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スキップライフ  作者: エプラパー


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スキップライフ

「……またかよ」


都内の大学生、佐藤亮太はスマートフォンの画面を指で弾き、苛立たしげに舌を鳴らした。画面には、ゼミの教授が経済史を説く講義の動画。再生時間は90分。亮太は迷わず設定アイコンをタップし、再生速度を「2.0倍」に変えた。


「人生って、なんでこんなに無駄な時間が多いんだ?」


動画の咳払いや世間話を「10秒スキップ」の連打で削ぎ落とす。亮太にとって、人生の価値は結果にしかない。単位、内定、給料、快楽。その途中に横たわる過程を、彼は一秒でも早く通り抜けたかった。


その日の帰り道、亮太は路地裏にある、古道具屋に迷い込んだ。ショーケースの中に、一つだけ異質な空気を放つデバイスがあった。


最新のスマートフォンのような光沢を持ちながら、ボタンはどこか懐かしい。店主の老人が囁いた。


「それは、人生のタイパを最大化するリモコンですよ」


「タイパ?」


「無駄な時間を飛ばし、望む結果へ直行する。……ただし、巻き戻しだけは、お勧めしませんがね」


亮太は冗談半分でそれを買い取った。それが、彼の人生が加速し始める合図だった。


翌朝、亮太は目覚まし時計の音で目を覚ました。外は土砂降りの雨。1限の講義、満員電車での通学。想像しただけで吐き気がする。

彼は枕元に置いたあのリモコンを手に取り、無意識に『▶』のボタンを押し込んだ。


カチッ。


まばたきをした。

次の瞬間、視界がフラッシュした。

気がつくと、亮太は食堂でカツカレーを口に運んでいた。手元には、白紙だったノート。そこには、1限の講義内容が完璧にまとめられた自筆の文字がある。


「え……?」


時計を見ると、時刻は午後12時30分。朝の8時から4時間半が、一瞬で消えていた。しかし、腹は満たされており、ノートも残っている。


「……まじかよ?」


亮太は高揚感に震えた。

それからの彼は、リモコンを使いこなした。

行列のできるラーメン屋では並ぶ時間をスキップ。

彼女の両親との食事会もスキップ。

圧迫面接もスキップ。

ボタンを押すたびに、亮太の時間は飛び、彼は結果だけを享受した。

記憶はない。だが、周囲の反応はすこぶる良かった。


「佐藤くん、受け答え、最高だったよ!」

「亮太、最近すごく落ち着いていて素敵ね。喧嘩もしなくなったし」


亮太は笑った。何もしていないのに、人生が勝手に良くなっていく。

「結果さえあればいい。俺は、人類で一番賢い生き方をしてるんだ」


数年後。

亮太は、一流企業のオフィスでデスクに座っていた。

「……あれ?」

ついさっきまで入社式に出たはずだった。しかし、名札には「課長」の文字がある。

癖は加速し、今や彼は脊髄反射でボタンを押すようになっていた。

トラブル、冷え切った会話、夜泣き。

彼のカレンダーは数ヶ月、数年単位で破り捨てられていった。


「……まあ、いいか。俺は出世したし、幸せなんだから」


そう自分に言い聞かせた時、ふと、違和感に気づく。

自分の手が、妙にしわがれている。

鏡を覗き込むと、白髪が混じり、頬がこけた中年の男がいた。


「待て、押しすぎたか……? 巻き戻せば……」


亮太は初めて、リモコンに貼られたビニールテープを剥がそうとした。禁じられた『◀◀』ボタン。

しかし、その指がボタンに触れる前に、妻が部屋に入ってきた。


「あなた、お父さんの病院から連絡よ。……もうすぐ最期だって」


「え……?」


父が病だったことすら、スキップしていた。

悲しみが襲いかかる。亮太は耐えられなかった。この悲しみを、消し去りたい。

彼は震える手で『▶▶』を連打した。


カチッ、カチッ、カチッ、カチカチカチカチカチッ!!


リモコンが、熱を帯びる。画面が真っ赤に染まり、警告音が鳴り響く。

「SYSTEM ERROR: OVER-SKIPPING」


「は……?止まれ、止まってくれ……!」


視界が回転し、家族、オフィス、焼香が、通り過ぎていく。

静寂。


亮太が目を開けると、そこは病院のベッドの上だった。

全身が重い。指一本動かすことができない。

鼻には酸素チューブが通り、モニターが規則的な電子音を刻んでいる。


「……」


声も出ない。

視線を落とすと、そこには枯れ木のように細い自分の腕があった。

シミだらけの皮膚。剥がれ落ちそうな爪。

枕元には、あの日からずっと手にしていたリモコンが転がっている。

液晶画面には、弱々しくこう表示されていた。


[ 電池残量:0.01% ]

[ 最終章 再生中 ]


部屋の隅に、見知らぬ女性と、青年が立っていた。

「父さん……最後くらい、起きててよ。ずっと寝てばかりだったじゃない」


青年が悲しそうに呟く。亮太には、それが息子だということすら、スキップしすぎて分からなかった。

彼は、家族が成長する瞬間の温かさも、苦労を共にした絆も、何一つ持っていなかった。

手に残っているのは、富と地位という抜け殻だけ。

亮太は必死に、動かない指でリモコンの「巻き戻し」を押そうとした。

1秒でいい。不快で、退屈で、泥臭かったあの「過程」に戻りたい。

もう一度、ちゃんと感じたい。


だが。

ガジェット店主の言葉が、脳裏にリフレインする。

『……巻き戻しだけは、お勧めしませんがね』


亮太が最後に見た画面には、無慈悲なシステムメッセージが浮かんでいた。


【スキップ不可:このシーンは「エンディング」です。】


ツー――――……。


心電図の音が、一本の線になった。

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