街にて
星見市の中心街は、今日も変わらず、人々の活気と未来的な機械の群れであふれていた。
歩道を規則正しく走る清掃ドローン、決められたルートを自律運転するシャトルバス、そして高層ビルの間に浮かぶ色鮮やかな広告ホログラム。宇宙事業推進都市の名に恥じない、洗練された未来めいた光景が、どこまでも広がっている。
その未来的な街並みを、一人の存在がまるで時を遡ったかのように歩いていた。
純白のローブをひらひらとさせ、銀の髪を揺らしながら歩く女性、ファヌエルである。彼女の姿は、周囲の近未来的で無機質な景色の中で、あまりにも場違いで、あまりにも目立っていた。
「……なあファヌエル。いくらなんでも目立ちすぎだろ。少しはローブを隠すとか、ないのか?」
晴人は声をひそめて、焦燥感を滲ませながらファヌエルに耳打ちした。
「どうして? 別に変じゃない」
ファヌエルは、事態をまったく理解していないかのような、屈託のない無邪気な笑顔で返す。周囲の通行人は、誰もがちらちらとこちらに視線を注いでいる。都市の日常的な街並みに彼女の格好は明らかに浮いていたが、ファヌエル自身にはその自覚が皆無らしい。
「変だよ。ここは科学の街だ。ここでそんな中世の聖女みたいな格好してるの、あんたぐらいだ」
「そうかな。私は、このローブが好きなんだけど」
ファヌエルにとって、それで話は終わりらしい。彼女はもう、晴人の話には興味を失い、新たな興味の対象に瑠璃色の視線を移していた。
彼女が立ち止まったのは、通りの角に設置された、最新型の自動販売機の前だった。
「これ、何? 中に飲み物が整然と並んでるけど、どうやって取り出すの?」
「見れば分かるだろ。金を所定の場所に入れたら、選んだものが出てくる仕組みなんだよ」
「へえ……興味深い」
ファヌエルはそう呟くと、顔を近づけた。自販機の光る表示パネルに、そっと指を触れる。その仕草は、まるで繊細な芸術品を撫でるかのようだった。
「……可能性の流れが、私には見える」
彼女の目が、微かに淡い光を放った。
次の瞬間、自販機の表示パネルが激しく明滅しはじめ、電子音が狂ったように鳴り響いた。画面には見知らぬエラーコードが連続して吐き出され、飲み物の見本がぐるぐると暴走しはじめる。
「うわっ!? おい、やめろ! いきなり何を始めた!」
晴人は慌ててファヌエルの細い手首を掴み、自販機から引き剥がした。
「私はただ、ちょっと中を覗いただけなのに……」
「何を覗いたんだよ!」
晴人の鋭い問いかけに対し、ファヌエルはまるで当然のことのように、さらりと言い放った。
「ポシビリティ」
通りがかりの人々が「自販機が壊れたぞ」「何だあのエラーコードは」と騒ぎはじめる。晴人は頭を抱えながら、ファヌエルを人々の視線から引きずってその場を急いで離れた。
「頼むから、勝手に街の設備に触るな! 誰かの管理下にある設備なんだぞ!」
「ごめんね。でも、すごく面白かった……。何だか、ごちゃ混ぜになったのが」
ファヌエルは、いたずらを成功させた子どものように楽しげだった。
その後も、彼女の【暴走】は続いた。道を走る清掃ドローンに無言で話しかけては、ドローンのセンサーを混乱させ、制御不能な動きをさせたり、街頭のホログラム広告に手を突っ込んで、広告画像をバグらせて意味不明な模様にしたりと、やりたい放題だった。
あやうく警備に通報されかけ、晴人はその都度、必死でファヌエルをかばい、謝罪を繰り返した。
「はあ……本当に勘弁してくれよ」
晴人は額の汗を拭いながら、力なくため息をついた。
「ねえ晴人。あなた、いつもこんな風に謝ってばかりなの?」
ファヌエルの声には、静かな疑問が込められていた。
「……まあな」
苦笑いで返すと、ファヌエルはきょとんとした顔をした。
「それ、つらくない?」
晴人は一瞬、言葉に詰まった。
つらくないわけがない。追放された身で、さらに公共の場で謝罪を繰り返すのは、いやな行為だった。けれど、この神秘的な存在に弱音を吐くのもみっともなく思えて、彼はただ笑顔でごまかすしかなかった。
そのとき。
先ほどファヌエルが混乱させた清掃ドローンが一台、再びぎこちなくこちらへ近寄ってきた。動きはまだ不安定で、今にも転倒して故障しそうだ。
「あ……ごめんね、困らせちゃったね」
ファヌエルはしゃがみこみ、ドローンの故障したセンサー部分に、そっと白い手を当てた。彼女の瞳がまた淡く光る。
「大丈夫、大丈夫。あなたのポシビリティ、私がもう一度、ちゃんと整えてあげる……はい、これで元通り」
すると不思議なことに、ドローンの動きは次第に安定していき、やがて乱れのない滑らかな軌道で、清掃作業を再開しながら走り去った。
「……直ったのか?」
晴人が目を丸くする。あまりにも鮮やかな修復作業だった。
「うん。少し乱れてただけ。さっき、私が混ぜちゃったのを、もとに戻したよ」
ファヌエルは胸を張って言った。
それだけではなかった。バグっていたホログラム広告も、暴走していた自販機も、次々に正常な状態へと復旧していく。通行人たちは「なんだ、直ったのか」「よかった、助かった」と口々に言い、誰もファヌエルが原因であり、そして彼女が直した張本人だったとは気づかない。
「……お前、やろうと思えばできるんだな」
「えへへ。晴人に褒められると、嬉しい」
子犬のように無邪気な笑顔を見せるファヌエルに、晴人は少しだけ呆れ、そしてほんの少しだけ、胸の奥で安堵した。
そのとき、前方から知った顔が歩いてきた。
以前の職場で共に働いていた、同期だった。
晴人は反射的に声を上げようと、口を開く。
「おーい!」
だが、相手はこちらを見た瞬間、一瞬眉をひそめただけで、すぐに冷たい視線を逸らし、何もなかったかのように通り過ぎていった。
「…………」
晴人の胸に、再び冷たいものが広がる。
ああ、やっぱり。俺はもう、彼らが自ら声をかける相手ですらないのか。追放者という烙印は、ここまで徹底しているのか。
俯いた晴人の横で、ファヌエルが小さくつぶやいた。
「あなたの可能性、私は嫌いじゃないよ」
その声に、晴人はゆっくりと顔を上げた。
ファヌエルは相変わらず無邪気な笑みを浮かべていた。けれど、その瑠璃色の瞳の奥には、彼の【ポシビリティ】を認める、どこか確かな意思が宿っているように見えた。
「……なんだよ、急に」
「だって、本当のことだから」
ファヌエルはそれだけ言って、再び街の賑わいに興味を向ける。
晴人は小さく息を吐いた。
心の奥底に広がっていた冷たさが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。