推しよ、どうか死なないで 転生薬師は愛する推しを守りたい
推しが死んだ。
オタクなら誰しも一度は身に覚えがある言葉だろう。
私はいわゆる、アニメもソシャゲも漫画も、ことごとく推すキャラが死亡ENDを迎えるタイプのオタクだった。
バトル漫画では終盤で主人公を庇って退場し、ソシャゲでは実装を期待していたキャラが途中で死ぬ。
誰も彼も死んでいく。志半ばで討たれるストーリーばかりで、到底納得できない。
だが、度重なる推しの死に疲れ果て、ハッピーエンドifや現代転生ifの二次創作ばかり狂ったように描き続ける毎日の中、私は新しい推しと出会った。
ファンタジー系アクションRPGソシャゲ、「ディアレストナイト」(通称ディアナイ)に登場する、「集眼の騎士・シリウス」。
彼との出会いは何気なく流れてきた広告からだった。
黒衣を纏った剣士で特徴的な眼帯、美しい容姿にどこか憂いを帯びた表情。
全て私のストライクゾーンにヒットしており、さらに実はスイーツに目がなく、単独行動を好む割には面倒見が良いなど、オタクの大好きな「ギャップ萌え」要素まで。
さらにさらに、故郷を滅ぼされ復讐のために旅立ったという、これまたオタクの大好きな「重い過去」持ちである。
もちろんキャラ・武器は課金し、グッズ収集やリアルイベントの参加も欠かさず、ファンアートも毎日のように描いた。
あの日からSNSのタイムラインは全てシリウスで埋め尽くされ、同担のオタクたちと日夜語り合う日々を送っていた。
だが悲しいかな。
例によって、彼もまた悲劇的な死を迎えた。
ストーリーでいよいよ故郷を滅ぼした宿敵と対峙したと思いきや、苦闘の末、宿敵もろとも深淵の谷底へ沈み死んでしまったのだ。
彼は確かに復讐という悲願を果たしたのだ。自分自身の命をもって。
推しの願いが叶ったことへの喜びと、死への悲しみ。
感情はぐちゃぐちゃだった。とにかく咽び泣き、喚くことしか出来なかった。
だが、ただキャラが死ぬだけなら、復活の望みはあった。
そういうことができる世界観だったからだ。
キャラクターたちは魔法使いだけでなく、騎士や魔人と、様々な種族や力を持っている。
もちろん、強い治癒魔法であったり、不死身の能力だって存在する。
そのため、今後のストーリー次第ではシリウスは深淵の力を手にし、復活して戻ってくるのではないかと噂されていた。
ゲーム内の至る所にあるフレーバーテキスト、PV、次の展開などからありとあらゆる可能性を考察し、同担たちとシリウス生還を待ち望んでいた。
だが、本当の別れは突如として訪れた。
サ終である。
ディアナイはサービス終了を迎えてしまったのだ。
推しの死を通り越して、コンテンツの死である。
運営元が代わりストーリーやグラフィック重視の方針から露骨な集金重視に切り替わり、 激しいインフレ、更新ごとに粗が目立つようになったストーリー。
このソシャゲ戦国時代において、ユーザーが離れていくのはあっという間だった。
「せめてストーリーは最後まで読ませて!」
それが私の覚えている、「前世」での最後の言葉だった。
「こら、イーリン! あなたまたこんなところで昼寝して!」
おばあちゃんの声が聞こえて、私はハッと目を覚ました。
ぼやけていた視界はゆっくりとクリアになり、目の前で白髪の美少女が腰に手を当てぷんぷん怒っているのが見える。
「ふぁ……おばあちゃん、おはよう。ごめん、天気が良いからついうっかり」
私、イーリンには前世の記憶がある。
と言っても、亡骸に他者の魂を宿らせ生き返らせるという禁忌の術により、この世界で新たな生を受けたのだ。
そう、この「ディアレストナイト」の世界に。
目覚めた時はそれはもうびっくりした。
私を抱きしめて涙を流している美少女は、ディアナイの人気キャラ、「長寿の薬師・オフィーリア」だったのだから。
寄りかかっていた木から身体を起こし、ぐっと伸びをする。
どうも私は不完全な転生のおかげで魂も記憶も前世のまま、肉体だけがこの世界の人間というおかしな状態で育つことになった。
術を使役していた人たちは禁忌の力の代償としてその場で命を落としたらしく、目撃者だったオフィーリアに拾われ、孫娘として育てられることになった。
自分の名前も術を使った理由も分からないままで、オフィーリアが助けてくれなかったらすぐに死んでいただろう。
ちなみに、オフィーリアは数千歳を超える不老の種族だが、自認はおばあちゃんだ。
ディアナイの主人公からもおばあちゃん呼びされていた。
「風邪ひくからやめなさいって言ったでしょ! それより、起きたのならおつかい行ってちょうだい。いつものお店に届けてきて。あと、メモ入れといたからお買い物もね」
「はぁい」
「余ったお釣りは好きにしていいけど、お菓子ばっか食べちゃダメよ」
「はぁい、分かってるって」
オフィーリアから薬瓶の入った籠を受け取り、街までの道へ歩き出す。
彼女は薬師であるため、街の人々に薬を卸しているのだ。
しかしオフィーリアは引きこもり生活を謳歌したいとのことなので、馴染みの客にはおつかいと称して、私が配達を担っている。
オフィーリアの家は森の中にあり、付近の街までは少し歩く必要があった。
ゲームの中で通った道を自分が歩いているのは、何年経っても新鮮で楽しかった。
ちなみに、イーリンはもちろん主人公ではない。
そんな名前のキャラもいないし、オフィーリアに孫娘などいなかった。
つまり、私は原作にいないキャラ、モブなのだ。
今のところディアナイのキャラはオフィーリアと彼女に関係のあるキャラしか会っていないが、異邦の魔法使いの噂をよく街で耳にするあたり、主人公はどこか別の国でまた活躍しているのだろう。
主人公、つまりプレイヤーは見習いの魔法使いとして魔法の道を極めるために各国を巡る旅に出るというストーリーだった。
(シリウスも、この世界のどこかにいるのかな……)
私自身は主人公と関わりがなく、正直、今がディアナイのストーリーのどの辺りなのかが断定しきれず、シリウスの生死は分からなかった。
オフィーリアと主人公の接点も、本来ならプルヴィアで起こる事件を解決するため主人公がオフィーリアの元を訪ねるという流れだが、オフィーリアは自ら出向き、主人公に協力していた。
数日間留守を任されたと思いきや、王城の方で大きな事件があったと噂を耳にし、主人公に会うチャンスをみすみす逃したのだと、その時やっと気づいたのだ。
もしシリウスと会えたら……と何度も考えたが、オフィーリアとシリウスに接点はなく、登場する章も全く違う。
プルヴィアのストーリーは3章だから、もしかするともう7章辺りまで進んでいたりして、なんて想像するしかない。
そもそもこの国は海洋国家プルヴィアであり、シリウスはプルヴィアを訪れた描写はなかった。
結局のところ、おばあちゃんの元にいる限りシリウスには会えないのだ。
「あーあ……せっかく生まれてきたのに、切ないなぁ」
街に着けば人々の喧騒の合間から、潮風の香りが漂ってくる。
この街は港までほど近く、いつも海の香りがした。
「おうどうしたイーリン、また独り言か?」
ぱっと振り向くと顔なじみの大工の男性が。
「アンドリューさん! なんでもないの。それより、ちょうど良かった。今お家まで訪ねに行くところだったの。はい、頼まれてたお薬」
うっかり独り言を聞かれてしまったが、顧客のうちの一人であるアンドリューに会えてよかった。
腰痛によく効く薬を渡すと、彼は大喜びで去っていく。
「おお、もう持ってきてくれたのか! 助かるぜ、この薬があれば怪我がすぐに治って仕事に復帰できる。オフィーリアさんにも伝えといてくれ」
「うん。アンドリューさんも、また怪我しないように気をつけてね」
「分かってるさ! ありがとよ!」
オフィーリアは長命種、いわゆるエルフにあたる種族だが、街の人間には分け隔てなく接し、どんな簡単な依頼でも請け負う。
森の中で暮らしているのは静かな場所が好きなだけで、相手が困っているのなら遠慮なく助ける人物であり、街の人からの評判も高かった。
「あらイーリンちゃん。オフィーリアさんのおつかい? 今ちょうど採れたてのバブルベリーがあるのよ、よかったら持っていって!」
「おおイーリンじゃないか、この間はどうもありがとう! なに、おつかい? ならいくらでも野菜おまけしてやるよ、ほら持ってきな!」
「まあイーリン、ここで会えるなんて思わなかったわ! この前の美容液なんだけど、またオフィーリアさんにお願い出来ないかしら? あっ、このローズタルト焼きたてなの。良かったら食べて」
街を歩いて1時間足らずで、私は見事に荷物まみれになった。
ファンタジー世界らしい食べると弾ける食感が楽しいバブルベリーは籠いっぱいに。
野菜は買った覚えのない種類のものがちらほらと混ぜられ、バラの形をしたかわいい名物タルトはその場で美味しく頂いた後にオフィーリアの分も持たされた。
「おばあちゃん、人望高すぎ」
これがいつも通りの日常だった。
人望が高すぎるがゆえ、歩くだけで人が寄ってくるものだから、オフィーリアがことあるごとに私を働かせるのも頷ける。
オフィーリアの役に立てるだけでなく自分まで得をしてしまって、なんだか本当にこれでいいのか、首を傾げたくなりながら私はのんびり帰宅した。
転生となると、とてつもない能力とか、秘められた力とかあるものだとばかり期待した時もあったが、どうも私はそういったものとは無縁だった。
ただ生まれが禁忌の術というだけで、特別な魔法も使えず、せいぜい薬師見習いとして修行に励むぐらい。
作中に登場しないキャラなら、これといった能力を持っていなくても仕方がないのだろう。
「主人公は予言の使命を背負っていたけど、私にもそういうのないのかなぁ……」
ディアナイの主人公が旅をするのは、魔法の道を極めるための修行だ。
だがその大元の理由としては、『深淵に失われた伝説の魔法を復活させよ。さすれば、そなたは真なる姿を取り戻す』という予言からだ。
ファンの間では主人公は深淵から生まれた存在なのではないかと様々な考察がされていたが、完結前にサ終したので真相は闇の中だ。
とはいえ、人は誰しも生まれた意味を持つというテーマは定期的にゲーム内でも取り上げられている。
だから、特殊な出自の私にも生まれた意味、使命があるのではないかと期待していたのだが、やはりそういうものは自分自身で見つけなければならないのだ。
「やっぱ私の使命って、おばあちゃんの配達なのかなぁ――――――っ!?」
などと言いながら、木々の間を歩いていれば。
「え? 人……!?」
木の根元に誰かが倒れている。真っ黒い布を全身で被っていて、一体何が落ちているのかと飛び上がって驚いてしまった。
よくよく見れば手足が出ており、サイズからして人間だと分かる。
「生きてる、よね……? ど、どどどうしようこんなの、えっと、あの」
まさか死体では、と考えただけでも震え上がってしまう。
しかし、出発した時にはいなかったはずだ。
帰ってくるまでの短い間に、ここで倒れてしまったのだろうか。
「だ、大丈夫ですか?」
恐る恐る声をかけながら、そっと布を剥ぎ取る。
「うそ」
布の下は確かに生きている人間だった。
若い男性で、しっかりと呼吸はしている。怪我を負っている様子もない。
だが、その見覚えのある黒髪に、美しい顔、そして特徴的な眼帯は――――――。
「シリウス、なの……?」
紛うことなき、私が愛したあのシリウスだった。
転生したと思ったら、行き倒れている推しを拾ってしまうなんて。
私の使命は、ようやく現れたらしい。
「お菓子買っちゃダメとは言ったけど、人間拾ってもいいとは言ってないわよ!」
行き倒れているシリウスをなんとか引きずりながら帰宅したが、オフィーリアは白目を向いて天を仰いでいた。
だが人情に厚い彼女がシリウスを追い出すことはなく、診察の後に目が覚めるまでは家で看病することになった。
外傷はないとのことだが、オフィーリア曰くシリウスの体の右半分は『深淵の闇』に侵されているという。
深淵の闇、それはこの世界に蔓延る瘴気だ。
人間や魔獣の死体、過剰な魔力反応による土壌の汚染、そうしたものから生み出され、生命体が地上に存在する限り消滅することは無い。
ゲーム内でも、闇に呑まれて変異した魔獣を討伐することは何度もあったし、時には人間もそうなることもあった。
強大な力を欲し、自ら深淵へと堕ちていくが、その力を操ることが出来ず破滅してしまったという話だ。
だがこの描写により、シリウスならば力を操ることが出来るのではないかと考察されたため、生還を待ち望む声も大きかった。
「まさかこんなことになってたなんてね……」
シリウスは時々うなされているようで、こまめに汗を拭ってあげていた。
元の服はぼろぼろだったため、簡素な病衣に着替えさせた。
首元を緩めてあげれば、その下に傷跡のようにも見える黒い紋様がびっしりと刻まれているのが見える。
右手の指先まで黒く染まってしまって、見ているだけで痛々しかった。
きっと故郷の夢でも見ているのだろう。
シリウスは元は魔法使いを志す平凡な村の少年だった。
だがある日突然帝国軍により故郷は焼き払われ、家族も友人も全て喪い、一人だけ生き残ったのだ。
犯行は過激派の派閥によるもので、村の地下に眠る魔鉱石が侵略の真の狙いだったが、村人たちの死体により土地は深淵の闇に呑まれ、足を踏み入れることすらできなくなった。
彼が孤独と苦痛に長年苦しめられてきたことはストーリーで何度も読んだが、ぼろぼろに荒れた手や傷んだ髪、至る所に残された傷跡の数々は、実際に目の当たりにすると心が苦しくなる。
「でも、生きていてくれて本当によかった……」
そっと髪を撫でる。あれから何日も経ったが、シリウスはまだ目覚めない。
彼を苦痛から救ってあげたいのに、今の私に出来ることはそれぐらいしかなかった。
「目が覚めたら、あなたの大好きなハニートーストを作ってあげるからね」
シリウスの大好物、ハニートースト。
ふわふわのトーストにバターとはちみつをたっぷり乗せ、アイスクリームに色とりどりのフルーツも添えた一品。
ディアナイはキャラに好みの食べ物をあげると専用ボイスで喜んでくれるシステムがあり、何度もハニートーストを製造してはシリウスの口元へせかせか運んでいた。
もしあの笑顔を目の前で見ることができたら、どんなに幸せだろうか。
そう思いながら、そっとベッドから離れる。
だが、その時だ。
「……っ」
シリウスがゆっくりと目を開けて、口を開く。
あの赤い美しい瞳と目が合った瞬間、私は崩れ落ちそうになった。
「っ、ゴホッ……」
「あわわわ! お水! お水飲んで!」
慌てて傍に置いていた水差しからコップに水を移して渡す。
震えている場合ではない。シリウスが身体を起こすのを助けながら、暴れ出す心臓をなんとか押さえ込もうとする。
「だ、大丈夫?」
「あんたは……」
徐々に覚醒してきたのか、シリウスが私を見る。
「あ、あの、外の森で倒れていたのは覚えてる……ますか? えっと、私とおばあちゃん、オフィーリアは薬師であなたを看病させてもらって……」
わたわたと慌てすぎて要領の得ない説明になってしまったが、シリウスは納得してくれた。
「あぁ……思い出したぞ……。そうか、俺は……」
なんていい声。最高だ。
ボイスそのままの同じ声が聞こえてくる。
シリウスは少し考え込んでから顔を上げる。
「助けていただき感謝する。本当にありがとう。俺の名は……っ!?」
「っ、ほんとに……! 生きててくれて……ありがとう……!」
あ、ダメだ。そう思った瞬間、私の両目からぽたりと涙がこぼれ落ちていた。
「う、うわぁぁぁん!」
「なっ、なぜ急に泣く!?」
目の前で動いて喋っていて、私の目を見ている。
それだけでもうあまりの嬉しさに涙腺が耐えきれなかった。
私がこの世界に生を受けた理由は、きっとシリウスを助けるためだったのかもしれない。
生きてさえいてくれればと何度も願ったが、シリウスは闇に負けなかったのだ。
私の惚れた強い信念の込められた眼差しは、失われることはなかったのだ。
「お、おい……急にどうしたんだ……」
突然泣き出した私にシリウスは困惑してしまっている。
でも涙は止められなかった。
早く泣き止まなければいけないと分かっているけれど、困っているシリウスも可愛かった。
そうして騒いでいるとオフィーリアがやって来てこの状況に目を丸くするのであった。
それからシリウスは順調に回復し、昼間はオフィーリアの仕事を手伝ってくれるようになった。
どうしてあんな所で倒れていたのかと聞いてみたのだが、なんと驚くことに。
「深淵の闇に侵された身体を治すため、長寿の薬師に会いに来た」
ということだった。だが途中で力尽きて倒れてしまったというわけだ。
私が考えていた通り、シリウスはあの決戦の後に闇に抗い力を得たものの、代償としてかなりの身体的負荷に苦しめられていた。
そこで、有名なオフィーリアを頼って遠路はるばるここまで来たという。
「どうしてうちのおばあちゃんに?」
ヒーラーキャラならもっと他にも……と思ったが、プルヴィアどころか近くの街から出たこともない私が知っていたら不自然なので名前は挙げなかった。
「知り合いから……長寿の薬師殿を頼れと教えてもらったんだ」
さすがにおばあちゃんでもここまで闇に染っていると治せないが、薬はかなり効果があったようで痛みは和らいでいるという。
知り合いというと、やはり主人公だろうか。私の読めなかったストーリーで、二人は再会できたのだと思うとまた泣いてしまいそうだった。
今日もまたシリウスは私たちのお手伝いをしてくれている。
薬草詰みを頼んでいたが、戻ってきたシリウスは大収穫といった様子だった。
「ほら、探してた薬草はこれで合っているか?」
「わっ、こんなにたくさん! ありがとうございます! すみません、病み上がりなのに疲れるお仕事頼んじゃって……」
「別にいい。寝てばかりじゃ体も鈍るからな。鍛錬のついでだったから、大したことじゃない。あんたのためならこれぐらいやすい」
ううっ、推しがこんなにもかっこいい。
流れる汗すら宝石のごとく煌めいている。
でもこんなに大きな体なのに、しゃがみながらちまちま薬草を集めている姿はとっても可愛かったんだろうなぁ。
ああ、観察して絵に残したかった。
「あの、シリウスさん。食べたいものはありますか?」
タオルを渡しながらそう聞くと、シリウスは少し困ったように眉を下げる。
「いや……今は特に……。まだ味覚があまり戻っていないんだ」
「そ、そんな!? じゃ、じゃあ欲しいものとか、えっと、したいこととか」
「鍛錬、ぐらいだろうか……」
ハニートーストを食べてほくほくしている可愛いシリウスを眺めるのはまだお預けだと。
ガックリと膝を着く私を見て、シリウスはなぜかくすりと笑った。
「別に、そんなに気を遣わなくていい。それに、敬語なんて使う理由もないだろ。もっと気楽に接してくれ。あんたは俺の大事な……命の恩人なんだから」
「はわぁぁぁぁぁ……」
そ、そんな優しい顔をされたら世界中の乙女がときめいてしまう。
私の奇行には慣れたのか、シリウスは呻き声を聞いても苦笑するばかりであった。
「イーリンは今日も楽しそうだな」
「お、おかげさまで……!」
こっちはシリウスから名前で呼ばれることにまだまだ慣れない。
シリウスは元々面倒見の良い性格というものあって、私にはすごく優しかった。
シリウスと同居していると言うだけでも夢のようなのに、名前で呼んでくれる上、困っている時は助けてくれる。
冷淡なように見えて優しくて誠実な性格というギャップに萌えていた私からしたら、日夜萌祭り状態で供給過多としか言いようがない。
ともかく、この笑顔を今すぐ描き記さなければ。
推しの微笑みを噛み締めながら、ふらふらと自室に置いてあるスケッチブックを取りに行こうとするが、その途中でオフィーリアに捕まえられた。
「ちょっとイーリン」
「おばあちゃん。今いいとこだから邪魔しないで」
「あなた……あの男の子に恋してるの?」
「えっ!?」
夢心地から一気に目が覚める。
オフィーリアは複雑そうな顔をして、眉間に皺を寄せていた。
「えっ、いや、そそそんな恋なんて! ただ、その、シリウスはとっても素敵な人だし、かっこいいし、魅力的だし、この世界で一番カッコイイお兄さんなのかもしれないけど、そんな、私が恋なんて恐れ多いよ!」
「あーもういい分かった。聞いた私がアホだった」
「おばあちゃん!?」
オフィーリアは深々とため息をつく。
「あのね、あの人だけはダメよ」
「……え?」
予想外の言葉に、私は呆然としてしまった。
「あなた自分がどうやって生まれたのか、忘れたとは言わせないわよ。深淵の闇の力による禁術で、この世界に魂を呼び寄せられた人間が、深淵の闇に侵された体を持つ男となんて、何が起こるか分からないじゃない」
「で、でも一緒に暮らしてるのに何も起きてないよ。それに、私には力は何も残ってないって……」
「私が封印したのよ! 禁忌の術で生まれたなんて知られたら、周りからどんな扱いを受けるか分からないじゃない! 一生懸命魔法の練習をしてるあなたには悪いと思ったけど、普通の女の子として生きるためにはそうするしかなかったのよ」
「私を守るために……そうだったんだ……」
そんなこと、全然知らなかった。
いや、私に負担をかけないためにわざと黙っていたのだろう。
オフィーリアは私の知らないところで、ずっと私を守るために手を尽くしてくれていたのだ。
「それに、あの子はどう考えたって只者じゃない。良い人なのは分かってるけど、恋仲になるのなら話は別よ。大事に守ってきた孫娘を差し出せるような相手じゃないわ!」
オフィーリアの気持ちも分からなくは無い。
私にとってのシリウスは前世からの最推しで、生い立ちや性格まで全て知っているけれど、オフィーリアにとっては身元の分からない怪しい人物でしかない。
「……でもそれなら、思うだけなら自由なんでしょ」
「どういうことよ」
「だってシリウスは私に恋はしない。シリウスは優しいからそう見えるだけで、私はシリウスの特別な存在なんかにはなれない」
「どうしてそう言い切れるの」
「根拠は無いけど……でも、分かるもん」
「ちょっと待ちなさい!」
オフィーリアを振り切って、私は自室へ駆け込んだ。
シリウスはこれまで特別な関係を誰かと築くことは良しとしていなかった。主人公でさえ、何度も共に戦い時間をかけて信頼を得ていた。
彼は帝国軍に追われている身であり、周囲を危険に晒さないためにも一人で旅をしているのだ。
たとえ私が助けた恩を理由にシリウスに迫ったとしても、彼が頷くことはないだろう。
だが、膝を抱えてうずくまっていた私には、オフィーリアが言い残した言葉が聞こえていなった。
「イーリン、あの子があなたをどんな目で見てるのか、気づいてないの?」
翌朝、シリウスは書き置きを残して出ていってしまった。
私たちの会話を聞いていたのだ。
『世話になった。この恩は忘れない』
それだけ残して、彼は忽然と消えてしまった。
「シリウス……! どこにいるの!」
森の中を無我夢中で走る。
彼の性格からして、人の多い街の方へ行くとは考えられない。
まだ治療だって途中なのに、薬も持たずにどこかへ行ってしまうなんて、そんなの黙っていられなかった。
どこかでまた倒れていたらどうしよう。
不安でどうしようもなくて、足取りがおぼつかなくなる。
「シリウス……会いたいよ……」
茂みを抜けて、森の中の川辺にたどり着く。
こんなところにいるわけない、そう諦めかけていたのに。
「……イーリン?」
シリウスは突然茂みから半泣きで出てきた私を見て、唖然としていた。
川辺で座って休憩していたのだろうか。
私はそのまま、シリウスに抱きつく勢いですがりつく。
「シリウス! 黙って出ていっちゃうなんて酷いよ! まだ体は治ってないのに、こんなに急に……!」
「すまない……。あんたたちに迷惑をかけたくなかったんだ」
「迷惑なんてそんなこと言わないでよ!」
また大声で泣き出した私を見て、シリウスは泣き止ませようとしたのか頭を撫でてくれた。
「本当はもっと早く出ていくつもりだったんだがな。どうにも離れがたくて……俺は弱いな」
「そんなの、気の済むまでずっといたらいいじゃん!」
「今朝も、本当は夜のうちに出て行くはずだったんだが、名残惜しくて。まさか、ここまで追いかけて来てくれるとは思わなかった」
シリウスは私を隣に座らせると、おもむろに何かを差し出す。
「これ、イーリンに教えてもらってから結構気に入ってたんだ。味はまだよく分からないけど、食感なら分かるから」
「バブルベリー……」
それはいつか、私がシリウスに食べさせたものだった。
バブルベリーはプロヴィアの果物だから、シリウスは珍しそうに食べていた。
もらった一粒を口に含むものの、悲しいぐらいに甘かった。
「食べながら、イーリンのことを考えていた。そうしたら、本物が現れたから驚いたよ」
「シリウスは、どこへ行くつもりだったの……?」
「旅の目的はもう果たしたんだ。帰る場所もないからな。どこかへ気の向くままに旅を続けるしかない」
「帰る、場所……」
彼の故郷は、もうとうの昔に失われている。
「俺は本当なら、とっくに死んでいるはずの人間だったんだ。正直、心のどこかでいつ死んでも構わないと思っていた。残りの人生で死に場所を探すのも悪くないだろう」
シリウスの表情はずっと穏やかだった。
けれど、あまりに儚くて、今度こそどこか遠くへ消えてしまうような気がして。
「嫌!」
私は大声で叫んだ。
「シリウスがもう一度死ぬなんて、そんなの絶対に嫌!」
「イーリン……」
「今までずっと苦労してきたんだから、もっと幸せになってくれなきゃ許せない! 死んでも構わないなんて、そんなこと言わないでよ! あなたが死んだら悲しむ人が、世界中にたくさんいるんだから、自分を犠牲にするようなことは二度としないで!」
シリウスのこれまでの長い旅は、全て自分を犠牲にしてきた辛く苦しいものだった。
やっと宿敵を倒したというのに、幸せを諦めて死んでしまうなんて、そんな結末はなっとくできない。
「私はあなたに幸せになって欲しいの! その為なら、どんなことだってできるぐらいに、あなたのことが大切なの!」
「どうしてそこまで……」
「あなたのことが、大好きだから!」
なりふり構わず叫ぶ私を、シリウスは静かに見つめる。
「それは、前世とやらに関係があるのか」
途端、呼吸が止まってしまった。
「すまない。オフィーリアから聞いていたんだ。あんたの前世の記憶について……」
シリウスは、私に前世の記憶があることを知っていたのだ。
「……そう。私はもうずっと前から、あなたをよく知っていたの」
前世ではこの世界は有名な物語で、私はあなたのファンだった。
掻い摘んで分かりやすいように説明すれば、シリウスは納得したように頷いてくれた。
「ずっと不思議だったんだ。あんたが俺に、特別な感情を向けてくれる理由が……」
「私はきっと、シリウスに会うためにこの世界に生まれてきたの」
そう言えば、シリウスはいつものあの穏やかな笑顔を見せてくれた。
「だったら俺も、イーリンに出会うためにあの戦いを生き延びたのかもな」
そんなことを言われたら、どうしようもなくときめいてしまう。
長年推してきたのに、シリウスがこんなに甘いセリフを言えるなんて知らなかった。
「俺のことを知っているのなら、尚更ここで別れるべきだろう。俺は帝国軍に追われる身だ」
「帝国軍のオリオニスでしょ。最後にあの男と戦って、あなたは打ち勝ったじゃない」
「そこまで知っていたんだな」
「それに、帝国軍にもオリオニスと敵対してた人たちはたくさんいた。エリスにミラに、みんな正義のために戦って、帝国軍を改革しようとしてた。あの人たちがいる今なら、シリウスももう追われることは無いはずよ!」
「新体制派の連中まで知っているのか。驚いた、イーリンは情報通だな」
オリオニスの非道なやり方に抗議しているキャラは何人もいた。
彼らもシリウスを知っている描写はあったものの、実際に手を組むことはなかったが、今からでも遅くは無いだろう。
けれど、シリウスは頑なに譲らなかった。
「残党が少なからず残っている以上、油断はできない。それに、今の俺の体ではイーリンの傍には長くいられないんだろう」
「だったら、私がシリウスの体を治してみせる! おばあちゃんよりも凄い薬師になって、絶対に助けてみせるから!」
「じゃあ、その時はよろしく頼む。イーリンなら必ずできると期待しておくさ」
シリウスはサッと立ち上がると、向こうを向いてしまう。
「どうしても、行ってしまうの……?」
「イーリン。最後にひとつ訂正しておく」
シリウスは少し間を開けてから口を開いた。
「あんたは俺があんたを好きになることはないと思っているみたいだけどな、俺はとっくに、イーリンに恋をしているよ」
「えっ」
思いもよらない言葉に、私の頭は真っ白になる。
「あんだけ熱烈に愛されれば、誰だって好きになるだろ。……言わせないでくれ」
こちらを向いたシリウスの頬は真っ赤で、照れたように視線を逸らしていた。
「あっ、えっ、う、うそ」
「嘘じゃない」
「ほ、ほんとに?」
「好きだ、イーリン。またいつか会えるその日まで、俺はあんたを想い続けるだろう」
「わ、私も、シリウスが……」
そう言いながら、私の両目からぽたぽたと涙がこぼれ落ちる。
まさか自分を好きになってくれるなんて、夢にも思っていなかった。
一目会うことができたら、それだけを望んでいたはずなのに、こんなに近くにシリウスがいて私を見ている。
本当に、何もかもが自分に都合のいい夢みたいで、信じられなかった。
「イーリンはいつも泣いてばかりだな」
「だって……!」
シリウスはいつも身につけている黒手袋を外すと、右手の指でそっと涙を拭ってくれる。
看病している時に、私が何度も握っていた手だった。
「イーリン」
「……っ!」
それからシリウスは、私にくちづけをした。
唇が触れ合うだけの、ほんのわずかな瞬間だった。
けれど、私には永遠に感じるほど長い時間だった。
「甘い……」
「……え?」
思わぬ言葉に、私は驚いた。
シリウスも自分でそう言いながら目を見開いている。
比喩表現ではなく、まるで味が分かるかのような言い方だった。
驚いたのはそれだけじゃない。
「シリウス、手が治ってる」
私の涙を拭った箇所だけ、肌の色が元に戻っている。
シリウスは私に言われてようやく気づいたようで、すっかり驚いてしまっていた。
「この力は一体……」
「えーと……し、知らない……」
突然の展開に私たちの間に沈黙が広がる。
木々のざわめきと鳥たちの鳴き声をしばし堪能してから、ようやく二人とも落ち着いた。
「バブルベリーって、こんな味なんだな」
シリウスはそう言いながら笑ってくれた。
初めてのキスはイチゴ味なんて、ロマンチックでなんだか悪くないかもしれないと、そう思った。
「はぁぁぁ……ぜんっぜん帰ってこないと思ったら、そんなことになってたなんてね」
帰宅した私たちを待ち構えていたのは、鬼のような形相をしたオフィーリアだった。
私には勝手に飛び出して追いかけに行くなと、シリウスにはいくらなんでも黙って出ていって欲しいわけじゃなかったと、二人揃って説教を食らった後、状況を説明する。
どうやら、私と違ってオフィーリアには思い当たるところがあったらしい。
「深淵の闇は死より生まれ出ずるものよ。つまり、死の力により生を受けたこの子は、死の反転、再生の力を持つのではないか――――――昔、そんな仮説を立てたことがあったわ」
私の涙に触れてキスをしたことで、私の中に眠る力が目覚め、反応したのではないかとオフィーリアは考えたらしい。
「検証する術はなかったから結局力は封印したけど、まさかこんなきっかけで……」
結局、オフィーリアが最初に危惧していた通り私の力は目覚めてしまったわけだ。
それも、キスがきっかけだなんて、オフィーリアにとってはあまりに不本意だろう。
「うちの孫に手を出すなんて、責任取ってくれるんでしょうね?」
「当然、そのつもりだ」
シリウスは全く動じないどころか堂々と頷いていた。
「えーとつまり?」
「認めてあげるってこと。まあせいぜい私に追い出されないように働いてちょうだいよ」
「そうさせてもらう」
シリウスはちゃっかり腰に手を回して、私を離す気すらなさそうだ。
至近距離に大好きなシリウスがいることに加えて、おばあちゃんの前でイチャイチャなんて恥ずかしすぎるという思いでいっぱいで、私の頭の中は爆発寸前だった。
「あ、あのね……」
「どうした、イーリン」
これだけは伝えたいと、小声で恐る恐る服の裾を引っ張れば、シリウスは腰をかがめて耳元を寄せてくれる。
「これからももっとたくさん修行して、シリウスのこと、守るからね!」
「イーリン……」
やっぱり私は、シリウスを救うためにこの世界に生まれてきたんだと、何度だってそう思える。
私の使命は、きっとこれなんだ。
目覚めた力がどうなるのか分からなくて不安もたくさんあるけれど、今度こそ愛する推しを守ってみせる。
「俺も、イーリンの為なら何があっても生きることを諦めない。守られてばかりじゃ、騎士として不甲斐ないからな。これからは、ずっと一緒だ」
やっぱり、シリウスが恋人にはこんなにも甘いというのは予想外だったけど。
それから、オフィーリアの見ていない隙に頬にキスをされて、変な呻き声を上げながらスケッチブックを探しに逃げたのは相変わらずの光景だったかもしれない。
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