運動会をしよう-4
第二種目は何故か柔道だった。
「柔道って運動会の種目だったっけぇ?」
王道の運動会の競技も嫌いだが、柔道も決して好きではない犬丸はまた嫌そうな顔をしたが、次のセリフに黙らざるを得なかった。
「柔道には榊原教授も参加なさいます。」
要は、教授が参加可能な競技をいれたら柔道になってしまったということなのだ。いつのまに着替えたのか、白衣姿だった教授は作務衣姿で登場した。やる気満々である。
「柔道はトーナメント方式で行きます。くじを引いてください。」
榊原教授はシード枠確定なので、若者たちがあみだくじを引く。1回戦は克也と犬丸、2回戦は針生と猿君、3回戦は最上と大木に決まった。
「克也は柔道やったことあるか?」
猿君が声をかけると、克也は頷いた。
「高校の授業で何度かやったことがある。」
「そうか、受身は覚えてるか?」
「うん。」
猿君は、なら大丈夫だなと言って克也を送りだした。足元は柔らかい芝生なのでよっぽど酷い落ち方をしなければ怪我はしないだろう。この競技に限っては審判を榊原教授が行う。
「始め!」
いつもより遥かに張りのある声で試合を開始する。犬丸が克也のジャージの襟をつかむと、克也は高校時代の体育教師の説明を思い出しながら腕を払い、逆に犬丸のだれたTシャツの襟をつかむ。
「おお、いいぞ!がんばれ、克也!」
応援は克也一色である。
しばらく掴みあいが続いたが、子供のころに家で格闘技を散々仕込まれた犬丸がやや優勢になってきた。腐っても太っても極道の息子である。取っ組み合いの喧嘩もしたことのない少年に負けるわけにはいかない。ぜいぜい言いながら大外刈りを仕掛けると、克也はあっけなく芝生に倒れた。
「一本!」
スピード感のない試合だったが、二人とも赤い顔をしてふぅふぅ言って礼をした。
針生と猿君が試合は、あっという間に猿君が一本勝ちした。よそ見していた犬丸と克也は完全に見逃した。試合をしていた針生本人ですら、何が起きたのか把握しきれない内に芝に寝転んでいたのだから見逃しも仕方なかったかもしれない。
第3試合は最上と大木である。始まってしばらくは睨みあうばかりで両者手が出なかったが、最上が大きく一歩踏み込むと一気動き出した。投げの打ち合いかわし合いの末、大木が押さえこみにかかると、最上がひっくり返す。これぞ、柔道の試合という緊迫感に克也は釘づけになる。
「へえー、二人とも柔道やってたことあるんだねえ。ていうか有段?黒帯じゃない?」
犬丸は汗を拭き拭き二人を眺めている。体だけでなく目も肥えている。最上と大木が、相当に高いレベルで試合をしていることは分かった。
「榊原研究室に柔道有段者が3人もいるなんて、みんな知らないだろうねえ。」
「3人?もう一人は誰ですか?」
横で見入っていた克也が質問すると、犬丸は目で審判をしている榊原教授を示した。
「当然、榊原教授だよ。あの人、下手したら学校一強いよ。居合道、合気道、空手、柔道なんでもござれだよ。」
克也は元々丸い目を更に丸くした。あの仙人みたいなおじいさん然とした榊原教授が学校一強い武道家だとは夢にも思わなかった。
そうこうしているうちに大木が辛くも勝利を収めた。最上の髪が長い試合のおかげですっかり乱れている。面倒くさそうに髪をかきあげて大木を見やると「あと10歳若ければ俺が勝ってた」と負け惜しみを言う。
「先生がタバコ吸ってなければ、今でも危なかったですよ」
大木は朗らかだ。
2回戦は犬丸と猿君の試合から始まった。犬丸は先ほどの試合で全力を出し切って若布か昆布みたいになっていたので、またあっという間に猿君が勝った。この試合がさっさと終ってしまったおかげで、最上との長丁場から回復する時間が無かった大木と元気いっぱいの榊原教授の試合もあっさり決着がついた。
決勝戦は猿君対榊原教授である。
二人が向かい合うと、巨体のゴリアテと中国の仙人の試合のようである。猿君は小さすぎる相手に手を伸ばすのを躊躇った。力任せに放りだしたら骨が折れてしまいそうだ。老人の骨折は寝たきりの原因になることも多く大変よろしくない。一方、榊原教授は殺しても死ななそうな猿君相手なので遠慮会釈なく投げをかました。小さな仙人に巨大なゴリアテが放り出される。
ずしん、と重い音がしてしばらくしてから「一本」と最上の声がかかった。克也が手を叩いて歓声をあげる。克也の知りうる中で一番大きな人間をあんなに小さな老人が投げてしまうなんて、克也の榊原教授への尊敬の念は一気に膨らんだ。柔道の部、優勝は榊原教授である。次の会議の予定が詰まっていたため、試合後の礼をすると意気揚々と校舎へ戻って行った。
開始早々ファカルティー陣が二種目制覇するという大人気ない活躍をしたことが影響したのか、第三種目は勝敗のつかない組体操となった。しかし「このメンツでピラミッドとか無理でしょ。」と犬丸が断固拒否し、結局は猿君が克也を担いだり、放り投げて遊んだりして終了した。
お父さんに高い高いをしてもらった記憶もなく、大きな大人に体を張って遊んでもらったことのない克也には体を振りまわされるのはちょっと緊張する体験だった。しかし慣れてしまえば体や足が宙に浮く感覚が楽しくなってきて本当に子供のようにケラケラと笑いだした。一同はほのぼのと縮尺のおかしい親子ザルの戯れる図を眺めて、しばし心を癒した。
意外と皆腕っ節が強いです。