落星の舞台
夜の星見市を震わせる警報が街中に響き渡っていた。ある低層のビルの屋上に辿り着いた晴人と樹、その前に立ち塞がるのは深緑の全身タイツにとんがり帽子をかぶった男、ピーターパンだった。濃い顔の笑みは不気味に引き攣り、赤い羽根が夜風に揺れる。
「やはり来たか……ようこそ、私の舞台へ」
ピーターパンの声は妙に明るい調子を帯びていたが、その全身から伝わる圧は油断できるものではなかった。樹は一歩前に出る。彼女の体は自然と戦闘態勢を取っていた。
「先輩……ここはわたしがやります」
「無茶するなよ、樹」
晴人はすぐに周囲に目を配り、ピーターパンが残した端末や機材に意識を向けた。人工衛星を操作するためのインターフェースが起動したままになっている。そこには淡々と進むプログラムが映し出され、機械的な声で奇妙な呪文のようなフレーズを自動的に読み上げていた。
「ダ?……ロ……?……」
音声は所々にノイズが混じり、だがはっきりと何かの名を呼び出そうとしているのがわかる。晴人の背筋に冷たいものが走った。呼ばれつつある存在、それが何であるかは知らなくても危険極まりないと直感できた。
「まずはこれを止めないと……」
晴人は素早く端末を操作する。だが詠唱プログラムは複雑に組まれており、遮断のコマンドを打ち込んでもすぐには反応しない。焦る指先に汗が滲む。何度か試行錯誤を重ね、ようやく数十秒後に呪文のような音声が途切れ、モニターには停止を示す赤い文字が浮かび上がった。
「よし……止まった……」
それはわかりやすい成果だったが、晴人に安堵する暇はなかった。次に画面には人工衛星の軌道情報が表示される。高度は下がりつつあり、角度次第ではこの街を直撃しかねない。
「やはり……衛星を街に落とす気だったか」
一方で樹とピーターパンは激しい攻防を繰り広げていた。ピーターパンの動きは独特だった。大きな弧を描く受け流し、相手の力を逸らす滑らかな捌き。鋭さと柔らかさが絶妙に混じり合い、彼の小柄な体躯を何倍にも強く見せていた。
「君の拳は直線的すぎる……そんなものでは、私には届かない」
ピーターパンは愉快そうに笑いながら樹の攻撃を受け流し続ける。だが樹も負けてはいなかった。流された力を瞬時に切り替え、次の技へと繋ぐ。
「流すのは上手いみたいね……でも全部は受けきれない!」
樹の蹴りが一瞬ピーターパンの防御を突き崩し、深緑の体がわずかによろめく。そこへさらに踏み込もうとした瞬間、ピーターパンはまるで踊るように身を翻し、再び間合いを取った。
「楽しい……もっとだ、もっと見せてみろ!」
その目には狂気と興奮が入り混じり、ただの戦い以上のものを求めているようだった。
ファヌエルもまた前へ出ようとした。しかし彼女の前に立ちはだかったのは、誰にも姿を見せず、声だけが響く存在、ティンカーベルだった。
「……ここから先は、あなたの役目じゃない」
「何を……言っているの」
「彼と私の遊戯に、外からの介入は要らない」
二人の言葉は互いに噛み合うことなく、しかし強い力がぶつかり合い、ファヌエルの体はそこで縛り付けられたように動けなくなった。常人には到底理解できない次元の争いが、目に見えぬところで交錯していた。
「晴人さん……」
樹の声が一瞬、鋭い打撃の合間に飛んでくる。彼女は苦戦しているが、それでも必死にピーターパンの動きを封じようとしていた。
「任せろ……こっちはなんとかする!」
晴人は端末の操作に全神経を集中させた。人工衛星の軌道計算に手を加え、角度をわずかに変更する。もし正しく調整できれば、大気圏突入の際に燃え尽き、地上に被害は及ばないはずだ。
「まだだ……あと少し……」
背後では肉体の激突が続いていた。ピーターパンの円を描くような掌打が空気を裂き、樹の拳と蹴りが鋭く迫る。双方とも傷つきながら、戦いはますます激しさを増していった。
そして夜空の遥か上、軌道を漂う人工衛星はゆっくりと軌道を変え始めていた。燃え尽きるのか、それとも墜ちるのか、その行方は、まだ誰にもわからなかった。