処刑された元公女ですが、逆行したら次期領主の従者をすることになりました
ハルトムートIf 美しき王~のリズ視点
カウチに寝そべっていたのは、同じ人間なのか疑わしいほどに美しい人物だった。やや薄暗い部屋の中で、淡い金色の髪が仄かに光っているかのように見える。柔らかく波打つ長い髪が、均整のとれた体の上を滝のように流れていた。気だるげに片手で髪をかきあげ、優しげな顔に見下すような表情を浮かべて、男は彼女を見る。
「俺に何か用か?」
直接の面識はなかったが、彼女はその男が何者か、確信があった。
「イリアステル公、領主としての務めをきちんと果たしてください!このままではこの土地は帝国に侵略されてしまいます!!」
「…はあ。態々こんなところに入り込んでまで言うことがそれか。道理で公国が滅びるわけだ」
「なっ…」
「己の望む結果にならねば、領主が仕事をしていないと見做すとは、随分高慢だな?あるいは碌な教育を受けていないのか」
男は彼女に侮蔑の視線を向けると、カウチの脇の小机に置かれていたベルを鳴らした。
「俺の命を狙って侵入してきた暗殺者だ。捕えて処刑にせよ」
「ちっ、違います!私は暗殺者などでは…!」
「軽い神輿を担がれても困るからな」
駆けつけてきた騎士が彼女を取り押さえる。男は興味を喪ったかのように彼女を一瞥もせず手元の書物に視線を落とした。
「侵入に内部から協力した者もいるはずだ。そちらも探して捕らえよ」
それが彼女の最後に聞いた男の言葉だった。
「っ――」
夢から醒めた彼女は勢いよくあたりを見回した。間違いなく彼女の今の自室…自分で眠りについたベッドの中である。夢の中と違って、まだ細く小さい自分の両腕が目に入った。激しく動悸を打つ心臓を押さえ、彼女は深く溜息をついた。
彼女はリズヴェッタ。かつてこの地にあったジンファデル公国の公女だった人間だ。彼女以外の大公家の人間は戦死か処刑されていて既にこの世にいない。
まだ物心つくかどうかという幼さだった彼女だけが、大公家の家臣の一つハインディア家に匿われ、分家の孤児ということにして養育されていた。大公家の血筋を現わすラピスラズリの瞳を持つ彼女は、目を見ればすぐ正体がバレてしまうために前髪を伸ばして目元を隠し、他者から隠すように囲われていた。
幼かったとはいえ、彼女も本当の家族のことを欠片も覚えていないわけではなく、己が危うい立場にあることを理解していた。だから半ば幽閉に近い生活に不満をこぼしたことはなかった。
「…酷い夢」
イリアステル公とは、大公家を滅ぼしこの地を治めることになった王国の公爵家である。より正確には、夢に出てきたのは王弟である現公爵ではなくその息子だろう。次期領主と目される公爵令息は類稀なる美貌の持ち主であると評判だった。
『――ただの夢ではないのよ』
「えっ」
鐘の音のように澄んだ声が響いて、彼女は反射的にそちらを見た。
そこには明らかに人ならざる存在がいた。しかし、悪しき者であるという気はしない。
「あなたは…?」
『吾はフラタニティ。この狭隘の地を見守る精霊よ。あなたの見た"夢"は吾の力によるものなのよ』
「何故、そんなことを?」
『このままだと、そうなるのよ』
「…えっ?」
『だから、処刑されたあなたの魂を、まだ取り返しのつく現在のあなたの魂に同期させたのよ』
「…私に何をせよというのですか?精霊様」
『この地と、麗しの君の運命を変えてほしいのよ』
「うるわしのきみ」
それがあの男のことだというのは言われずともわかった。寧ろ他にいるわけがない。精霊に個として認識され、目をかけられる人間など。
『吾は麾下には加わらなかったけれど、王国を興したあの男には一目置いていたのよ。まさか子孫が吾の膝元で生まれるとは思わなかったのよ』
「彼は建国王の生まれ変わり、なのですか?」
『そういうのではないのよ。他人の空似…いえ、単に子孫だから先祖そっくりな外見で生まれただけなのよ。…能力も受け継いでいるかもしれないけど』
つまり顔が好みだから麗しの君と言っているだけらしい。
「…彼は、私の家族の仇の子ですよ?何故私が、彼を助けなければならないのです」
『今この地で吾の言葉を正しく受け取れるのはあなたくらいしかいないのよ。それに、これはあなたの運命を変えることでもあるのよ?何もしなければあなたは死んでジンファデルの血は絶えるものなのよ?』
「それは…」
少なくとも夢と同じ道を選んで処刑されることは彼女にとっても不本意ではある。しかしそう簡単に納得は出来なかった。
「…ジンファデルの家が絶えるというのなら、そもそも何故あの戦争の時に助力していただけなかったのですか、精霊様」
『今回、あなたにした魂の同期は、吾の洗礼を受けている者にしか使えないのよ。あの時対象にできたのは、あなたの母親とあなただけ。でも、それでは何も変化させられないでしょう。そもそも吾への信仰を捨てようとしているものに手助けする必要を感じないのよね』
「あ…」
母が彼女に洗礼を受けさせた時、父親が無意味なことだと腐したことを覚えている。父が洗礼など不要と切り捨てていたため、兄たちは精霊の洗礼を受けていなかったのだ。
そして物心つくかどうかの幼子の訴えや、そのように軽視されていた母の言葉では父たちは戦争における動きを変えたりはしなかっただろう。時を遡ったところで、どうにもならないのだ。
「…父さまたちの、自業自得、だと?」
『精霊の力などいらないと宣ったのなら、困った時に精霊の力を頼れないのは当然なのよ』
正論である。
『魂を同期して不確かな知識を与えただけで放り出したりはしないのよ?吾の頼みを聞いてくれるのであれば必要な助力はするのよ』
「そう言われても、どうしたら…」
身元を隠すために精霊は彼女にまやかしをかけてくれた。久しぶりにちゃんと目元を出す髪型をして、服装もそこらの使用人の子供のものにした。
そうして領主館に潜入し、公爵令息を探す。領主館は多少の改築はされているものの、ジンファデル公が使っていたのと同じ建物である。彼女が暮らしていたのは物心つくかどうかの年までなので、案内がなくとも何処に何があるかわかる、とはいかないが、大まかな作り自体はわかる。
敷地内にはハインディア家の手配した下働きということにして入った。そして休憩時間になったところで、精霊の導きに従ってプライベートエリアに侵入した。
彼がいたのは、奇しくもあの夢で見たのと同じ部屋だった。
天使もかくやという美しい少年が、ソファにだらしなく座って本を読んでいた。特に楽しそうという風でもなく、寧ろ気だるげに、ぺらりぺらりと紙をめくっている。
「あんたみたいなのが本当に次期公爵で次期領主なの?」
彼女は自分を鼓舞するようにあえて憎まれ口で話しかけた。
「お前の言うちゃんとした領主とやらの振舞いを、お前自身が見本として俺に示して見せろ。俺にやれというからには、自分では出来ん、などとは言うまい?」
おそらく彼の思い付きで、彼女は従者として彼の傍で彼と同等の教育を受けることになった。ハインディア家から出て領主館の使用人棟で寝起きすることになった。また精霊のまやかしのお陰で男だと思われている。
ハインディア家の者には彼女の正体は恐らくバレているが。というか、バレていないとリズヴェッタが行方不明ということになって迷惑をかけてしまう。従者として暮らすことになったのは彼女にとっても予想外のことなので。
なんとか食らいつけてはいるものの、彼の受けている教育は全く楽なものではなかった。語学、魔術、地理に歴史。数学、経済、戦術に剣術。乗馬、芸術にダンス。およそ貴族に必要な技術学問の全てを網羅しようとしているが如く幅広い。こうして従者にならなければ、いや例え大公家が滅ぼされていなかったとしても、彼女が学ぶことはなかったであろう知識も多い。公女といえど末娘なら行きつく先は政略結婚だろうから、他家への嫁入りだ。領地の経営に必要な知識は浅く撫でる程度だろう。
またハインディア家に囲われてどう育てられるかといえば…まあ大差はない。寧ろそれよりランクが落ちる。結局は政治の駒だった。
涼しい顔で日々の勉強をこなす彼に彼女は敬意を覚えはじめていた。自分も同じことをさせられているのだから、どれだけ大変なことかはわかる。或いは彼にとっては彼女ほどには苦労することではないのかもしれないが。
「偉そうなことを言うだけあって、それなりにやるみたいだな」
「滅茶苦茶ハードすぎますけどね…」
彼女が食らいつけているのは、精霊の助力あってこそだ。夢の中で日々の教育の復習を受けている。おかげで元々彼の側近候補だった者たちのようにドロップアウトせず済んでいる。というか、他の側近たちは彼と全く同じ教育までは受けていないようだ。
「そうか?」
「そうですよ。息抜きの時間すらほとんどないじゃないですか」
「次期領主なのだからそんなものだろう」
「いや絶対無駄…というわけではないでしょうけど、詰め込みすぎですって。こんな生活続けたら壊れちゃいますよ」
「ン…」
彼は少し考えるような素振りをする。
「…まあ、確かに過剰ではあるだろうな。俺が両親のような愚昧になることを危惧してのことだろうとは思っていたが」
「自分の両親にすら容赦がない…」
「そう思うと何か腹が立ってきたな。教育係に文句をつけてくるか」
彼がその気になって動けば、すぐに教育カリキュラムは変更され余裕を持ったものになった。領主として必要な勉強は据え置きであるものの、全てを短期間で詰め込むのではなく、時間をかけることにした感じ。
もっとも、空き時間ができたからといって、彼は子供らしく遊ぶなんてことはしなかった。勉強のためではない読書が増えたり、庭を散歩したりするくらい。リズヴェッタより年下なのに彼には子供らしさが欠片もない。
ハルトムートは貴族学校には自宅から通えるイリアステル領内の学校に通ったが、高等学校は領内ではなく王都にある学校に通うことになった。ハルトムートが王都に行くのに、リズヴェッタもついていく。家名を名乗れないので、平民の特待生。ちゃんと正攻法で試験を突破している。学園のクラス分けは試験の成績で決まる。ハルトムートもリズヴェッタも当然のように最優秀クラスだった。
王都で滞在する場所は寮ではなく離宮である。公爵家の持ち物というか、正確には王弟であるハルトムートの父の持ち物だ。リズヴェッタにはタウンハウスなどないし、学生寮に入るのも問題があるので離宮の使用人部屋を使わせてもらうことになった。今まで通りといえば今まで通りだ。他の側近は普通にタウンハウスや寮から通う。
高等学校ともなれば、貴族であればそろそろ婚約者を決めなければならないということになるのだが、ハルトムートには婚約者が決まっていないどころか、候補すら碌にいなかった。ハルトムートは完全に拒否しているが、第三王女から求婚されているからだ。王女に対抗できる娘でなければ潰されかねない。
リズヴェッタはハルトムートが見た目通り優しい人間というわけではないことをよく知っている。なんなら家族より本性を知っているかもしれない。いやまあ、優しくはないが、冷酷というわけでもないのだが。
だから一周回ってこれだけ長年取り付く島もなく拒否されているのにハルトムートと結婚することを諦めていない第三王女の盲目っぷりはすごいと思う。不幸に邁進しているようにしか見えないのだが。
「本当に、しつこい…」
ハルトムートが憎々しげに見ているのは、王女からの逢瀬を求める手紙だ。王都に出てきてからというもの、二日と空けずに届いている。仮にも王族からの手紙を完全無視することもできないので、ハルトムートは毎度断りの手紙(というより最早メッセージカード)を返している。
とはいえ、全てを完全に拒否することはできない。王女の気まぐれで茶会に呼ばれた程度なら都合が悪いと空惚けることもできるが、そうできない用事もあるのだ。例えば王や王妃から直接に届いた招待状だとか。私的ではなく公的なパーティの誘いだとか。
今回の手紙には、王妃からの呼び出しが同封されていた。末娘に甘い母親が我儘を聞いてやった結果に相違ない。
先日も王女たちとの食事会に出席を求められたところだ。
「春迎えの宴に関しての話でしょうか」
「だろうな…。そもそも、婚約者のいない者ならエスコートしないという選択肢もあったはずなんだ、あの行事は。令嬢の方はエスコートする者がいないのは不名誉かもしれんがな」
そういう時は概ね親族の男性がエスコート役を務めることになるものである。まあ彼は王女と従姉妹関係にあるのでそちらにカウントすることもできなくはないのだが。
第三王女は確実に、彼からエスコートされることになればここぞとばかりに自分が彼の婚約者だという顔をするだろう。そんな状態で他の候補を探せるはずもない。だから拒否しているんだが。
「それにしても…ハルトムート様は何故そこまでマリリエッタ殿下に嫌悪感を向けているのですか?いえ、彼女があなたの眼鏡にかなわない相手なのは知っていますが」
「アイツが好きなのは俺の顔だけだからだ。辺境に嫁ぐ覚悟もない癖に纏わりついて、鬱陶しい」
皮肉の様に彼は吐き捨てる。王都とイリアステル領は大体急いでも馬車で片道一週間くらいはかかる。よく整備された道を選んで強行軍をしてこれなので頻繁に行き来するには向かない。急がなければ一月とか普通にかかる。
本当に国の端っこみたいな土地に行こうと思えば馬車で数か月かかるので"辺境"としては近い方だが、イリアステル領は他国と地続きに国境を接している土地なのである意味辺境呼ばわり自体は間違いでもない。
「その覚悟の無さを王妃殿下に突きつければ、諦めさせるか覚悟するよう叱りつけるかしてもらえませんかね」
「王妃がそんなことも把握していないと?……していない可能性もあるか…」
ハルトムートは深く溜息をついた。彼が無意識に"これくらいできるだろう"と思っているラインは大体結構高いのだ。指摘されれば考え直す程度には、自分が優秀な自覚があるので誰かが気付いて指摘すればどうにかなるが。
ちなみに王妃は貴族の内ではそれなりに優秀な方である。貴族全体の水準が彼の求めるラインより低いだけで。
「マリリエッタのエスコートをしてあげてくれないかしら」
「お断りします。アレの御守りをしていては俺の妻に相応しい令嬢がいるかどうか探せませんから」
「マリリエッタでは不足かしら。あんなにあなたを慕っているのに」
「全く足りませんね。そもそも我が領を碌に散策したこともない癖に田舎扱いするような娘を妻に迎えたくありません。俺に嫁ぐのであれば、人生の大半を我が領で過ごすことになることさえ理解していないでしょう。否、俺を王都に留めておけると思っているのか?」
ハルトムートは次期領主である。中央との折衝なども必要なので王都に出てくる必要もあるかもしれない。だが、領主夫人はどちらかといえば夫が領内外に出かけている時に屋敷を守ることも役目の内だ。社交界に顔を出す場合もあるが基本的には領地で過ごすことになる。
「それは、幼い頃の軽口ではなくて?」
「残念ながら、最近の手紙でも言ってきていますよ。"碌に面白いものもない辺境にいるより、王都に来た方が楽しいでしょう"、"田舎では王都の流行りも伝わっていないと聞くのでお裾分けを"、"華やかなもののない田舎より王都の社交界の方があなたに相応しい"などと…侮辱の心算なく言っているのであれば、その方が度し難い」
これが証拠です、とハルトムートは第三王女から届いた手紙の内の数枚を王妃に見せる。確かに王女の直筆のラブレターであることを確認して、王妃は僅かに眉根を寄せた。流石にそこまでとは思っていなかったらしい。
ちなみにイリアステル領の領都は王都とは方向性が違うだけで、"何もない田舎"ではない。寧ろ交通の要衝であるため、他国の流行りの品や新商品などがいち早く入ってくる土地である。文化資本はまだ整備中であるものの、商人が多く立ち寄る結果、活気は国内有数と言える。
「俺がマリリエッタを妻に迎えることは絶対にありません」
「努力の方向が間違っている、ということね」
「着飾って微笑んでいるだけで足るような嫁ぎ先を見繕ってやるべきでしょう。我が領にはそのような人形は要りませんが」
「考えておきましょう」
第三王女の件が一応片付いたかと思えば、別の問題が発覚した。
実家から春迎えの宴に同母妹を寄越すことはできないという手紙が届いたのだ。領内でも春迎えの宴は行うので、妹はそちらの仕切り役を務める、という話ではあった。
「また母上か…」
ハルトムートの母は実の娘であるレオノーラを人前に出せぬ不美人であると主張して、王都の社交界に出すことを強硬に反対している。おかげで彼女はシーズンでもイリアステル領から出たことがない。
実際の所、地味な格好をさせられているだけで、レオノーラは母に生き写しの美少女である。そして、母は自分に生き写しの娘がハルトより劣る美貌であると言われることをこそ嫌がっているのだった。美しい息子は自慢だが、自分の美貌を天秤に乗せられるのは嫌らしい。
実のところ、王都の社交界には顔を出したことがないから母の主張が通っているが、領内では普通にレオノーラは美しき公爵令嬢であると評判である。母の目の届かないところでは場に相応しい華やかな装いをさせているので。
今回の領内での宴は、母も同席することになるので地味な装いをさせられることになるかもしれないが。
「…仕方ない、リズ、エスコートされてくれ」
「ほ、本気だったんですか?私に女装させるって」
「ごつい側近どもを女装させるよりはマシだろう。…瞳に合わせるなら、ドレスの色は深い青あたりがいいか」
「そんな一日二日でドレスは作れるものでもないでしょう」
「オーダーメイドのものはな。既製品を手直しするのであれば、まあ二週間くらいで用意できるだろう」
ハルトムートはテキパキと"リズ"に女装させるための手配を始めた。
男として従者を務めているので、表向き慌てて見せたものの、内心彼女はドレスを着てエスコートされるというシチュエーションに惹かれるものを感じていた。彼女も年頃の乙女である。普段は男装しているものの、可愛らしい格好が嫌いというわけではない。
「…(あれ。瞳に合わせると青、って言った?フラタニティのまやかしって私の目が何色に見えてるんだろう)」
身元を隠すための偽装であるため、てっきり平民に多い茶色や焦茶色などの地味な色になっていると彼女は思っていた。そのような瞳の色に合わせて青いドレスを選ぶということはないだろう。
彼には自分の瞳がどう見えているか気になったものの、直接に聞けば不審な質問にしかならないので彼女は追求できなかった。
『レディの振舞いを身につけるのよ!』
「フラタニティ、とつぜん何?」
『エスコートされるからには麗しの君に恥をかかせない立派な淑女として振舞う義務があるのよ』
「今から頑張っても付け焼き刃にしかならないと思うけど…」
『今の所は宴の間だけ取り繕えれば十分なのよ。今更あなたに生粋の姫君のような優雅さが身につくとは思っていないのよ』
そのような感じで宴の当日まで夢の中でリズヴェッタは精霊から淑女らしい振舞いのレッスンを受けることになった。ダンスのステップやテーブルマナーなんかはきちんと学んでいるものの、彼女の受けた教育はあくまでハルトムートと同じ教育である。流石に淑女教育は含まれていない。
ダンスは男性パートと女性パートの両方を学んでいるけど。
「淑女って実は結構筋力がいるのでは」
『タイトなドレスでなければ足は見えないかもしれないけれど、脚を開くのを止めるのよ』
男性と女性では歩き方から立ち姿、礼の取り方まで相応しい振舞いは異なっている。男として振舞っている関係で彼女は男性的な仕草が身についていた。そもそも従者になる前もレディとしての作法を然程学んでいたわけではない。
「…ねぇ、フラタニティ」
『しごきの手を緩めるつもりはないのよ』
「いや、そういうんじゃなくて…いいの?」
『何がなのよ?』
「フラタニティって、ハルトムート様のことが好きなんじゃないの?」
彼女の問いかけに精霊はきょとんとしたようだった。
そして彼女の発言について考えるような沈黙の後に精霊は言う。
『愚かな質問なのよ。精霊は人間と違って番って子を作るような生態はしていないのよ。お前達の云う"恋心"のようなものが吾たちに生まれることはないのよ。仮に生まれたとしたらそれは異常の類なのよ』
「異常、って…」
『吾たちに他者を特別扱いする必要はないのよ。自分のあるべきようにあることこそが、吾たちのすべきことなのよ。吾を殺して他者のために尽くすとか、存在意義に悖る所業なのよ』
「そこまで言わなくていいと思うんだけど…」
『…それに、こんなに信仰心を喪ったみすぼらしい姿で麗しの君の前に姿を現わせないのよ』
リズヴェッタから見れば精霊の姿は初めて会った時から変わっていないように見える。或いはその時点で既に精霊信仰が力を喪い始めていたので全盛期には程遠い姿である、ということかもしれないが。
かの地の精霊信仰は完全に失われているわけではない。しかし領主が変わったことにより主流から外れてしまったのは確かだった。
「フラタニティ…」
『ほらほら、遊んでいる暇はないのよ。あなたは自習もしないとならないのよ』
「うっ、頑張ります…」
宴があるからといって日々の学習がなくなるわけではない。夢の中で過ごす時間は現実とは時間の流れ方が違うとはいえ、夢の中で過ごしすぎれば普通に寝坊することもある。過信は禁物だった。
ハルトムートが手配したドレスは、深い青色をベースに白いレースやリボンなどで落ち着いた優雅さを出したバッスルドレスだった。男に女装させる前提であるからか、肩幅や腕の太さなどがカバーできるようにふわっとしたシルエットになっている。まあリズヴェッタは正真正銘女だが。
靴はドレスの内側で見えないようになっているがしっかりしたヒールの付いたもの。髪はアップにして花飾りをつけている。また、喉仏隠しだろう、チョーカーもあった。化粧は変装のつもりでしっかりした。
全体的に大人しめのコーディネイトだが、リズヴェッタによく似合っていた。
「ふむ。まず服装が人を形作る、といったところか」
「それ、褒められてます…?」
「貶してはいない」
ハルトムートは微笑を浮かべて彼女に手を差し出す。
「さて、エスコートをさせていただこう、お嬢さん?」
「よろしくお願いいたします」
春迎えの宴の会場で一番目立っている…人目を引いている人間は間違いなくハルトムートだっただろう。何しろ美という概念を人の形にしたような美少年である。ただそこに立っているだけで周囲の視線を集めてしまう。
そんな彼にエスコートされている見知らぬ少女ということでリズヴェッタも少なからず視線を向けられている。十中八九、彼の婚約者候補なのではないかと思われていた。
一応精霊の特訓により淑女らしい振舞いを装うことはできるようになったものの、あまり自信があるわけでもないので彼女は基本的に黙って彼の傍で微笑んでいることにした。正式なパートナーとしているわけではないので彼の関係者として人脈を形成する必要があるわけでもないし。
ハルトムートがパーティの参加者と無難に挨拶を交わしていると、第三王女が声をかけてきた。
「ハルト様、私と踊りましょう?」
「パートナーを差し置いて他の娘と真っ先に踊るなんて非常識なことを俺がするわけがないだろう。そんな初歩のマナーすら覚えていないのか?」
「パートナー?…ああ、そちらの地味な女ですか?地味すぎてハルト様の隣に相応しくないものですから、パートナーだとは思いませんでしたわ。あなたも、私の方がハルト様に相応しいとわかるでしょう?」
明らかに敵意を向けられ、引き下がるわけにはいかないので彼女は優雅に微笑んで見せる。
「そう仰られても、ハルトムート様に選ばれたのは私ですから。彼の意向は無視できませんわ」
「何ですって…!」
いっそ見事なくらいに挑発に乗って眉を吊り上げる第三王女に、彼女は失笑しそうになるのを堪える。王女だというのに駆け引きも出来ないらしい。ハルトムートに論外扱いされるわけである。これは外交の場に出せない。
「…仕方ない。俺と踊ってくれるか?リジー嬢」
「ええ、ハルトムート様」
彼に手を取られてホールに出る。オーソドックスなワルツなので問題なく踊れるだろうと思われた。
中身を知っているとはいえ、童話の王子様のような美少年と美しいドレスを着て踊っているという状況に、彼女は高揚を抑えきれなかった。お姫様になったみたいだ、なんて口には出せないが。
なんとか平静を装って密談する。
「この後は王女と踊られるのですか?」
「避けられるのなら避けたいな。あるいは、踊るなら他の令嬢たちとも多数踊るか…」
ファーストダンスはリズだったとはいえ、特別扱いと取れるものがあれば王女はそれを材料にまた自分こそがハルトに相応しいと声高に喧伝するだろう。であれば、多数の少女たちと踊った内の一人が王女だったに過ぎないという方が彼としては望ましいといえるだろう。
一曲踊りきってホールから戻ると、彼は同年代の少女に手当たり次第ダンスの誘いをかけ始めた。リズは静かに会場の端によってそれを眺める。
どの少女も嬉しそうにはにかんで彼の手を取っているが、彼の方はさして心動かされているような様子はない。いつも通りの相手を静かに見通すような目で少女たちを見ている。
「壁の花になるのは勿体ないんじゃないか?お嬢さん」
「踊りたいのであれば他の方を誘ってください。私の役目はこれで大体終わりましたから」
声をかけてきたのはハルトムートの側近の一人である。ちなみに婚約者がいないタイプ。
本気で口説こうとしているのか、揶揄おうとしているだけなのか見極めようとする視線を彼女が向けると、少年は肩をすくめてみせた。
「ハルトムート様の連れなのは知ってるって」
「なら口説いても不毛なのもわかるでしょう。私はリズですよ」
「女の子だったら口説いてたんだけどなあ…」
「ハルトムート様に叱られますよ。女性問題は起こすなって」
「ちゃんと同じ温度感で遊んでくれる子としか遊んでないよ、俺は」
「それはそれでどうかと」
こうして会話をしていることで、他の人間が彼女に話しかけることを牽制しているんだということにふと気づき、軽薄ではあるが有能であることを再確認する。まあハルトムートが無能を側近に残しておくわけがないのだが。
「慣れないヒールで足痛めたりしてない?リジー嬢」
「そんなに柔ではありません。…ハルトムート様のように踊りまくったら途中でこけるかもしれませんけど」
「閣下マジですいすいヘンテコなこと真面目な顔でやるよなあ…」
「まあ…それがあの方の美徳、なのでは?」
優秀過ぎてナチュラルに他人を見下しているきらいがあるとはいえ、彼は自分がするべきことと定めたことにはいつも真摯に向き合っている。時々常人には理解できない論理の飛躍があったりもするが。
あの性格でハルトムートに敵がそこまで多くないのは、美貌にやられる人が多いからというだけではない。余程彼の美意識の上で許せないラインを侵さない限り、彼は誰に対しても平等に真摯なのだ。基本的に他人のことを愚かだと思っているけど。愚かだと思っているし、愚かだとは言うけれど。相手の訴えを戯言と軽く扱ったりしない。
高位貴族としての制約があるとはいえ、彼は己の手の届く範囲でなら困っている人間に手を差し伸べる。己の役目に対して真摯に務める人間には労いを忘れない。不正に依る利益を良しとしない。
彼本人の自認としては、己があるべきように振舞っているだけなのだろうけれど、それで救われる人間も確かにいるのだ。
「それにしても、閣下が見初めるような女の子ってこっちにいるのかな~。顔で選ぶことはないだろうけど、学園一の才女とか…否、閣下は略奪愛否定派だから婚約者持ちはそもそも選択肢に入ってないか」
「なんやかんやご両親のことがトラウマになってそうですしね」
ハルトムートの両親は若い内に婚約して情熱的に愛し合って結ばれた仲だが、父親が浮気して余所の女(複数)との間に子供を作った結果、母親も当てつけに家臣の男との間に子供を作っている。泥沼というか、愛憎混沌としている。何ならそのような経緯がありながらも離婚せず社交界では相思相愛夫婦と思われている事の方が怖い。
否、一面では確かに相思相愛夫婦のままなのだろうけども。
あと夫婦のどちらも既婚者とは浮気していない謎の倫理観(?)も傍から見てると怖い。
公爵家の継嗣としての資格を持っているのは確かに夫婦の子供であるハルトムートとレオノーラだけに限定されているが、どちらの浮気相手との子も引き取ってきちんとした教育を与えて庶子として育てているし。
あの息子にしてあの両親である。
「リジー嬢、踊らないなら帰るぞ」
「ハルトムート様、もうよろしいのですか?」
「義理は果たしたからな。俺はもうしばらく踊らん」
まあ同年代の少女たちと手当たり次第踊っていたら、踊るのが好きというのでなければ嫌になるだろう。彼は踊ることがそこまで好きというわけでもなかったらしい。
「良い子、いました?」
「誰も彼も似たようなものだったな」
側近の問いかけに彼は簡潔に返す。特にピンとくる相手はいなかったらしい。
「遊ぶのも程々にしておけよ、トリストラム」
「わかってますって」
側近の彼はもう少し残っているらしい。
彼は彼女の手を取って離宮への帰路についた。
一度ピンチヒッターとしてエスコートされたからといって、ハルトムートとリズの距離感や関係が変わるということもなく、学園生活に大きな変化はなかった。
流石に最優秀クラスに頭が足りない者はいないというのもあっただろう。やや不真面目な生活態度の者はいないこともないが、いずれも入学試験を優秀な成績で突破できるだけの実力の持ち主である。男も女も根が真面目な人物が多かった。
まあ別クラスの者たちの中には宴でハルトムートと踊ったことをきっかけに交流を持てないか、と近づこうとする者もいたが、ハルトムートは殊更取り合うことも拒絶することもなかった。そんなこともあったな、止まり。
平民の子である(ということになっている)リズが、他の貴族から嫌がらせを受けたりはしないか、といえば、公爵家の庇護下にあることが見てわかるので賢明なものは手出ししなかった。リズに限った話でなく、ハルトムートの側近として入学した者たちは皆揃いの、自分の家の家紋と公爵家の家紋の刺繍がされた布を身につけていた。面倒事を嫌ったハルトムートの手配によるものである。
基本的に側近たちはイリアステル領及びその周辺に住む貴族であるため、トラブルがあった時に家族の助力を得るのが難しい。社交界シーズン中であれば親が王都まで出てくることもあるかもしれないが…基本的に領地にいて直接介入は出来ない。まあそれは王都住み法服貴族などの例外を除く大体の貴族の子がそうなんだが。
「ああそうだ。リズ、トリストラム、ラファール、半年後から帝国に留学するから準備しておけよ」
「えっ」
「それはまた…急な話ですね」
「学園の子たちは見切りつけたんですね、閣下。編入試験とかはどうなるんです?」
「お前達ならどうとでもなるだろう。あちらの言葉も身についているはずだしな」
「僕とリズとトリスタンだけをご指名ということは、ユアンたちは連れていかないのですか?」
「婚約者持ちを遠方まで連れまわせんだろう。俺の都合で仲が拗れたら困る」
平民であるリズは勿論、彼の指名した二名は側近の中でも決まった婚約者のいない者である。本人に問題があるという訳ではなく、それぞれの家の事情というか、政情の関係だ。恐らく20までに政略で結婚相手が決まるだろうと思われる。まあ、それまでに大恋愛が発生する可能性もないわけではないのだが。
ついでにいえば、この二人に関してはハルトムートが婚約した場合の勢力図の調整弁という意図をもってわざと婚約が空白になっている家でもある。例えば何処かの侯爵令嬢と結ばれた場合はその近くから縁を結ぶとか。逆にそれで縁が薄くなりすぎそうな派閥との繋ぎを作るために縁を結ぶとか。その辺りは側近直接でなく兄弟やハルトムート自身の妹弟で縁付くという手もなくはないんだが。
まあ簡潔に言うとこの二人に婚約者が決まっていないのは八割ぐらい、ハルトムートの婚約が決まっていない所為である。彼もそれを理解しているので、嫁探しの意図を含む留学に同行させようとしているわけだ。
「俺が帝国貴族を見初めることになった場合、その友人を側近の家に迎える場合もあるかもしれないしな」
国内ならまだしも、他国に嫁ぐとなれば侍女使用人を連れてくるのも当然でも寂しさがあるだろう。共に他国に嫁ぐ同郷の者がいた方が心細さも紛れよう。まあいい感じの友好関係とか政略上の利点とかの調整ができたらにはなるが。
「まあそういうのもありますか」
「閣下が帝国の娘を見初めると決まったわけでもないですけどね。…否、閣下の今後を考えると帝国から妻を迎えるのは一つの手ですもんね。王都より近い地域もありますし」
なにしろイリアステル領は帝国と国境線を接している。結婚相手が見つからずとも全くの縁なく過ごせる可能性はゼロに近い。そもそも帝国は領土拡大に対する意欲が常にあり、他国の隙を虎視眈々狙っているとみられている。対応を疎かにすれば攻め入られかねない国である。
何なら旧ジンファデル公国は王国に攻めとられなければ帝国から攻め込まれていた可能性もある。そういう場所だ。
「場合によっては皇女も…いや、流石にそこまでいくと別の政治闘争に巻き込まれるから閣下は避けるか」
「手を出すだけの価値を感じる女と知り合えばそういうこともあるかもな。まあ、好んで選びはしない」
「帝国の継承権争いはまだ決定打がないらしいですしね…場合によっては我が国を下して手柄としようと考える皇子がいないとも限らない」
「その辺りの探りも入れる予定ではあるな。情報は集めておくに越したことはない」
なにしろ帝国が王国を攻めようと思えばイリアステル領を無視することはできない。自衛のためにも帝国の情報は常に集めておく必要がある。いざという時にイリアステル家がどう動くにしても。
「情報と言えば、知ってますか?閣下。最近のトレンドは"私にだけ甘い婚約者"らしいですよ」
「……恋愛小説の話か?」
「そうです!閣下も読むんですね、恋愛小説」
「いや、クラスメートの紹介でちらっと読んだことはあるが、俺は好まないし、そう数は読んでない。俺が読んだやつは好いた女に素直に好意を示せない男の話で…頭痛がしたよ」
「ハルトムート様にとても風評被害が起こりそうなやつですね」
もっとも、ハルトムートが塩対応をする相手は本当に彼が不快感を感じている相手である。友愛親愛を持っている相手には率直だし、何とも思っていない相手には一律で同じというか立場に合わせた対応しかしない。とても線引きがはっきりしている。
でなければ面倒事が増えるというのもあるのだろう。基本的に愛想があまり良くない今でこれなのだから、彼の愛想がよかった場合、これ以上に寄ってくる人間が増えるのは間違いない。
まあ現状でも「この人の良いところは俺が知っている…」という後方理解者面する側近がいっぱいいるんだが。
「まったくだ。この俺が、好いた女に素直に好意を告げないわけがないだろう。そもそも好意を告げることを躊躇う理由がない。他に好いた男がいるなら話は別だが、美貌も実力も地位も優れた男だぞ。余程ピーキーな好みをした女でなければ欲しがるものは大抵与えてやれる。大体、俺が惚れる女が他の男にも魅力的な女でないわけがないんだから、余所見をさせる隙を作れば余所に掻っ攫われるだろう」
「これと決めた女の子がいたら一日で落としそうですよね閣下は」
「一日もかからないでしょう、余程偏屈でない限り」
「でもお眼鏡にかなう相手がいないんですよね、今のところ」
側近的にはあの子いいんじゃね?と思う侯爵令嬢や伯爵令嬢がいないこともないのだが、ハルトムート本人は決定打にかけるらしく求婚に至ったことがない。だから何か本人はそもそも恋愛事に興味なさそうなのに積極的に嫁探しをしているという謎状態なのだが。
正直なところ、本人が美しすぎるのも悪いんじゃないかなあ、と側近たちは思っている。一般的な令嬢なら美しい容貌はセールスポイントの一つである。だが、彼にしてみれば「俺より美しいと皆に言われるようになってから美を誇れ」ということになるようで美しいだけの相手は候補に見ることもないようだ。いやまあ、そもそも彼が嫁に求めるものが実務能力というか自領を切り盛りする女主人としての能力だというのもあるんだろうが。
「俺はそう難しいことを言っているつもりはないんだがな」
「閣下の簡単は、本当に簡単な時と、一般貴族には難しいものの時があるんですよ」
「…リズにできるラインならそこまででもないだろう?」
「リズはリズで優秀なんですよ、閣下程ではないかもしれないですけど!」
「いや私も必死に努力してこなしてることの方が多いですね…」
「なんやかんや、総合的に見てハルトムート様付の者の中で一番優秀なのはリズということになるでしょうからね…忸怩たるところはありますが」
「一番得意な分野だとリズに勝てるって奴はいるけど、大体のことを平均以上にこなせるからな~リズは」
「……ハルトムート様の理想が高くなった一因はリズという優秀な他人の実例が傍にいるからでは?」
しかもリズは表向きには平民の出身ということになっている。一般的に、王国では平民に優秀な人間などいないという認識の貴族が多い。もしかすると学べば優秀な素質を見せる平民もいるかもしれないが、大半の平民はそもそも学びの機会を与えられないことの方が多いからだ。運良く見出されて学びを与えられる者もいるから一応特待生制度は平民でも適応されることになっているが。
「リズが女の子だったら…いや、流石に平民じゃ家臣団の説得がキツいか?」
「僕らはハルトムート様の審美眼を支持しますし、代替わりすればなんとかなりますけどね」
「…俺の妻に第一に求められることは健康な跡継ぎを産むことでもある。不要の仮定話をするな」
「あっはいそうですね」
「余所にいないでしょうしねえ、リズのような優秀な平民は。それこそいても囲い込まれてるでしょうし」
リズは気まずげに目を泳がせた。
ハルトムートが手配した留学先は帝国首都にある高等学校だった。つまり帝国にある高等学校の中でも特に名門で優秀な人間を広く集めている学校である。ハルトムートは涼しい顔で、同行三人はひいひい言いながら編入試験をそれなりに優秀な成績で突破した。万一誰もハルトムートと同じクラスにならなかったら困るので。
使用人や護衛も伴っての帝国留学とはいえ、学校の中まで護衛を連れて入れるとは限らない。側近が傍にいられない時間があるのは困るのだ。国内ではないから基本的に融通をきかせてもらえないと考えた方が良いし。
ハルトムートは王族に連なる次期領主であるため、危害を加えられることがあれば国際問題になりかねないとはいえ、そのような国際情勢を気にして行動する人間しかいないとは限らない。何ならハルトムートが誰かを知らずに無礼や暴行を行う人間がいないとも言い切れない。世界には信じられない愚か者もいるので。
「ハルトムート様と同じクラスに入れたのは良かったですが…思った以上に玉石混交ですね帝国は」
「寧ろ固まりすぎだと言われそうでもあるけどな。交流を望むならバラけて接点が増えるのにも利点があるし」
「選択授業というのもあるようですし、その時間は全員同じのを取るのではなく、多少ばらけたら良いのでは?」
「俺はそんなに子守りが必要に見えるのか?お前たち」
「閣下の護衛も俺たちの役目の内ですので」
「言っては何ですけど、王国内よりあしらい方に注意が必要ですよ。力関係も違いますし」
血の高貴さ、身分という点でいえばハルトムートは帝国に降っていない隣国の公爵子息(王弟子息)であるため間違いなく高位貴族として扱われるだろう。しかし、帝国は諸王を下して皇帝を頂きにおく国であるため、王より皇帝を上としている。皇太子が決まればそれは王と同格として帝国内で扱われる。まあ現在皇太子は空位らしいが、皇族で丁度同じ学校に通っている同年代の者もいるらしい。継承権のある皇族はハルトムートと同格かやや上くらいになるだろう。まあハルトムートは基本的にそこまで自らの権力を誇示しないのだが…。
「知っているか、ラファール。証拠も訴えもなければ事件は成立しない」
「確かにハルトムート様の美貌を前に文句を言える人間は稀でしたが」
美貌に圧倒されて押し切られたり、ぽーっとなって流してしまったり、なんやかんや。ハルトムート自身が自分の美貌を利用して不正をすることを好まないので積極的にやるということはあまりないが。
「そもそも俺は常識が備わっていないわけではない」
「備わっている上で無視することがあるタイプじゃないですかハルトムート様は」
ハルトムートの美貌は帝国においても大いに目立ったが、他に話題になるような生徒がいなかったわけではない。というか、前年度から有名な生徒たちがいた。
王国に比べて帝国は男女交際に対する縛りが緩い部分もあるのだが、一人の女子生徒を複数の男子生徒たちが堂々と囲っていたのである。ちなみに流石に帝国でもやや常識外れの振舞いになる。自由恋愛は咎められないとはいえ、父親のわからない子を産むようなことは忌まれるため。
話題の的の女子生徒は男爵令嬢であり、妖精のように愛らしいという美貌から、ややマナーに欠ける振舞いを目こぼしされ男子生徒にちやほやされていた。逆に女子生徒からは婚約者を持つ男子生徒にも適切な距離感を取ろうとしないということで反感を持たれている。陰で娼婦志望者ではないかと揶揄されるくらいだった。
「まあ、昨年度は見かけなかった顔だと思うのだけど、今年から編入していらしたの?」
と、女子生徒がいつもの調子でハルトムートに抱き着こうとしながら話しかけたところ、彼はそれを避けて眉根を寄せて言う。
「何だ、この躾のなっていない野良犬は。帝国には犬を躾せず放し飼いにする習慣があるのか?」
「なっ!?」
しっしっと女子生徒を手で追い払うような仕草をするハルトムートに女子生徒はショックを受けたような顔をして見せ、取り巻きの男子生徒の一人が憤慨した様子で彼に言う。
「ヴィオラを犬扱いするなんて!彼女の愛らしさがわからないのか?」
「愛らしい?…は。どう見ても俺の方が美しいだろう」
フ、と微笑して見せたハルトムートの美しさに、男子生徒も思わず見とれて、ぼーっとなってしまった。まあ帝国では宗教上の理由で同性愛がガチで忌まれているので、すぐに気を取り戻したんだが。
気を取り戻したものの、かの女子生徒よりも彼の方が美しいということに対して男子生徒が反論することはできなかった。事実だからである。確かに愛らしく整った顔の少女だが、美の概念を人の形にしたような彼の前ではそれも霞む。彼と親しく付き合うことがあれば、他の美少女が色あせて見えてしまうだろうほどに。
「そもそもお前も誰だ。名乗りもせず騒がしい。この国の程度も知れるな」
「まあ閣下の正体も察せない時点で下級貴族か、余程世界情勢に疎い者でしょうから…仕方がないのでは?」
「まあそうだな。いちいち相手をする価値もないか」
そもそも授業間の教室移動中だったこともあり、彼はさっさとその場を立ち去った。側近たちも何事もなかったかのように彼を追うが、一人が立ち止まって男子生徒に言う。
「閣下が彼女を犬扱いしたのはある意味で温情ですよ。国外とはいえ、王族に連なる方に突進してくる不審者など護衛に斬り捨てられて当然ですから。人の言葉もわからぬ犬であれば、仕方がないと見逃してやれますけど」
それだけ言って側近はさっさと彼を追いかけた。
目立つ者と目立つ者のやりとりであり、周囲に他の生徒もそれなりにいたこともあって、彼らのやり取りはすぐに生徒間に広まった。取り巻きでない生徒の中で女子生徒のあだ名が野良犬になったことはハルトムートのあずかり知らぬことである。そもそも興味もなければ名前も顔も記憶に残さなかったので。
「中々愉快なやり取りだったよ」
「…何だ、不躾に」
「おっと、失礼。俺はアルギール。この国の第四皇子だ。以後お見知りおきを、次期イリアステル公?」
「ハルトムートだ。同年代に皇族がいるとは聞いていたが、お前がそうか」
「異母妹も一人此処に通っているんだけどね。いや、実は話しかけられるきっかけがないかと窺っていたんだ。今のところ俺に与えられる予定の領地は王国寄りの国境沿いで、お互い領主になれば良い付き合いをできると助かる場所だから」
「成程?確かに領地が近い相手とは良好な関係を築いておくに越したことはないな」
そのような感じでハルトムートとアルギールの交流は始まり、徐々に親しく付き合うようになった。
彼にとってほぼ対等に近い相手というのは珍しいということもあっただろう。王国内のイリアステル領近辺には伯爵位以下の貴族しか住んでいない。侯爵以上の貴族は少し離れたところに領地があるので頻繁に行き来をするほど親しくしている家は殆どない。しいて言えば母の実家くらいか。
アルギールからしても皇位争いにならない同年代の高位貴族というのは貴重な相手だったろう。お互いに珍しい立ち位置の相手だった。しかも立場に相応の実力を備えている。繋がりをもって損のない相手である。
気安いやり取りのできる友人関係というだけに留まらず、外交の名目でハルトムートの帰国に合わせてアルギールも王国を訪れることになった。
「…何か第一王女殿下のアルギール様を見る目が怪訝しくなかったか?」
「…僕もなんか嫌な予感がする。確かにハルトムート様が気安く接する相手は稀ですけども」
王宮での外交のやり取りに同席した側近たちが控室でこっそりとそんなやりとりをする。いや流石に王太子ともあろう方が、他国の外交官に対して危害を加えるなんて、帝国との戦争を招きかねない軽挙に出ないとは思うけどね?でもハルトムート様は王族みんな愚昧扱いしてるんだよなあ。
正直なところ、王国と帝国のどちらが強いかと言えば、間違いなく帝国の方が軍事力が高いのだ。理由もなく挙兵すれば他国から非難されるので迂闊に攻めてこられないというだけで。寧ろ今代皇帝は理由があれば軽やかに、王国を蹂躙せしめんと侵攻してきかねないというのが帝国内での評判から推察される。次代がどうなるかはまだ不明だが、少なくとも今代は慎重に接しておくべき相手だ。
「帝国の第四皇子殿下ですっけ?ハルトムート様が離宮にお招きしたということは大層気が合ったんでしょうけど、どんな方なんです?」
「ん-…軽薄そうに見えて策謀はできるし、大胆な動きもできる。あとシスコン」
「やや間が悪そうな節はありますけど優秀な方だと思いますよ。あとシスコン」
「どうあがいてもシスコンだってのはわかった」
留学せず王国内で学んでいた者たちと留学組でひっそりと情報交換をする。わかってはいたが、ハルトムートが帝国に留学して二年間一切王都に顔を出さなかったことで、共に学び舎に通えると思っていた第三王女が大荒れだったとか。ハルトムートは結局帝国でも妻に相応しいと思う女性を見つけられなかったのだとか。王国内で新たに結ばれた婚約があって多少勢力図に変化が生じそうだとか。他にもいろいろ。
「…ここまで気に入る方がいないとなると、実はハルトムート様、女性じゃなくて男性が好き、なんてことありません?」
「流石にそれは不敬…。それに、閣下なら自分の好悪感情より当主としての役割を優先しそうだから、その場合逆にさっさと子供を産ませる相手を見つけて後継を用意するんじゃないか?で、愛人を持つ」
「わかる」
「つまり此処までハルトムート様のお眼鏡にかなう相手が見つけられないのは、単に理想が高すぎるから」
「それはそれで否定できない…」
「最近はもういっそレオノーラ様の子供を養子にもらう方が確実なのでは?と考えている節がありますからね、ハルトムート様」
「レオノーラ様に良い方っていましたっけ」
「公爵閣下が求婚者を募れば山ほど来るでしょう。ハルトムート様がどうするか確定するまで迂闊に嫁に出せないだけで」
「ああ、異母妹様は早々に嫁ぎ先が決まっていたな」
何かあってハルトムートが当主を継げない事態になった場合、正しく公爵夫妻の血を引くレオノーラが後を継がねばならない。下手に嫁に出せばお家騒動に繋がりかねないし、何なら有力な家臣に娶らせる方が都合が良いくらいだ。今、レオノーラに公式な婚約者がいないのは大体ハルトムートの所為である。
まあレオノーラと正式に顔を合わせたことのある貴族の男は概ねイリアステル公家臣団ばかりなんだが。
「レオノーラ様も比較対象が悪すぎただけで器量良しの淑女ですよ。貰い手は幾らでもあるでしょう。まだ行き遅れという年でもありませんし」
そもそもレオノーラはハルトムートの二つ下ゆえ一般基準で見てもまだ二年は猶予がある。
「レオノーラ様がお選びになった方をハルトムート様が退けるということは…余程酷い相手でなければないだろうしな。…どちらかというとそういう心配があるのは公爵夫人様か」
「夫人のお眼鏡にかなうのがどのような男かが未知すぎる…あの方、レオノーラ様を不美人扱いしているが、虐げたいというか、不幸にしたいと思っているわけではないだろう」
「社交界には出したくないようだから、あまり社交界に妻をエスコートしないような騎士とかならいいんじゃないか。少なくとも外交官夫人とかは嫌がるだろう」
「レオノーラ様ならよく務まるだろうけどな、外交官夫人」
とはいえまあ、その辺は余談なので置いておく。問題は目の前の外交である。というか第一王女がなんかやらかさないかとかアルギールが王国の貴族女性を見初めたりしないかとかその辺。
「とりあえず歓迎の宴を無事に乗り切ったら…いや、一応王太子なんだよなあの王女…」
「一応とか言ってやるなよ長子相続だぞ」
「正直第一王女と第二王女なら資質的に大差ない気もするけど」
第一王女が今のところ積極的に王太子の座を引きずり降ろされるようなやらかしをしたことはないし、第二王女が強いて第一王女を廃して王太子につけられるほど目に見えて優秀という訳でもない。だから一番混乱の無い長子相続となっているわけである。第三王女?リーダーシップも意欲もないので論外。
「とりあえずアルギール様への不敬および帝国への挑発行為になることは控えて欲しいものだな。真っ先に戦場になるのイリアステル領だし…」
「本当それ」
「ハルトムート様とアルギール様は?」
「アルギール様が熱気に当てられたらしい?ということで休憩室にいかれたはずなんですが、見当たらなくて」
「…やりやがったか?」
「滅多なことを言うんじゃありません。賓客に何か盛るとか外交問題どころか開戦秒読みになりますよ」
側近たちは声を落として深刻な顔で話し合う。大ごとにするとそれこそ後でフォローできなくなる可能性があるので。少なくとも状況を把握する必要がある。
「アルギール様は積極的にこっちと戦争したいわけではないはずだから、余程腹に据えかねることをされない限りはもみ消しに協力してくれるとは思うけど…」
「あの方の逆鱗は多分妹くらいのもんだと思うし、そこは心配しなくて大丈夫だと思うけど…閣下のことを気に入ってらっしゃるようだし」
「ご本人にその意思がなくても、皇帝陛下まで話がいったら攻めてきますよ絶対。戦争したくてうずうずしてるらしいですし」
「め、迷惑~~~」
「どっちが?」
「両方」
王国に好戦派が一切いないとは言わないが、第一王女も別に積極的に戦争をしたがっているわけではないはずである。戦争する気がないのに隣国の皇子に不敬やらかす方が拙いってのはそれはそう。
「というか、いつもの王宮舞踏会だと下級貴族でも使える休憩室の他に、高位貴族限定の休憩室も用意されてませんでしたっけ。それこそ、いつもならそこの部屋が公爵家専用扱いされてたような」
扉がきっちり閉められている部屋を指さす。側近の一人が近づこうとしたところ、廊下で各休憩室の見張り番をしていた衛兵の一人が歩み寄ってきた。
「そちらは開放されていない部屋ですが」
「うちの若様が見当たらないので探しているんです。見かけませんでしたか?見ていたら確実に記憶に残っていると思うのですが」
「鍵閉められてる。こういうとこって鍵がないと閉鎖できないやつじゃなかったか?」
「この規模の宴で此処を休憩室に開放してないって不審ですよね?隣室は両方とも開けられてますし。何事です?」
「もしかして若様たち閉じ込められてます?」
「閣下~、もしかして此処にいます?」
扉をノックして側近が部屋の中に呼びかけると、部屋の中からくぐもった声がした。中に誰かいるのは確定らしい。ハルトムートたちなのかはわからないが。扉と壁に多少なりとも防音性能があるのだろう。
「殿下から休憩室を使用する者の身分を厳格に守らせるようにと言い付けられている。離れなさい」
「俺たちが使いたいんじゃなくて、閣下が此処にいるかもしれないって話をしてるんですよ」
押し問答している内に部屋の中から何やら悩ましげな声がした。その場に緊張が走る。まるで、中でいかがわしいことがされているような音がしている。
「休憩室の利用は――」
衛兵が扉の鍵を開けて踏み込むとやはりハルトムートとアルギールが二人で部屋の中にいた。アルギールはしんどそうに椅子に座り込んでいて、ハルトムートはその隣にやや心配そうに立っている。ちなみに二人とも全く衣服は緩めていない。
ハルトムートは戸惑う衛兵に微笑して声をかける。
「ああ良かった。彼に手を貸してやってくれるか。体調を崩して辛そうにしているから医務室に連れていきたかったのに何故か扉が開かなくてな」
「体調を崩した?どう見ても」
「もし毒を盛られただなんてことになったら外交問題どころか帝国にこちらに攻め入る口実を与えかねない。皇太子ではないとはいえ、アルギールは皇子だからな」
「俺としても…己が王国との戦争のきっかけになるのは、望んでいないんだがな…」
「アルの体調が戻れば、あとはこの場の者の口を塞げばなんとかなるだろう。本人が大事にしたくないと言っているのだしな?」
「典医がすぐ対応できるよう、私が先ぶれを務めます」
「アルギール様、立てますか?」
「ああ、なんとか…」
衛兵の代わりに側近たちがさっさと動いてアルギールに肩を貸したり先に医務室に向かったりする。押し問答をしている間に騒動が伝わったらもみ消せなくなるので。
「ハルトムート様は体調を崩したりなどされていませんか?」
「俺は大丈夫だ。少々風に当たりたい気分ではあるがな」
「お供します」
「まずアルを医務室に連れていってからだな」
私情で隣国の皇子に薬を盛ったことが、公表されなかったとはいえ問題となり、第一王女が失脚した。王太子の座は第一王女から剥奪され、順当にいけば第二王女ということになるかと思いきや、議会にハルトムートを王太子に推す案が提出された。
「私と再婚して頂戴、ハルトムート。それなら議会を納得させて私を女王にできるでしょう」
速やかに離宮に乗り込んできた第二王女がそんなことを宣ったのでハルトムートは頭痛がする顔をした。
「そんなに女王の座に執着があるのか?であるならもっと早く支持者を集めるべきだったろうに」
「…違います。私は、本当はずっと、昔からあなたのことが…好き、だったのです」
「そうですか。俺は好きではありませんし、スキャンダルを態々被る理由もない。王太子の座などどちらでもいいが、そうまでしてあなたを得たいとは思わない」
きっぱりと断る彼に、第二王女は苦々しげな顔をする。
「…私と結ばぬなら…言ってはなんですが、マリリエッタが行きますよ。それを拒める相手のあてがあるのですか?そこらの娘では王妃は務まらないでしょう。…いえ、我が妹ながらマリリエッタに王妃が務まるとは思えませんが」
これまでずっと婚約者が決まっていなかった、求婚に至ったことがないハルトムートに明確に婚約者候補といえる相手はいない。立候補して却下されている人物はともかく。だから、第二王女はそこを突けばハルトムートも断り切れないと思ったのだろう。しかし、ハルトムートは苦い顔をしながらも言う。
「…全くないこともない」
「っ、何処の誰です?」
「先約もないし、まあ身分も問題ないだろう。教育も俺と同等のものを身につけている。王太子妃として経験を積めば、まあどうにかなるだろうさ」
指折り条件を並べ立てている内に彼の表情はやや生き生きし始めた。敢えて言うならいじめっ子の顔である。
「…あなた、そういう顔もするのね」
「?」
「楽しみで仕方ないって顔。でもわくわくって感じではなくて妙な色気が滲んでる。無理矢理言葉で表すなら、暗黒微笑、ってやつ?そんな顔、私たちにしたことなかったわね」
「大変不名誉なことを言われた気がする…」
不服そうな顔をする彼に、第二王女は残念そうな顔をして、しかし淑女としての振舞いを取り戻して言う。
「結婚式の時には私も呼んでくださる?」
「その時にあなたが謹慎になっていたりしなければな」
王女が去った後、ハルトムートはずっと室に控えていた従者に声をかける。
「そういうわけだ。政略上の理由で俺と結婚してくれ、リズ」
「えっ、はっ、あてって私?!」
「お前以外に誰がいる。俺の交友関係は従者であるお前もよく知っているだろう」
リズはいつでもひと時も離れず彼の傍に居たわけではないが、従者を伴うことを許される場所にはいつも連れていかれていた。留学にも当然同行したし、社交の場にも従者として連れられていた。流石に女装させてエスコートされたのはあの一度きりだが。
「い、いや、私は、男…」
「何を寝ぼけたことを言っている。俺がお前の身の上を把握せず傍に置いていたとでも思っているのか?リズヴェッタ・ミリアム・ジンファデル。元公女であれば身分も問題なかろう。妻の実家の援助も俺には必須ではないしな」
「え、な、いつから…」
「最初からに決まっているだろう。そのジンファデル公縁のラピスラズリの瞳を隠しもせず身元を隠せると思っていたなら愚昧の極みだが」
「わ、わかってて従者にしたの?!」
「俺に何の不都合がある。酔狂は否定しないがな」
「フラタニティは絶対バレないって言ってたのに…!」
少なくとも、ハルトムート以外の人間にはバレていない…はずだった。肝心の彼にはバレていたらしいが。なんという茶番。かといって彼女の葛藤とかが彼にバレていたかはわからないのだが。
「それで、求婚の返事はいただけるかな?リズヴェッタ嬢。俺に領主らしい人間になれと言ってきた貴女だ、そちらも公女らしい判断をしてくれるんだろう?」
「ここぞとばかりにいじめっ子の顔して…!……。…ええ、私以外の王太子妃の務まる人間を探して根回しするのは大変ですからね。求婚、お受けします」
「ならば従者は今日で卒業、だな。それに俺の婚約者に相応しいドレスを仕立てさせなくては。部屋移りも必要か?」
「切り替え早っ…と、とりあえず引継ぎ資料をまとめなきゃ…!」
ハルトムートとリズヴェッタの婚約は速やかに整い、正式にハルトムートが王太子になる前に婚約が成立した。結婚式の予定も速やかに決められた。流石に王太子の結婚式を内内で済ませることはできないので準備から含めて大規模になるが。イリアステル家中も大忙しである。
そんな中で、リズヴェッタの私室に姿を現した精霊に、彼女は問いかける。
「フラタニティ的に、これでこの地の運命は良い感じに変わったことになるの?」
『多分これで大丈夫だと思うのよ。あなたが不安があると思うのなら、領主の妻として、吾への信仰を戻してくれたらいいのよ。子供にも洗礼を受けさせるのよ』
「精霊信仰の復活かー…不可能ではないと思うけど」
イリアステル家は王国に多い祖霊信仰で回っている。それが精霊信仰と相容れないのかというと、まあ両立不可能というほど対立しているわけではない。そもそも多分ハルトムートはそこまでガチガチの信仰者ではない。伝統を疎かにするほど軽薄ではないが、信仰の変化を拒むほど敬虔な信徒でもない。
「あ、ハルトムート様にフラタニティが対面したら一発で…いや、現状だと私しか精霊の言葉を正しく受け取れないって話なんだっけ…」
『麗しの君は吾の言葉を正しく聞き取れるはずなのよ。聞き入れる義理があるかはともかくね』
「それ、ちょっと話が変わってきません???」
『変わらないのよ。それに、こんなみすぼらしい姿で麗しの君の前に出られないって前にも言ったのよ』
「言ってたけど…」
『あなたが信仰を取り戻してくれたら、その内、姿を見せてあげるのよ』
「…何かそれ、私の前にも姿を見せなくなるって言ってるように聞こえるんだけど」
『そうなのよ。吾も流石に疲れたから暫く休みたいのよ』
「うっ…その節は、大変お世話になりました…」
必要だったので深く追求したことはなかったが、精霊にとっても彼女の夢に毎晩現れて学習の手助けをしたりするのは、全く負担の無い行為というわけではなかったらしい。
『わかったら良いのよ。吾にたっぷり感謝の気持ちを捧げるといいのよ』
「うん、ありがとう、フラタニティ」
カウチに寝そべっていたのは、同じ人間なのか疑わしいほどに美しい人物だった。やや薄暗い部屋の中で、淡い金色の髪が仄かに光っているかのように見える。柔らかく波打つ長い髪が、均整のとれた体の上を滝のように流れていた。気だるげに片手で髪をかきあげ、優しげな顔に柔らかな表情を浮かべて、男は彼女を見る。
「リズか。何か変事でもあったか?」
「用事がなければ声をかけてはいけませんか?」
「いや。お前はいつも業務時間中は仕事の話しかしないだろう。今は休憩中とはいえ業務終了しているわけじゃないからな」
「そんな人を仕事人間みたいに。どちらかというと仕事人間なのはあなたでしょうに」
「まあ否定はしないが」
彼女がカウチに腰かけようとするので彼も身を起こして座り直した。
「その。…典医から、来年には我が子を抱くことになることを告げられまして」
「ほう。では赤子の為の準備を手配せねばならないな。しかし、身重になったというなら、無理はするなよ。暫くは己の身を優先しろ」
「驚かないんですか」
「やることやってればその内できるものだろう」
「それは、そうですけど…!」
くすくすと、彼は笑う。
「生まれる赤子が男であれ、女であれ、元気に生まれてくれればそれでいいさ。…まあ、俺の美貌はあまり受け継がぬ方が良いかもしれんが」
「二人に似ている子の方がいいですよ、やっぱり。親子関係がわかりやすくて」
「俺の子かどうかは見ればわかるだろ、多分。優秀な子が生まれるだろうしな」
「すごい自信だ…。この子が期待で押し潰されてしまったらどうするんですか」
「俺はそいつにできんことは求めん。俺以外が余計なことをするなら…まあ、それは排除するさ」
「我が子相手でも変わらないのですね、あなたは」
「少なくとも心構えとしてはな。実際生まれてみたら違うかもしれん。未来のことなど、正確にはわからんよ」
「それは、そうですね…」
あの日、精霊に未来を見せられたリズヴェッタは、見たものを変えようとしたけれど、こんな形に変わるとは思わなかった。まさか、仇の息子としか知らなかった相手と結婚して王妃になるなどと、言われても正気を疑っただろう。特に王妃の部分。イリアステル公は王族に近しい貴族ではあるが野心家ではなかったし。
その有能さゆえに王太子に任命されてから一年ほどでハルトムートは戴冠し王位についた。それと同時に自領であるイリアステル領の主都を王国の王都であると定めた。勿論事前に必要なところに根回しをしていたが、彼に必要であると判断されなかった中央貴族などは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。急いでイリアステル領に引っ越そうとしたものもいれば、そうもいかず旧王都で閑職に回されているものもいる。新王都が王国の端すぎて以前より遠くなった"辺境"への支援なんかも必要となったり、王国上層部全体が安穏としていられない時期があった。
議会を再編したり、貴族の領地を整理したり、王国内の流通を整備したり、新王たるハルトムートが辣腕を振るいまくった結果、現在ではある程度国内が落ち着いている。彼が休憩時間にだらしない格好で読書ができる程度には。
「その内、ハルトムート様に紹介できたら良いなと思っている方がいるんです」
精霊はあれから彼女の前に姿を見せていない。しかし、きっと、この子の洗礼の時には何かしらの反応を見せてくれるのではないかとリズヴェッタは思っている。
「……浮気か?」
「違いますよ」
真面目な顔で問い返してきたハルトムートに、リズヴェッタは心底の笑みを浮かべて返す。
「私とあなたの仲を陰から取り持ってくれた方です」




