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4話 騒がしいティータイム

 細く、途切れることなく降り続く雨が、窓ガラスを叩いている。

 水滴はぶつかっては弾かれ、やがて雫となると、重力に吸い寄せられてゆっくりと下へ流れ落ちていく。その軌跡を、私はクッションの上に横たわったまま、ぼんやりと目で追っていた。

 大きいものが、さらに大きいものに吸収されて、速度が上がる。予期せぬ軌道を描く。それが獲物を追うときのように、目線が吸い寄せられるのだ。

 屋根を打つ音は柔らかく、一定のリズムを刻んでいる。

 まるで雨が家全体を静かに包み込み、外界との境界を曖昧にしてしまったかのようだった。

 時計の秒針の音さえ、雨に溶けて遠く感じられる。


 いつもなら、魔法の実験だの練習だので騒がしいメルも、今日は静かだった。

 箒も杖も壁に立てかけたまま、テーブルの前に腰を下ろしている。

 分厚い魔導書を読みながら、湯気の立つティーカップを手に取る。

 紅茶の香りが部屋に広がり、焼きたてのクッキーの甘い匂いがそれに重なる。

 どちらも、彼女の手作りだ。

「タズは、静かね」

 メルがこちらを見る。私は返事の代わりに、尻尾をひと振りした。

 こういう日は、言葉はいらない。何もしないのが一番だ。

 瞼が重くなり、意識がゆっくりと沈んでいく。

 雨音、それに紅茶の匂いと微かな熱。

 森も、魔女も、今日は休息中だ。私はその中心で、静かに微睡む。


 やがてティーカップが空になったのか、メルが席を立ってキッチンに向かう音がした。

「タズも、紅茶を飲む?」

 キッチンの方から、メルが何気ない調子で問いかけてくる。

 紅茶を淹れているのだろう。匙が陶器に当たる軽い音が聞こえた。

「猫の舌には合わないよ」

 私は窓際から動かずに答える。

 紅茶特有の渋みを思い出し、無意識に鼻をひくりと動かす。あの味は、どうにも理解できない。

「ミルクでいい」

 そう付け足すと、キッチンの方から、何やらメルが残念がる声が返ってきた。

「えー? そうなの?」

 その言い方が、妙に不穏な相槌に聞こえて、私は閉じていた片目をそっと開ける。

「……何か変なこと、考えてないだろうな」

 嫌な予感というほどではないが、安心できる響きでもない。

 思わずひげの先が、無意識に一度だけ揺れる。

 案の定、キッチンから帰ってきたメルは、何かを企んでいるかのような笑みを浮かべていた。

「紅茶をタズの舌にも合うように、魔法で調整してみようかしら」

「おい。ミルクでいいと聞こえていただろう?」

 しかし、メルの視線はすでに宙を彷徨い、指先が無意識に動いている。

「そんなことしなくていい」

 必死の抗議は聞こえちゃいない。

 すでにメルは魔法式を組み立てているときの、真剣な顔に切り替わっていた。

 こうなったらもう止められない。

 おおかたこの雨に飽きてしまったのだろう。まったく風情も品性もない。

「やるとしたら生命魔法かなあ」

「本当にそうか?」

 私は訝しげに耳を伏せる。

「紅茶は植物でしょ? それで植物を変化させるなら生命魔法かなって」

「仮にそうだとしても、それはお前が一番苦手なやつじゃないか」

 成功した記憶より、失敗した後始末の回数の方が多いだろう。


 嫌な予感しかしない。

「……やめておけよ」

 私はダメもとで忠告する。

「大丈夫、大丈夫」

 メルは軽く笑い、まるで子どもを宥めるような口調だった。

 そうして彼女は今まさに飲んでいたティーカップに、何の躊躇もなく魔法をかけた。

「こんな感じかなぁ」

 雨音が、一瞬だけ遠くなる。

 紅茶が発光して、私は目を細めた。

 次の瞬間だった。ティーカップが、かたん、と小さく揺れた。

「……あら?」

 メルが瞬きをするより早く、そのティーカップが動いた。

 まるで粘土になったみたいに、輪郭を湾曲にして、まるで生き物みたいに動き出す。

「まあ! なんて素敵な紅茶なのかしら!」

「……やっぱりだ」

 私は思わず前足で額を押さえる。


 問題のティーカップは、白磁に淡い金の縁取りが施された、洒落たデザインだった。

 側面には蔓草のような模様が描かれ、取っ手は細く、指先に馴染む曲線をしている。

 いかにも、静かなティータイムに相応しいはずの代物だ。

 しかし今はその取っ手が口のように動き、声を発している。

「あら、今日は雨なのね。雨の日って、紅茶が一番おいしいのよ」

 その上品な見た目とは裏腹に、やたらとお喋りだった。

「そうそう、こういうときは焼き菓子が合うの。でもあのクッキー、少し焼き過ぎじゃなくて?」

 矢継ぎ早に言葉が飛び出す。

 私とメルには一言も口を挟ませない。

「それからね、棚の上のポット、あの子、最近出番が少なくて拗ねてると思うの」

 メルは目を丸くし、ティーカップと私を交互に見る。

 そんな顔で見られても、助けようがない。メルは困惑した様子で呟く。

「……ずいぶん、饒舌ね」

「生命魔法をどこに与えたか考えてみろ」

 私はため息まじりに言う。

 メルは紅茶ではなくティーカップ全体に生命魔法をかけた。こうなるのも当然だ。

「とはいえ、まさかティーカップにまで命が宿るとは」

 基礎レベルの生命魔法じゃない。

 上手く扱えないだけで、腕はある。1番厄介だな。


 するとティーカップは満足そうな気配を漂わせながら、私の方へと重心を傾けた。

「まあ! なんて理解のある猫さんなのかしら」

 中の紅茶がかすかに揺れ、陶器が小さく音を立てる。

 弾んだ声に、私は耳をピンと立てて、わずかに動かしただけで応じる。

 理解したくて理解したわけじゃない。状況を受け入れるしかなかっただけだ。

「失敗するのは、目に見えていたさ」

 思ったままを口にすると、ティーカップは不服そうに飲み口をググッと曲げた。

「まあ、これが失敗ですって?」

 かしゃりと身を震わせ、声を張り上げる。金縁がきらりと光り、取っ手が誇らしげに揺れた。


「聞き捨てならないわね。まさに魔法とは、本来こういうためのものよ!」

 ティーカップが小刻みに震えたことで、中の紅茶が波打ち、縁から一滴こぼれ落ちそうになる。

「……落ち着いて。割れたら元も子もないわよ」

 メルが少し慌てた様子でそうたしなめると、ティーカップは一瞬だけ動きを止めた。

「大丈夫よ。はしゃいだりしないわ。それにしても……」

 ティーカップは今度は感慨深げに、くるりとわずかに向きを変えた。

「私が話せる日が来るなんて、感動的じゃない?」

「感動というか、困惑と恐れでいっぱいだな」

 私は聞こえないであろうクッションの位置からぼやく。

「人生。いえ、器生って、何が起こるかわからないものね!」

 誇らしげに言い切ったティーカップに、私は思わずため息をついた。


 人生と同列に語られる器生。

 もしかして生命を与えられる前からずっと、自我は存在していたのだろうか。

 やはり、メルの生命魔法はどこかおかしい。

「おい、メル」

 私が呼ぶと、メルはチェストのところまでやってくる。

「元に戻すことはできるのか?」

「できなくはないけれど、もう少し様子を見てもいいでしょう?」

「何でだよ!」

 私の苛立ちに気づいたのか、メルが小さく肩をすくめる。

 よくない予感しかしない。

「だってまだ目的を果たしていないもの」

「……目的?」


 私が尋ねる前に、メルは踵を返して、テーブルの方へと戻る。

 そしてティーカップを刺激しないよう、控えめに声をかける。

「……あの、ティーカップさん」

「どうしたのかしら?」

 即座に返事が返ってくる。妙に愛想がいい。

「もしかして、中の紅茶の味を変えたりできないかしら?」

「どういうこと?」

 ティーカップが、取っ手を少し傾けて聞き返す。

「紅茶を、このタズに飲ませたいの」

 メルは私の方をちらりと見た。

 それに合わせて、ティーカップもこちらを見るように傾く。

 あぁ、そういえば最初はそれが目的だったな。

 ティーカップが動いた衝撃が大きすぎて、すっかりと忘れてしまっていた。

「もしそれができるなら、あなたはこのままずっといてもいいわ」

 おいおい。私は驚いて首を伸ばした。


 私が好きでもない紅茶を飲むために、同居人をもう一人増やそうというのか。

 まったく必要のない取引だ。

「おい、ちょっと待て」

 抗議しかけた私の言葉を遮るように、ティーカップがぱっと声を上げた。

「そうしたいところだけれど、無理ね」

 あっさりした口調だった。

「私に、そんな力はないわ」

 その即答に、メルは少し肩を落とす。

「あら、残念」

 私は、心の底から安堵した。紅茶も、増えるお喋りも、どちらも御免だ。


「それじゃあ……」

 メルは言葉を選びながら続けた。

「手違いなので元に戻ってもらっても、よろしいかしら?」

 その一言が、いけなかった。

「まあ!」

 ティーカップが甲高い声を上げる。

「戻れ、ですって? 生まれて早々、元に戻るなんて考えられないわ」

 ティーカップは憤慨した様子で、その場でぴょんぴょんと跳ね始めた。取っ手がかたかたと音を立て、紅茶の水面が忙しなく揺れる。

「ちょっと、落ち着きなさい」

 メルが声をかけるが、ティーカップは聞く耳を持たないらしい。

 せいぜい5センチも浮いていないはずだから、すぐに割れる心配はない。ない、のだが。それでも私は思わず身構え、視線で追ってしまう。

 生まれたばかりのくせに、ずいぶんと動きが俊敏だ。それに感情表現もバラエティに富んでいる。

 本当に、メルの生命魔法は加減というものを知らない。


「もうこのテーブルの景色が気に入っているの。嫌よ」

 そう言うが早いか、ティーカップはテーブルの上からぴょん、と跳ねた。

「逃げさせてもらうわ」

「ちょっ!」

 メルが声を上げる。

 ティーカップは着地の衝撃も気にせず、椅子の上へと着地した。それからキッチンへと向かい、食器棚、シンクの端へと次々に飛び移る。金の縁取りがきらきらと揺れ、それに合わせて紅茶も揺れる。

「待ちなさい!」

「捕まえられるものですか!」

 2人、いや1人と1つは、家の中を縦横無尽に駆け回る。

 テーブルの脚を回り、棚の陰に飛び込み、床板を鳴らしながら逃げる白磁の影。

 メルはこういう動きに慣れていないのか、ティーカップに振り回されている。


 跳ねるたびに、ティーカップの動きはどんどん速くなっていく。

 陶器が空気を切るような、嫌な気配がした。

「おい、やめろ! 割れるぞ!」

 そう叫んだ刹那、ティーカップは進路を変え、こちらへ一直線に飛んできた。

 私は反射的に身を固くし、身構える。

 そしてぐい、と。

「にゃっ!」

 尻尾を、踏まれた。このもふもふとした美しい尻尾を踏むなんて。

「おい、待て!」

 思わず声が裏返る。反射的に体が動いた。

 私はクッションからから飛び起きて、床を蹴る。


 もう黙ってはいられない。

 なんてしつけのなっていないティーカップなんだ。

 視線を低く、体勢を落とす。ネズミを捕るときと同じだ。

 無駄な動きは省き、距離を詰める。

 一瞬で追いつき、私は口を開いた。

 割れ物だということも、今は二の次だった。

 牙を剥き出しにして咥えてやる。そう思った、まさにその瞬間だった。

 ティーカップは次の足場である柔らかそうなベッドへと飛び移ろうとした。

 だが、距離の見積もりを誤ったらしい。

「え?」

 短い声が、空気を裂くように響いた。

 次の瞬間、ベッドの側面をかすめるように、ティーカップの取っ手が空を切る。

 時間が、妙にゆっくりと流れ始める。

 音も、匂いも、すべてが引き延ばされたようだった。

 そしてティーカップは、重力に引かれるまま、真っ逆さまに床へ落ちていく。

 私は思わず、目を見開いた。

 割れる、という結末が、はっきりと脳裏に浮かぶ。陶器が床に触れる。

 次の瞬間だった。

 落ちるはずだったティーカップが、宙でふわりと浮いた。

「……初めから、こうすればよかったわ」

 メルが小さく息をつく。

 どうやら、慌てて浮遊の魔法をかけたらしい。

 空中で動きを封じられたティーカップは、取っ手を小刻みに震わせる。

「ちょっと、待って。本当に私を戻して後悔しないのかしら?」

 必死というより、どこか厚かましい。生まれたばかりのくせに、随分と余裕がある。

 ティーカップはくるりと空中で回転し、続ける。

「だって、考えてみて? こんなふうに動くティーカップ、あった方が楽しいと思わない?」

 取っ手が、説得するように小さく揺れた。


 だが、メルの表情は変わらなかった。

 いつもの穏やかな顔だが、結論を決めたときのそれだ。

「だめよ」

 短く、はっきりと。

「……じゃあ、またね」

 メルは少し寂しそうに言うと、指を振るう。

 そして次の瞬間には、ただのティーカップへと戻った。

 もう、何も喋らない。

 部屋に、雨音だけが残る。

 メルはティーカップの底に残っていた紅茶を飲み干し、カップを丁寧にすすぐと、いつもの棚に戻した。

「なんだか使いづらくなっちゃったわね」

 私は窓際で目を細める。

 ほらみろ。だから安易に生命魔法は使うものじゃないんだ。

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