傷は癒える-2
針生と克也を除く研究室の面々が克也が誘拐された日以来初めて全員顔をそろえたのは病院の食堂だった。学食よりもっと色気もそっ気もない食堂で、程度の差はあれ一様に疲れた様子で昼食をとる。あらかた食事が済んで、お茶を飲みながらそれぞれが今後の付き添いプランや今日の着替えの心配をしていると榊原教授が声をかけた。
「まだ相応しいタイミングではないが、早く伝えたいので仮ということで聞いてほしい。まず今回の事件の主犯格の男は逮捕された。精神鑑定に回されることになりそうだから、罪に問えるかどうかは分からないが、とにかくもう次の襲撃はないはずだ。皆、よくやってくれた。本当にありがとう。大きな声では言えないことが多いから、詳しくは言わないが本当に良く頑張ってくれた。山城さんや江藤君本人、吉野さんからも繰り返しよろしく言付かっているし、君達自身も聞いていると思うが、私からも心から感謝している。」
榊原教授に手放しで感謝されて、赤桐と猿君は目を赤くして頷いた。
「別に教授のためじゃありませんよ。」
可愛くない学生はそう言ってラーメンの汁を飲もうとしたが「そうですよ。克也のためですし。」そう同意した可愛くない教職員に止められた。
「僕らの大事な弟分ですから」
大木はニコニコしている。大木にしてみれば後輩とはいえ猿君は弟分とはカウントし辛い。克也は彼にとっては唯一の貴重な弟分だ。
「そう言ってくれると嬉しいね。」
榊原教授も笑顔で頷いた。
「これから先は基本的に警察に預けることになる。警察の皆さんには協力的な態度で頼むよ。それから江藤君は今回の事件のショックが癒えるまで自宅療養とし、本人が帰ってきたいと思うまでは好きにしてもらう予定だ。山城さんもそのつもりということだから、皆も気長に待ってやってくれ。」
克也の場合、もう十分時間は稼いであるのだからあと5年くらい休んでもどうってことはない。人並みの年齢で大学に帰ってくるだけだ。そう犬丸が言うと、お前は5年も研究室に残るのかと最上が嫌そうな顔をした。それに答えて犬丸はクマの消えない顔に不敵な笑顔を浮かべた。
「残りませんよ。僕、就職しますから。来年はドク論書きますよ。」
突然の卒業宣言に一同呆気にとられたが、毎日ふざけているようでも実績的にドクターに一番近いのは実は犬丸であったことを思いだした。
「どこに就職予定かを聞きだす楽しみは針生に取っておいてやるか。」
最上はそういうと大きく反り返った。背骨が大きな音を立てている。
「その針生君だが、もう聞いている人も多いと思うが長期の療養が必要だ。幸い御家族が東京の方なので面倒をみるとおっしゃっているが、出来る限り協力してほしい。」
全員が無論と頷いた。榊原教授は良いチームが育ったものだと目を細めて一同を見やった。
「最上君は来週から勤務に戻れるかね。」
榊原教授が訊くと、最上はちょっと悩んで「うーん」と唸った。
「戻れますけどね、学生がいなかったらあんまり意味ないですよ。」
そう言って教授と準教授に見渡された面々は思い思いに目を逸らした。
「黒峰、来週からこいつらの卒業と進級の計画を練ろう。全員呼び出しがかかったら出頭すること、いいな。」
最上が号令をかけると思わぬところから反撃された。
「最上先生、私来週あまり時間取れませんけど。」
「げ。あ、そうか。そうだよな。すまん。忘れていた。いいや、俺が一人でやるわ。」
黒峰は今回の後始末で手いっぱいだ。貧乏くじはどっちだろうと最上と黒峰はそれぞれ心の中で相手と自分を比べてみる。
たった一週間の間で吹き飛んでしまったお気楽な空気を取り返すように、一同は軽口を叩きあって解散しそれぞれの生活へと帰っていった。
秋編終了しました!まだ病院から出られていない人もいますし、謎も多少残っていますが、とにかく悪い奴は捕まえました。やったー。