悪趣味と断じられ婚約破棄された令嬢は、同じ価値観の王子と出会う
※作中に虫が登場しますが、描写は最小限です。
苦手な方はご注意ください。
「エクレール・ベルダー、お前との婚約を破棄する!」
私の婚約者、第一王子ジャスパー殿下が、夜会の最中に、突然断言されました。驚いて頭の中が真っ白になり、扇を持つ手が震えます。
私はあまり口が上手い方ではなく、なんと返事をして良いかわかりません。それでも何か言わなきゃと、必死に声を絞り出します。
「わ、私……何か……お気に触るようなことを……してしまいましたでしょうか……?」
自分でも情けないほど弱い声でした。けれど、これ以上どう問い返せば良いのか分かりません。
「お前の……趣味だ!」
「趣味……?」
私は思わず聞き返してしまいました。
殿下はさらに顔をしかめ、これまで抑えていたものを吐き出すように声を荒らげられます。
「お前のその虫好き、はっきり言って気持ち悪い。悪趣味だ。庭で虫を見つけてはしゃいだり、袖に止まった虫を大事そうに素手で捕まえたり、芋虫を見つけて可愛いと言ったり、そんな女が王族の婚約者でいいはずがないだろう!」
顔が熱くなります。恥ずかしさなのか、悲しさなのか、自分でも判断がつきません。
たしかに、私は小さい頃から虫が好きで、見つけるとよく目で追ってしまいます。庭園に出れば、花だけでなく葉の裏をそっと覗き込んだり、土を掘り返したりしてしまいます。
あまり良いことではないのはわかっていたのですが……こんなふうに公衆の面前で断罪されるほど、殿下のお気に障っていたなんて。
「わ、私は……そんな……殿下が嫌がると、気づかなくて……」
「もう決めたことだ。今後私に近づくな。品位が下がる。」
私には、反論できる言葉などひとつもありませんでした。殿下の望むような令嬢とは程遠いことはわかっていたのです。
「……申し訳……ありません。殿下のお考えが……正しいのだと思います……」
それが、精一杯でした。声が震え、掠れて、最後はほとんど聞こえなかったかもしれません。
ジャスパー殿下は私から視線をそらし、冷たく言い放ちました。
「分かればいい。これで婚約破棄は成立だ。エクレール・ベルダー、今日限りでお前はもう私の婚約者ではない」
*
私はもともと、王宮の庭園で静かに虫を眺める時間が何より好きでした。小さな翅を震わせて歩く姿や、花の上で眠るようにとまる姿を見かけると、いつまでも眺めてしまいます。
けれど婚約を破棄されて以来、私は庭に足を運ぶことさえ怖くなってしまいました。
芋虫に微笑む令嬢。
悪趣味な公爵令嬢。
あの日に言われた言葉は、思っていた以上に深く私を傷つけていたようです。
庭に出ると、誰かがまたそう言うのではないかと思ってしまいますし、花壇の花を見るたびに、殿下の冷たい視線を思い出してしまうのです。
夜会に出ても、周囲の人は私を避けました。いえ、本当に避けていたのかは分かりません。私の自信の無さが、誰かに話しかけるのを躊躇わせて、周りとの交流が減っていったようにも思います。
最初こそ婚約破棄を憐れむ声がありましたが、それも次第に消えていき、そして私は、誰とも関わらなくなっていきました。気づけば、誰にも話しかけられず、誰にも話しかけず、ただ周囲からそっと外れていったのです。そのほうが、楽だと自分に言い聞かせるようにもなりました。
私の好きなものが、周りから忌避される現実は辛いし、共感してくれる人なんていません。もう誰にも笑われたくない。誰の視線も気にしたくない。そう思っていてもやっぱり一人は寂しくて、ときどき誰もいないことを確かめて、そっと庭園に向かいました。
葉には、今にも産まれてきそうな、小さく揺れている卵がありました。しばらく眺めていると卵がひび割れて、中から小さな産まれたての虫の姿が見えました。殻から出ようと、ちいさな脚を必死に動かすその姿を見ると、なんだか元気が出てきます。
「虫が好きなの、君?」
「……!」
思わず肩が跳ねました。孵化を見るのに夢中になっていて、後ろに人がいることに全く気づきませんでした。
口から咄嗟に出た言葉は、
「……き、嫌い、です」
条件反射のように、私は否定してしまいました。
けれど青年は困ったように首をかしげ、ふっと微笑しました。
「そうかな。僕は好きだよ?虫って可愛いと思うな」
驚いて言葉につまります。
そんなふうに言っている人を見たのは生まれて初めてでした。
青年は私の隣に腰を下ろすと、同じ花壇へ視線を向けました。
「僕はね、虫がさなぎから孵るところがすごく好きなんだ。一生懸命に羽を伸ばそうとしてるのを見ると、つい応援したくなるんだよ」
その言葉は私にとっては衝撃的で、それを聞いた瞬間、青年の方を凄い勢いで振り返りました。
「わ、わかります!」
思っていたよりずっと大きな声が出て、自分でも驚いてしまいます。
「わ、私も……孵化するところとか、卵から出てくるところとか……大好きで……!ちっちゃくて、頑張ってて……すごく可愛くて……ずっと見ていられて……!」
言葉が止まらなくなっていました。
胸の奥にずっと閉じ込めていたものが、堰を切ったようにあふれていきます。
好きなものを、誰かに語れるなんて、そんなこと、生まれて初めてだったのです。
私は夢中になって早口でまくしたてていたことに気づきました。
はっと我に返った瞬間、全身から血の気が引いていくのがわかります。
また、気味悪がられたかもしれません。
「ご、ごめんなさい!こんなの気持ち悪いですよね…」
私が縮こまるように言うと、青年はすぐに首を横に振りました。
「謝ることないよ。気持ち悪いなんて思わない。むしろ、君の噂を聞いてから、ずっと話してみたいと思っていたんだ」
「噂……?」
「そう。庭園でよく葉の裏を覗き込んで、小さな虫をじっと見つめている令嬢がいるってね。たまたまここに来たら、まさにその通りの女の子がいて……きっと探していた子だって思ったんだよ」
見られて噂になっていたことを知って、私はそこで固まってしまいました。
「僕はオリオン。君の名前も、聞かせてくれる?」
「……エクレール……エクレール・ベルダー、と申します」
* * *
私は、エクレールお嬢様付きの侍女ミリアと申します。
好きなものは読書と、お嬢様を愛でること。
お嬢様の小さい頃からずーーっとお側に仕えてきましたが、本当に、可愛らしい方なのです。
さらりと流れる栗色の髪も、優しい瞳も、控えめな笑顔も。まぶしいぐらいの気品もあるし、根はとんでもなく優しい。優しくて穏やかで、控えめで、誰より気遣いができて。お嬢様が落ち込んでいると、私の方が悲しくなってしまう。こんなに素敵な方は他に絶対いません。
……なのに。
ただひとつ。
ひとつだけ。
どうしても理解できないものがあるのです。
お嬢様の、趣味。
お嬢様の「かわいい」の許容範囲が……とんでもなく広いのです。
昔、こんなことを言われたことがありました。
「見て、脚が六本もあるのに、こんなにちいさくて、健気に動いて……ひたむきで可愛いと思わない?」
思わない。
全然思わない。
私には虫に対してひたむきとかそういう概念がない。
むしろ六本全部やめてほしい。
もちろん、私は侍女です。
お嬢様の趣味を否定するつもりなんて、これっぽっちもありません。
全力で肯定し、共感し、褒め称えて差し上げたいのです。
でも……でも…。
虫は……ダメだって。いくらなんでもそれはきついって。
どんなに頑張っても心が拒絶するのです。
こんなに完璧なお嬢様なのに、なぜ趣味だけこんなに強烈なのか。神は時々、調味料の量を間違えるのでしょう。
私ではどうしても、お嬢様の価値観に心から寄り添うことができない。それが、長年の悩みでした。
だけどついに、そんなお嬢様に友達ができたのです。
それがどれほど嬉しいことか……思わず涙が出そうになります。
だって、お嬢様が好きなものを同じ目線で語れる人なんて、今まで一人もいなかったのだから。
お嬢様はまだ気づいていないかもしれませんが、
あの方は、この国の第三王子殿下、オリオン様でございます。
「僕も昔ね、羽化したての抜け殻を集めて部屋一面にびっしり並べていたんだ。でも母上にものすごく怒られて、翌日全部捨てられたんだ。あの時は本当に悲しかった」
お嬢様の他に同じ感性を持つ人間がいるなんて、しかもまさか王族に。とはいえ……それはどう考えても、世界全体で見れば圧倒的な少数派です。虫の抜け殻を部屋一面に並べる王子など、この世界どこを探してもオリオン様しかいないでしょう。けれどお嬢様は、
「わかります!……そんな悲しいことありません」
ぽつりと呟き、今にも泣きそうな顔で頷いておられました。
お嬢様も幼いころ、孵化した後の卵の殻を大切そうに集めていたことがあって、それを当主様に見つかり、翌日すべて処分されてしまったあの日のことを思い出していたのでしょう。
今思い出しても恐怖です。攻めすぎにもほどがあります。なぜそんな発想に至ってしまうのか、私には一生理解できません。
でも、お嬢様は本気で共感しているのです。そしてオリオン殿下も、本気で楽しそうなのです。
隣に控えている殿下の護衛騎士にちらりと目を向けると、
「……よかった……殿下……ついに……ついにあなたの理解者が……」
と言いながら震えていました。いや、よく見ると 泣いているようです。
私が見ていることに気づくと小声で話しかけてきました。
「い、いえ! 大変失礼しました!あの……私は殿下が昆虫観察のために早朝からいなくなり深夜になっても花壇の前から動かなかった姿を……ずっと間近で見てきたもので……!」
私と同じようなものなのでしょう。妙にこの騎士に親近感が湧きました。
「殿下の幸せは私の幸せ。ですが、どうしても虫は…虫に関してだけは何をおっしゃられているか理解できず……!」
「お気持ち、わかります」
「えっ……?」
「私も、お嬢様の幸せが何より大事で、応援したい気持ちは山ほどあるんです。ですが……ですが……!虫だけは……!」
「あなたも……?」
「同志ですわ……」
しばし、無言で見つめ合う。
背後では殿下とお嬢様が楽しそうに虫の生態について語り合っています。護衛騎士と私は、完全に心が通じ合っていました。
「私はこの前、お嬢様が“この虫、寝相がかわいいの”とおっしゃられて。虫の寝相って何……?と意味がわからず混乱して固まってしまいました」
「わかります……!殿下も昔、標本のコレクションを一つ一つ懇切丁寧に語り続けて五時間……正直、今まで経験したどんな戦いよりも苦しいものでした……!!」
主の事をどれだけ愛していても、その趣味が理解できず苦しんでいる仲間なんです。そんな人が自分の他にもいたなんて涙が出そうになります。
「この虫、成虫になってからの寿命がすごく短いんだ。見つけられたのは運が良いね」
「ええ!今日は良い日になりそうです」
その横では、お嬢様と第三王子殿下が幸せそうに笑いあっておられました。
* * *
「こんなに楽しかったのは生まれて初めてかもしれない」
「わ、私もです!」
「今度また会えるかな?ぜひ、僕の標本を見てもらいたくて」
「そんな素晴らしいものを見せていただけるのですか!?夢見たいです!」
嬉しくて、楽しくて、価値観が合うってこんな素晴らしい事だったなんて。今まで話せば気味悪がられたし、理解されたことなんてありませんでした。
涙がポロポロと溢れてきます。
「あ、あれ」
今までの孤独だったことを思い出した苦しさと、今日の嬉しさが混ざって、上手く言葉になりません。
そんな私を、オリオン様はそっと抱き寄せました。
「……エクレール。君が好きだ。もしよければ……僕と婚約してほしい」
私たちは先ほど出会ったばかりです。ですが、オリオン様の気持ちが十分に理解できるぐらい、私も同じ気持ちでした。
私は、できる限りまっすぐに見つめ返しました。
「……こんな嬉しいことが、本当にあるのでしょうか」
「僕にとっても……もう忘れることのできない幸せな時間だった」
私はそっと息を吸いました。話すのは苦手でしたが、絶対に私も気持ちを伝えたいと思いました。
「……私も、好きです。オリオン様。ずっとあなたと一緒にいたいです」
ほんの小さな声でしたが、今までで一番、はっきりと言えた気がしました。
その日からオリオン様とは、一緒に過ごす時間が増えていきました。オリオン様と共にいる時間は幸せに満ちていますが、あまりに早く時間が過ぎていくため、別れがいつも寂しくなってしまいます。
二人でよく庭園を歩き、一緒に小さな虫を眺めています。殿下は大きくて強い虫が好きだそうで、そういうところはやっぱり殿方なんだなと思います。
私は蝶々のようなふわふわした虫が好きなのですが、淑女らしくて可愛いと褒めてくださいました。
私の侍女や、殿下の護衛騎士の方が困り顔でお互いを見合ったり、小さく悲鳴をあげるほど虫に夢中になってしまうこともありましたが……
オリオン様とどれだけ一緒にいても話が尽きることがありません。好きなことを共有する幸せを身をもって感じていました。
いつしかそれが噂になり、周囲の人々も、少しずつ私たちの関係を受け入れてくださっていたようです。
……ただ、一人だけ、私たちの縁を受け入れようとしない方がいました。
第一王子ジャスパー殿下です。
婚約の話が王宮に届いたその日、殿下はオリオン様を呼び止め、半ば強引に自室に連れ込みました。
「……オリオン。 “あの虫好き公爵令嬢”と婚約すると聞いたが、まさか本当ではあるまいな」
「本当です、兄上。僕は正式に申し込みました」
その返答を聞いた瞬間、ジャスパー殿下の表情がはっきり変わりました。
「ありえない。冗談にも限度がある。王家の伴侶とは、国の象徴となるべき存在だ。 それが庭に這う虫に微笑むような気持ち悪い女であってたまるか」
「エクレールは――」
「黙れ」
オリオン様の言葉を強く遮って言いました。
「お前の意見など聞いてはいない。王家の格式を汚すな。 私が王太子として、絶対に許さぬ」
続けざまに殿下は、自らの手で机の上の書類を払い落としながら言いました。
「お前にはもっと王族に相応しい相手を見つけてやる。あんな気持ち悪い女とはもう関わるな。これ以上逆らうなら、あの女を王都から追放してやる」
言い放つだけ言い放つと、殿下は踵を返し、扉が閉じるまで一度も振り返りませんでした。
* * *
私は侍女のミリアです。
好きなものは、読書とお嬢様を愛でること。
まるで、恋愛小説から出てきたようなお嬢様とオリオン殿下を見ていると、それだけでご飯が何杯でも食べられそうです。今日もお二人で庭園を散策中なのです。
「まさか兄上に反対されてしまうなんて」
エクレールお嬢様とオリオン殿下がお二人で話をしているのを後ろで控えながら聞いています。ジャスパー殿下に反対されてからというもの、たびたびこうやって作戦会議のようなことをしておられます。
「困りました。でも……どうしても諦めたくありません。こんなにも一緒にいたいと思ったのは生まれて初めてなんです」
「僕もだよ。もう君と知り合っていなかった時に戻るなんて絶対できない」
「なんとかして認めてもらわなきゃ……」
「何年かかってでも、僕は絶対に諦めない。でもどうしようか……」
二人は必死になって考えておられます。気持ちはわかります。こんなに相性が良い人とはもう二度と出会えないかもしれません。
「きっとちゃんと説明すればわかってもらえますわ。そうだ!贈り物をしましょう!」
「贈り物?」
「虫です。この虫たちのかわいらしさ、良さがわからないから反対していらっしゃるんだと思うのです」
ゴホッゴホッっと殿下の護衛騎士がむせました。私も雲行きの怪しくなった話の流れに、嫌な汗が噴き出て来ました。
「それは良い考えだ!虫の良さをわかってもらえれば認めてもらえるかもしれないね」
二人はなまじ価値観が合うだけにズレたら修正が全く効きません。危険です。
「殿方が好きそうな虫……どんなのがいますでしょうか?オリオン様が好きな、黒くて大きい虫がいいですよね?」
「そうだね、やっぱりロマンがあるよ。光沢がある虫とかが、良いよね」
強い虫とかに憧れる少年はいるかもしれませんが、あのジャスパー殿下が喜ぶとは到底思えません。
「そうですよね!そしたら黒くて大きくて光沢のある、触覚が生えてて素早く動くあの虫をいっぱい捕まえて箱に入れてプレゼントしましょうか!」
ちょっ……!背筋が粟立った。そんな虫、ひとつしか思いつかない。護衛騎士さんも目を見開いて固まっている。
「ゴ……」
「センシティブ!!!」
つい声が出てしまった。割り込んでしまった。間違っても従者がやって良いことではないですが、それどころではありません。
「お、お嬢様!?正気ですか!?そんなに殿下を恨んでいらっしゃる!?」
二人して顔を見合わせて小首を傾げている。
「その禁忌の黒光り虫をばら撒いてざまぁとか前代未聞ですよ!?」
「ざまぁ…?」
「し、失礼しました。小説の読みすぎでして。それよりなんでよりによってその禁忌の虫なのですか。普通にかぶと虫とかで良いじゃないですか」
「かぶと虫は今の時期あまりいませんので…それよりもっと身近な虫のが良いじゃないですか」
「素早くて、生命力も強い、逞しい虫だよ」
「そう思っておられるのは世界中であなた方二人だけです!もういっそひと思いに暗殺してあげてください!」
「何言ってるんだ!傍若無人でも僕の兄だ!そんなことできない。何年かかってもちゃんと言葉でわかってもらいたいんだ」
「どの口でおっしゃっているんですか!何年かかるどころか一撃必殺で一生のトラウマです!」
不敬?それどころではありません。やろうとしてることはもう説得でもなんでもなく、ただの実力行使です。なんらかの罪になる気がします。
「何を言ってるんだろう」
「何を言っているのでしょう」
お嬢様と殿下は二人して顔を見合わせています。
やばい。やばいですって。通じてないんですよ。
護衛騎士さんの方を見る。
「どう思いますか?」
「……断頭台の方がいくらかマシかと」
「……ですよね」
青い顔をしながら頭を抱える。
真剣な顔して語る二人にはもう、私たちの言葉は届かない。
ああ、お嬢様。こんなに素敵で可愛らしくてまぶしくて優しいのに、その感性、感性だけは……
その夜、王宮に大きな叫び声と悲鳴が響き渡ったそうです。
* * *
あれ以来、第一王子ジャスパー殿下が私たちに干渉してくることは、ぱたりと無くなりました。廊下で姿を見かけてもまるで天敵に気づいた虫のようにぴたりと固まり、次の瞬間には壁際をカサカサとすべるように姿を消していきます。
あの夜の“事件”が、よほど堪えたのでしょう。もちろん、あの騒ぎのあとでオリオン様と私は王妃様に呼ばれ、しっかり叱られました。侍女のミリアと護衛騎士の方の話をもっとちゃんと聞けばよかったと反省しました。
ですが元々王妃も、ジャスパー殿下の高圧的な振る舞いに苦慮していたそうで、最後には、まあいい薬になったでしょう、と静かにおっしゃり、それ以上は何も咎められませんでした。
あの子たち……虫たちにも、
「殿下の寝室には、もう行ってはだめですよ」
と真剣に言い聞かせました。通じているかどうかは……わかりませんけれど。
*
季節がひとつ巡ったころ。
王都の庭園は新しい芽吹きに満ちて、柔らかな陽光が差し込んでいました。
私とオリオン様は正式に婚約し、みなは祝福してくださいました。塞ぎ込んでいた時が嘘のように、毎日楽しく過ごしています。
私のことを理解してくれている人が一人でもいる。その事実が、私の心に自信と余裕を与えてくれます。おかげで前よりも少しだけ人付き合いが嫌ではなくなりました。
「そういえば……ご存じですか?私の侍女のミリアと、オリオン様の護衛騎士の方……」
「うん、聞いたよ。結婚されるんだって?」
「はい。なんだか……あの日以来、急に仲が良くなりまして」
あの夜、ミリアと護衛騎士の方が肩を抱き合いながら、
「……このままでは、お嬢様と殿下が何をしでかすかわかりません!」
「わかります! 今後は密に連絡を取り合い、暴走を未然に防ぎましょう……!」
と、涙ぐみつつ協力体制を築いていた光景を思い出します。その結果仲が深まり、結婚したと聞きました。ある意味虫のおかげかもしれません。
「彼、ずっと言えなかったんだって。“虫だけはどうしても無理だ”って。そうとは知らず色々付き合わせて悪いことしたな。でもミリア嬢のおかげで、だいぶ救われたらしいよ」
「ミリアも……一人では背負いきれないってよく言っていましたから。本当に、よかったですわ」
オリオン様は少し照れたように笑う。
「僕たちより早く心が通じ合ったのかもしれないね」
「まあ……そうかもしれませんわね」
隣を歩くオリオン様がそっと私の手を取りました。
「……実はね、これを渡したかったんだ」
差し出された小箱を開くと、中には、金色の蝶の形をした髪飾りが収まっていました。
「本当は本物の方が良いかと思ったんだけど、母上に禁止されたからね。でも、どうしても君に蝶を渡したかった。これなら叱られずに済むだろう?」
「……わたしも、同じことを考えておりましたの」
私はそっと懐から小さな包みを取り出しました。
「どうぞ……オリオン様に」
包みを開くと、そこにはカブトムシの刺繍がされたハンカチがあります。
「本当は本物を贈りたかったのですが……その、代わりです。私が刺繍したハンカチです」
「ありがとう……エクレール。僕たち、考えることが全く一緒で笑っちゃうね。愛してるよ、エクレール」
「私も愛してます。オリオン様」
ラブとコメディでした。
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