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受け入れる余白

晴人の目の前の端末に、黒い波のようなものが広がっていった。数値でも文字でもない。形容しがたいもやのような映像が、人工衛星の軌道情報に重なり、じわりと彼の意識へ流れ込んでくる。


「……なんだ、これ……」


答えは帰ってこなかった。だが確かに理解できた。これが街を焼き尽くそうとする悪意そのものなのだと。機械の暴走ではない。人が宿した意図すら超えた、ただ否定だけを求める力。


普通の人間なら耐えられないだろう。拒絶して、押し潰される。だが晴人には、特別な何かはない。ただの空白、【余白】があるだけだった。だからこそ、押し寄せる悪意を受け入れられた。埋められてもなお、余白が残るほどの虚ろさが。


「先輩!」


樹の叫びが聞こえた。彼女はピーターパンとの戦いに集中しているはずなのに、晴人の苦しげな様子に気づいていた。


「大丈夫だ……まだ、いける」


彼はかろうじてそう返した。息は荒い。頭の中は濁流のような悪意で満ちつつある。それでも受け入れることをやめなかった。


だがその瞬間、不意に胸を締め付けられる感覚が走った。まるで街そのものから拒絶されるかのように、悪意の黒は晴人を押し出そうとした。意識が遠のきかける。拒まれて、飲み込まれて、消えてしまいそうだった。


「……まだだ」


晴人は歯を食いしばった。拒絶の冷たさの中で、自分が空っぽであるがゆえに沈み込まずにいられることを直感した。飲まれはしない。空洞は形を失わない。ただの器だからこそ、押し返されても崩れない。


そのとき、白い衣が視界に差し込んだ。ファヌエルだ。彼女は晴人の肩に手を置く。その掌から、やわらかな光が流れ込み、黒い悪意を薄めていく。


「晴人。あなたが受け入れているものは、個々の小さな悪意ではありません。これは街に満ちるポシビリティを媒介に増幅した大きな塊……だからこそ、私も介入できます」


「ファヌエル……」


「安心して。あなたの余白に、街の可能性が寄り添う。あなた一人では抱えきれないものを、皆が一緒に背負ってくれます」


その言葉に、黒の奔流の中に淡い色が混じった。星見市の街角で笑う人々。誰かが未来を夢見る光景。諦めない心。無数の小さなイメージが悪意を希釈し、晴人の内に重なっていく。


しかし、光を阻む影もあった。小さな鈴の音とともに、ティンカーベルが現れる。赤い羽根の揺らめきのように、毒々しい輝きが舞った。


「その子に触れるな。悪意は彼のもの。あなたが横取りする権利はない」


「黙りなさい」


ファヌエルの声は冷たく響いた。次の瞬間、ふたりの間で何かが弾けた。光と影が交錯する。晴人には見えない領域で、常人には理解できぬ争いが繰り広げられていた。


ティンカーベルの細い腕が振るわれるたびに、悪意が晴人の内に突き刺さろうとする。だがファヌエルの白いローブがその度に遮り、彼を包み守った。


「晴人。あなたがここにいる意味を思い出しなさい。あなたは可能性を背負う者ではない。可能性を受け入れる器。それがあなたに託された役割です」


「……器、か」


晴人は深く息を吐いた。戦っているのは樹。支えているのはファヌエル。自分はただの穴でしかない。だがその穴があるからこそ、街の可能性は流れ込み、悪意を希釈できる。欠けていることが意味になるなど、想像したこともなかった。


ティンカーベルが悲鳴を上げた。ファヌエルの力に押され、姿を揺らす。その顔には憎しみが浮かんでいる。


「こんな……空っぽの人間に……」


「空っぽだからこそ、満たされるのです」


ファヌエルの言葉とともに、光は晴人の中で大きく広がった。悪意の黒は押し込まれ、余白に絡まりながらも少しずつ形を失っていく。


遠くで、樹とピーターパンが激しくぶつかり合う音が響いた。決着はまだ先だ。しかし今、ここで確かに意味が結ばれようとしていた。


晴人が受け入れたものは、悪意そのものではなく、それを覆い尽くす街の可能性。ティンカーベルの攻撃はなお止まず、ファヌエルとのせめぎ合いは続いている。それでも晴人の胸には、はっきりとした実感が残っていた。


それは、無力であることすら、時には意味へと転じるのだと、胸の奥でかすかに気づいた。


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