聖女を解剖したら、だいたい国が滅ぶ
人が嘘をつく理由は、だいたい二つだ。
生き延びたいか、
愛されたいか。
死体には、それがない。
だから好きだ。
静かで、平等で、
言い訳をしない。
私は昔から、生きている人間より死んでいる人間のほうが信用できた。
たぶん、まともではない。
でも、まともな人間ほど、人を綺麗に殺す。
それを私はよく知っている。
「ノア・フェルディナンド」
王都の大聖堂は、今日もよく響く。
祈りの場所というのは不思議だ。
誰もが善人の顔をして、
いちばん汚い願いを持ち込む。
私は祭壇の前で片膝をついた。
白い石床。
金の燭台。
香の匂い。
血の匂いがしない場所は、どうも落ち着かない。
「はい、猊下」
目の前には、枢機卿。
「お前を、聖務解剖官の任から外す」
来たか、と思った。
隣で第一司祭が、いかにも満足そうな顔をしていた。
あれは、人を処分する時の顔だ。
だいたい信仰の厚い人間ほど、ああいう顔をする。
「理由を伺っても?」
「聖女アナスタシアを侮辱した」
司祭が言った。
その隣には、白い衣をまとった少女。
金の髪。
青い瞳。
薄い笑顔。
最近、この国で急速に増殖しているものがある。
平民出身で、奇跡を起こし、
誰からも愛される“聖女”。
便利な生き物だ。
王にも教会にも、民衆にも。
「奇跡の治癒を“内臓の位置が気になりますね”と言ったそうだな」
「ええ」
私は頷いた。
「かなり敬意を込めた感想でした」
空気が冷えた。
宗教は比喩を嫌う。
特に、自分たちの神秘が医学で説明されそうになると。
アナスタシアが、少しだけ潤んだ目でこちらを見る。
上手い。
あの目で見られたら、大抵の男は救いたくなる。
私は解剖したくなる。
職業病だ。
「このような不敬な男を、大聖堂に置くべきではありません」
司祭が言う。
その通り。
私は死体を見る時だけ少し機嫌が良くなるし、
生きている人間にはあまり期待していない。
信仰施設には向かない。
「よって、辺境修道院への左遷を命じる」
左遷。
追放より、少しだけ上品な響きだ。
なろう小説なら、このあと私は封印された聖痕に目覚めて、
伝説の天使が懐き、
聖女が泣いて謝る。
残念ながら現実は、そこまで親切じゃない。
「承知しました」
私は立ち上がった。
「では最後に、一つだけ」
枢機卿が眉をひそめる。
「なんだ」
私は聖女アナスタシアを見た。
綺麗だった。
綺麗なものほど、中身を確かめたくなるのは悪い癖だ。
「あなた、三日以内に死にますよ」
沈黙。
香炉の煙だけが、やけにゆっくり揺れた。
司祭が怒鳴る。
「貴様!」
「失礼。職業病です」
私は一礼した。
「では、失礼します」
その夜。
本当に聖女は死んだ。
人は時々、冗談みたいに都合よく死ぬ。
大聖堂の晩餐。
銀の食器。
祝福の葡萄酒。
敬虔な笑顔。
そして、倒れる聖女。
喉を押さえ、
椅子から崩れ落ちる。
白い衣に、赤。
あまりにも絵になりすぎていて、少し笑いそうになった。
毒ではない。
違う。
呼吸の止まり方が綺麗すぎる。
内側から壊れている。
好きな死に方だった。
悲鳴が満ちる。
修道女が泣き、
司祭が騒ぎ、
衛兵が走る。
そして当然のように、全員が私を見る。
そうだろうと思った。
昼に「三日以内に死ぬ」と言った男が、
夜に死体のそばで少し満足そうに立っていれば、
それはもう犯人か、
相当趣味の悪い男だ。
たぶん両方。
「ノア」
枢機卿の声は、昼よりずっと老いていた。
「説明しろ」
「喜んで」
私は聖女の手を取った。
冷たい。
まだ柔らかい。
死にたてはいい。
人間がようやく、ちゃんと物になる。
爪の色を見る。
唇の乾き。
瞳孔。
皮膚。
ああ。
やっぱり。
「この方は、毒殺ではありません」
ざわめき。
「病です」
司祭が叫ぶ。
「馬鹿な! 聖女だぞ!」
「ええ」
私は笑った。
嫌な時ほど、よく笑う。
「だから面白い」
沈黙。
「聖女の奇跡は本物でした」
全員が息を止める。
「ただし、“癒していた”のではない」
私は静かに言った。
「他人の病を、自分の身体に移していただけです」
静寂。
ああ。
好きだ。
信仰が音を立てて壊れる瞬間。
「彼女は奇跡を起こしたんじゃない」
私は死体を見下ろした。
「ただ、皆さんの代わりに壊れていただけです」
アナスタシアは痩せていた。
不自然なくらいに。
優しい人間ほど、ちゃんと死ぬ。
周囲の期待に応えて、綺麗に。
だから嫌いだ。
「では、なぜ黙っていた」
枢機卿が震える声で言う。
私は少し考えた。
簡単だ。
あまりに簡単すぎて、人は答えを嫌う。
「愛されたかったんでしょう」
誰も何も言わない。
「人は、自分が特別だと思えるなら、だいたい死ねます」
司祭が膝をつく。
信仰ではない。
罪悪感だ。
たいていそちらのほうが重い。
「……ノア」
枢機卿が言う。
「お前の左遷は」
私は首を振った。
「いえ、予定通りに」
皆がこちらを見る。
不思議だ。
さっきまで私を追い出したかったくせに、
死体が出ると急に必要そうな顔をする。
人は探偵が好きだ。
自分が共犯だと気づかなくて済むから。
残念ながら、私は探偵じゃない。
もっと趣味が悪い。
私は外套を羽織った。
聖女の死体は、ひどく静かだった。
ようやく少し、好感が持てる。
扉の前で振り返る。
「でも安心してください」
私は笑った。
「次に死ぬのは――たぶん、この国です」
信仰というのは、
いちばん手触りのいい集団自殺だから。




