プロローグ
「あら、意外と遅かったわね」
アネモネは玉座にふんぞり返って座りながら、楽しそうに言った。
マルベリーはこんな状況で、そんなふうに言える彼女の思考回路を理解できなかった。
血まみれの男が剣を抜いて登場したのだ。
普通なら、恐れて、叫んで、逃げ出す。
それなのに、アネモネは怪しく笑っていた。
「私を殺しに来たんでしょう。ほら、早く殺しなさい」
マルベリーがその場から動けずにいると、アネモネは玉座から立ち上がり、階段を降りながらそう言った。
まるで、彼女はこの瞬間を、殺されるのを待っていたかのように。
「なぜ、こんなことをした?」
マルベリーはアネモネを睨みつけ、冷たい声で問いかける。
少しでも、正しい行いをしていたら殺されることはなかったはずだ。
マルベリーは、ほんの少しでも彼女に罪悪感があるのか知りたかった。
「理由が必要?」
だが、アネモネは全く悪びれもせずにそう言った。
マルベリーは怒りで我を忘れそうになった。
何の理由もなくこんなことをしたのか、と。
何の理由もなく人を殺し続けてきたのか、と。
自分の大切な人もそうして殺されたのかと思うと、目の前の人間を同じ人間とはもう到底思えなかった。
「怪物」としか、もう認識できなくなっていた。
「ほら、早く私を殺しなさい。ずっと、私を殺したかったのでしょう。早くしなさい。でないと、他の人が私を殺すわよ」
マルベリーが剣を持ったまま、怒りで体を震わせていると、「それでもいいの?」とアネモネが耳元でそう囁いた。
早く殺してくれるのを待っているかのように。
マルベリーは理性を忘れた獣のように「お望み通り殺してやる」と、剣を強く握りしめた。
「そう。それでいいのよ」
マルベリーが剣を振り上げると、アネモネは少女のように嬉しそうに笑った。
自分が殺されるというのに。
アネモネは斬られた後も、笑みを絶やさなかった。
息を引き取った後も、美しいままだった。
マルベリーはそんな彼女をただ見下ろした。
何の感情も抱かずに死ぬ瞬間を見届けた。
アネモネは間違いなく美しい王女だった。
そして、史上最悪の王女でもあった。
人々は彼女を天使の顔をした悪魔だと罵った。
だが、アネモネが死んで国の情勢が傾き、民が苦しみだして、ようやく皆がある真実を知った。
アネモネは間違いなく史上最悪な王女だったが、国の平和を守っていたのは彼女の謀略のお陰だったと。
民は真実を知るや否、すぐさま手のひらを返した。
アネモネを殺した時は、「よくやった」と褒めていたのに、彼女が国を安寧させていたと知ると、殺した者たちを一斉に叩き始めた。
そうして国の安寧が失われ、アネモネが死んで五年後には隣国に戦争で負け、吸収された。
四百年変わらなかった世界地図からゼルシウス国が消えた。
誰もが口にした。
きっと、これは彼女の呪いだと。
自分を陥れた腹いせに国を滅ぼしたのだと。
もし、彼女が生まれ変わったら……。
その後は恐ろしくて誰も口にはしなかったが思っていることは皆同じだった。
誰もが、彼女が生まれ変わって、産まれてくることを望まなかった。
一年、二年、三年、五年、十年………百年。
アネモネが死んで百年も経つと、彼女が生きていた時代に住んでいたものは一人残らず、この世からいなくなり、恐怖も忘れ去られていった。
かつては、指一本で他人の命を奪えるほど、誰もが恐れるほどだった存在も、結局は忘れ去られるほどの存在でしかなかったのだ。
一人の人間が永遠に恐れられることなどない。
そんな伝説は、所詮はお伽噺の中でしか存在しないのだ。
そうして、人々の中から完全に忘れ去られてから更に十七年のときが過ぎたときに、一人の王女が誕生した。
アネモネと同じ黄金の髪色で最も神秘的な色として皇族のものだけが身につけることができる紫の瞳を持った皇女がひっそりと産まれた。




