも、あの、ありがとうございました。」

 ここのところ、ずっとこんな調子なんだよ、と呆気にとられている針生と吉野に犬丸が解説する。

「克也」

 声をかけられて顔をあげると針生は少し怒ったような真剣な顔をしていた。

「最近まで、何も知らされてなかったのか。」

「はい。」

「訊いたのに教えてもらえなかったのか?」

 そう問われて、克也は首を横に振った。

「僕が聞かなかったから。猿君が自分から話してくれなければ知らないままだったです。」

 針生は「ああ」と慌てて克也を制した。

「悪い、お前を責めてるんじゃないんだ。自分から聞くのは勇気がいるだろう。俺はこんなだしな。問題は甘い顔をし過ぎの大人の方だ。」

 そういうと針生は手近にいた犬丸を一睨みした。

「どうして教えてやらなかったんだよ。話せることから少しずつでもいいから。何があったか分からなくて不安だったに決まってるだろうが。」

「えー、それ僕の責任?」

 犬丸は不満げだ。

「前回、何も知らされなかったら不安になるって山城さんに言ったのはその口だよ。忘れたか。まあ、たしかにお前というより榊原教授の責任だけどな。全く、あの人は。」

 針生は興奮し過ぎたのか、しばらく黙って息を整えていた。吉野が背中をさすってやろうとするのを片手で制する。


「ああ、わざわざ来てくれたのに悪いな克也。俺のことは気にし過ぎるな。周りのこともだ。もうあれから1カ月だぞ。違うこと考えてもいい頃だよ。お前、試しに今年の誕生日に何が欲しいか言ってみろ。」

 今度は少しゆっくりしたペースで話しかけた。最後の一言に克也は思わず吉野を見た。いたずらっぽく笑っている。

「え、克也誕生日いつなの?そういえば聞いたことない。」

 犬丸が食いついてきた。

「12月20日です。」

「えー、もうすぐじゃん。何で言わないの。なんで吉野さんは針生さんにだけ教えるの。もうみんな水臭いなあ。」

「俺も今日聞いたんだよ。」

 犬丸を黙らせようと針生が睨むが、犬丸は意に介さない。

「とにかくパーティーするよ。針生さんそれまでに退院してよ。」

 針生はうるさそうにしっしと手を振った。

「無理に決まってんだろうが。それより克也に喋らせろよ。」

 犬丸が期待をこめて振り返る。

「ええと、特に何も。」

 克也がそういうと、三人は盛大にため息をついた。

「克也、宿題。誕生日に欲しいもの考えといて。」

 犬丸に指を突きつけて宣言され、克也はこっくり頷いた。

「克っちゃん、食べたいものも考えておいて。克っちゃんの誕生日には絶対ご飯作りにいくからね。」

 吉野はもうだいぶ調子は良いようであざも包帯も目につく限りは見当たらない。まだぎこちない動作もあるし何より包帯が取れた後の肌は火傷の痕だらけだが本人も針生と犬丸も気にした風はない。克也の誕生日は吉野の職場復帰予定より少し早いが駆けつけてくれると聞いて克也は慌てて去年までの誕生日に食べさせてもらった食事を思い出した。

「僕は吉野さんのハンバーグが食べたい。」

 そういうと吉野は体ごと振りかえると座ったままの克也を思い切り抱きしめた。ハンバーグは吉野が初めて克也に作ってあげたメニューだ。二人とも、そのことを覚えている。吉野は胸にこみ上げるものを堪えて務めていつも通りに返事をした。

「じゃあ、ハンバーグにしましょうね。乙女さんに話しておかなきゃね。」

 とぎゅうぎゅう抱きしめながら言うので克也は碌に返事もできなかった。

「おとといだったかなあ、克也がお礼行脚したらみんな喜んじゃって黒峰さんにキスされて赤桐さんには抱きつかれたらしいよ。ついでに大木にも。」

 どこから聞きつけたか犬丸が報告すると針生は「ふうん」とちょっとものいいたげな顔をしたがそれ以上言わなかった。


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