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榊原研究室  作者: 青砥緑
第五章 冬
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与えられるものと与えるもの-1

 猿君が最上の言葉を反復しながら克也になんと切り出そうかと悩んでいる内に山城家は夕飯時を迎えていた。いつも通りの夕食の席で、今日の出来事を話す克也と嬉しそうに報告を聞く乙女を見ながら、猿君はふと、この親子も誘拐事件の話をしていないことに気が付いた。あれほどの大きな事件があって、まだ家族同様に暮らしていた吉野が戻って来ていないのに事件についても、それと切り離せない克也の父親についても山城夫妻と克也が本気で話しあっているのを見たことがなかった。これが同居を始めてからずっと感じていた違和感かもしれない。山城夫妻は克也を溺愛しているが、どこか他人行儀なところがあってツケツケと克也の心の中に踏み入ろうとしない。それは優しさのように見えていたが、見方を変えれば心が触れ合っていないようにも見えた。


 克也はもう発生から1カ月が経つ誘拐事件について誰とも真剣に話し合っていない。そう気がつけば、一日も先延ばしにせずに話すべきだと思えてならなかった。夕食が終るのをソワソワしながら待って、かわるがわるシャワーを浴びると、克也と今は猿君の共同の部屋になっている寝室へ戻った。

 ベッドに転がる克也に向かって意を決して話しかける。

「克也」

「何?」

「どうしても話しておきたいことがある。」

 猿君が自分の布団の上に座って改まった様子でいるので克也もつられて起き上がった。

「うん。」

「四方田と、それから細野の事件。あれはどっちも何にも克也のせいじゃないからな。」

 猿君が唐突にそういうと、克也はきょとんと猿君を見返した。きちんと乾かした黒い髪に相変わらず黒くて丸い瞳。

「どうしたの。急に。」

「そろそろ話していい頃だと思って。」

 猿君は最上の言葉をそのまま借りた。

「克也は、誘拐されたときに何があって、どうやって助けられたか訊いた?」

 克也は首を横に振った。

「細野が病院に来た時のことは?」

 もう一度首を横に振る。

「みんなが助けてくれたのは知ってるけど、誰がいつどうやって助けてくれたのかは聞いてない。」

 猿君は自分の迂闊さに涙が出そうになった。それを知らないまま毎日研究室の中にいれば気になってストレスにもなるだろう。気になっても僕を助けるために何をしてくれましたかなどと自分から聞けるわけがない。榊原教授が学会と事件の収拾に多忙を極めたことも、いつもなら厳しい現実を突き付けようとする針生が不在であることも言い訳にならない。

「ごめん、克也。もっと早く話せば良かった。ちゃんと説明する。気になることがあったら、何でも聞いて。でも、聞きたくなかったらやめるし、途中から明日にしてもいいから。」


 猿君は訥々と知る限りの事件の流れと、一人ひとりの行動を説明した。1カ月経ってもきちんと覚えている。途中で克也が湯冷めしないようにと布団にもぐってみたら声が聞き取りにくくなったので、ちょっと狭いが猿君の布団に二人で潜り込んで話を続けた。

「榊原教授も、最上先生も、和おじさんも、乙女さんも、僕を助けてって言わなかったの?」

 克也は誰もが当たり前のように昼夜を問わずに克也の救出に当たったことに驚いたようだ。猿君にしてみれば当たり前のことだ。

「言わなかったよ。逆に最上先生は飛び出しそうな俺と赤桐さんを止めるのに必死だった。」

 そういうと克也はちょっと笑ったようだった。二人を必死で止める最上が目に浮かんだのだろう。当時は知らなくても1カ月の間に分かることもある。吉野の車が吹っ飛んだ経緯も研究室の中ではいつの間にか共有されていた。

「夏休みの間に爆弾も、特別なシートも、時計用のGPSも用意されてたんだ。」

 実際のところ大木も犬丸も針生も夏休みの殆どをこのために費やしていた。誰も何も教えてくれなかったけれども、そんなに早い時期から身の危険を察して力を尽くしてくれていたということに克也はただただ驚いていた。一人ひとり誰に指示されるでもなく、誰に自慢するでもなく。そしてその全てが克也と吉野を救う役に立ってくれた。

 さらに黒峰が単身研究所に飛び込んで行った話も最上が研究所を駆け回った話も克也は知らされていなかった。克也を回収した赤桐がどれほど飛ばして病院へ駆けつけたかも。猿君が克也を抱いて3階から飛び降りたこともその日初めて話した。克也は途中から猿君の胸に顔を埋めてじっと聞いていた。乙女と和男が吉野と克也を案じて仕事も放り出してずっと病院に詰めていたことも、どれほど憔悴して心配していたかも説明した。猿君が思い出しうる限りを説明し終わっても、克也はしばらくじっとしていた。


 そして俯いたままぽつりとつぶやいた。

「僕は、どうしたらいいんだろう。」

「うん?」

「みんなに大事にしてもらって、とても嬉しい。でも何もできない。何も返せるものがない。」

 猿君は「うーん、そうだな」と考えた。

「何か返してほしいとは思っていないけど、克也もみんなを大事に思えばそれで十分なんじゃないか。今度のことだって、みんなできることをしただけだよ。もっと色んな事が出来れば克也は攫われなかったかもしれないし、吉野さんは怪我をしなかったかもしれないけど、そこまではできなかった。できることをしただけなんだよ。」

「それでも僕から返せるものはきっと足りない。」

 克也は納得しない。

「俺は大事な友達が元気でいてくれたらそれだけでいい。克也がもっと何かしたいって言うなら考えてくれてもいいけど、急がなくていいよ。ずっと先でもきっと一緒にいるよ。」

 猿君がそういうと、克也は猿君のTシャツを握りしめて頷いた。

「考えるから。ちゃんとお礼ができるまで待って。」

 猿君はにこっとして頷いて「じゃあ、楽しみにしとく。」というと克也の頭をガシガシなでた。

「明日皆にちゃんとお礼を言いなおそう。何も分かってなくて言った『ありがとう』はダメだよね。」

 克也がそういうので、猿君はちょっと難しい顔をしたが既に部屋が暗くしてあったので克也には分からなかった。

「みんな気にしてないと思うけど、でも克也が言いたいのなら言ったらいいよ。きっと喜ぶ。」

 克也は頷いて、その日はそのまま猿君の横で寝てしまった。寒いのに布団を奪い合うせいで猿君も克也も何度も目を覚ましたが朝まで同じ布団を取り合って寝た。


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