緑の変質者
星見市の中心部にある巨大な広場には、街の未来的な景観に溶け込むように、大型スクリーンがいくつも設置されている。最新の情報や宇宙事業の宣伝映像が常に流れ、忙しく行き交う人々の目を惹きつけていた。その日の午後も、仕事帰りのビジネスパーソンや学生たちが、足を止めては映し出されるニュースに耳を傾けていた。
「速報です。本日午後、星見市中央交差点付近で、奇妙な服装をした人物が現れ、交通を混乱させる騒ぎがありました」
ニュースキャスターの冷静で事務的な声が、広場に響き渡る。その声に引き止められ、晴人も思わず足を止めた。大型スクリーンに映し出されたのは、全身を深緑色のタイツで包み、赤い羽根のついた同色の帽子をかぶった中年男性だった。その男性は、カメラに向かって堂々と手を振り、なぜか奇妙に身体をよじるポーズまで決めている。
その姿はあまりにも突飛で滑稽であり、通行人たちの困惑した笑い声と、突然の事態に対する悲鳴が同時に混じり合っていた。どうやら、人通りの多い交差点に突然現れ、勝手に交通整理を始めた結果、自動車の流れが大混乱し、警察が出動する騒ぎになっていたらしい。
「星見市の治安は、一体どうなっているんだ……」
晴人のすぐ隣で立ち止まった若者が、呆れを含んだ声を漏らした。また、別の、この街に長く住んでいそうな中年男性は、苦笑しながら「いやあ、久しぶりに見たな、ああいう手合いは」と呟いていた。
晴人は思わず額に手を当て、深いため息をつく。追放された直後の心労も相まって、この手の事態に対処する気力は湧いてこなかった。
「……なんだ、あれは」
ファヌエルは晴人の隣で立ち止まり、スクリーンに映し出された【緑の男】の映像をじっと見つめていた。彼女は少し小首をかしげ、腰まで届く銀色の髪がさらりと揺れる。
「ふむ。あの人はとても楽しそうに見えるよ。周囲は心底迷惑そうだけど」
「いやいや、ファヌエル。楽しそうとか、そういう問題じゃないだろ。完全に交通妨害だ」
晴人は慌てて、彼女の呑気な感想を否定する。しかしファヌエルは、くすっと可愛らしく笑うと、なんとスクリーンに向かって、自分の手もちょこんと振り返した。まるで映像の向こうの人物と、本当に会話しようとしているかのようだ。通行人が一瞬、何事かと振り返るが、当然スクリーンが彼女に応答することはなかった。
「……ファヌエル、一体何をやってるんだよ」
「だって、あの人、誰かに返事をしてもらえたらきっと嬉しいと思ったから。あの緑のタイツ、一人で一生懸命でさ」
屈託のない、優しさに満ちた答えだった。晴人は思わず苦笑する。ついさっき見た、故障した清掃ロボットに一生懸命声をかけながら直していた時の彼女の姿が、脳裏によぎった。結局あの時も、彼女の手にかかると、機械たちはきちんと動き出したのだ。困惑していた人々は安堵し、ファヌエルは得意げに胸を張っていた。
今回も同じだ。自分の行動が奇妙だと人に笑われても、彼女は常に、そこに笑顔を向ける。そんなファヌエルの姿に触れて、晴人は少しだけ肩の力を抜くことができた。
映像では、緑の男が、意味の分からない陽気な歌を歌いながら、車に向かって手を振る。呆れたドライバーは怒鳴り声を上げ、ようやく警官に両腕を掴まれて連行されていくところだった。その滑稽な姿は全国に生中継され、画面下のテロップには、その男の【自称】が記されていた。
【自称ピーターパン】
「……名前それかよ。まあ見た目そんな感じだけど」
晴人は心底あきれて、苦笑を漏らした。だが、周囲の人々は、この突飛な話題で盛り上がりはじめ、次第に街全体のちょっとしたニュースになっていく気配があった。
「どう見ても、ただの目立ちたがりのお騒がせだな」
「でも、少しだけ羨ましいな」
ファヌエルがぽつりと、静かに呟いた。晴人は思わず彼女の方を振り向く。
「羨ましい? なんで、あんな迷惑な男が」
「だって、あんなに堂々と自分を表現できるんだよ? 誰に笑われようと、誰に否定されようと、本人はまったく気にしていないみたいだし。……そういうのって、すごく【強い】と思う」
そう言う彼女の瑠璃色の瞳は澄んでいて、冗談ではなく、真剣な色を帯びていた。けれど次の瞬間、ふっと口元を緩めて、いつもの可愛らしい表情に戻る。
「ね、私もローブを着たまま、あんな風に交差点で踊ってみてもいい?」と無邪気に尋ねてくる。
「いや……絶対にやめとけ。俺の社会的生命が終わる」
慌てて全力で止める晴人を見て、ファヌエルは声を立てて楽しそうに笑った。その明るい笑顔は、周囲のざわめきとは隔絶した、二人だけの別の世界を作り出すようだった。
晴人は言葉に詰まった。ファヌエルの言葉は無邪気だが、確かに真理を突いているようにも感じる。自分はどうだろう。ポシビリティが低いと烙印を押され、何をしても揶揄され、結局居場所を失った。そんな自分に、あの緑の男のような【強さ】、つまり周囲の評価を無視する行動は、到底できない。
「俺には無理だな。周囲の視線に耐えられない」
ぽつりとこぼした弱気に、ファヌエルは静かに微笑んだ。
「無理だと思っているうちは、やっぱりできないよ。……でも、師匠は、できるようになると思うな」
その言葉には、論理的な根拠は全くない。けれど、追放者として冷え切っていた晴人の心を、どこか温める力があった。晴人は曖昧に頷き、再びスクリーンを見上げる。
ニュース映像は終わり、通常の広告へと切り替わった。だが、人々の話題はしばらくの間、この【自称ピーターパン】で持ちきりになるだろう。
晴人は心の片隅で、奇妙な予感を覚えていた。あの全身緑色の変質者が、単なる笑い話や一過性の騒動で終わるはずはないと。