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可能性の数値と、天使の眼差し

「……本当に、天使なのか?」


夜風に混じり、晴人の声はかすかに震えていた。目の前の白いローブの女性、ファヌエルを名乗る存在は、その疑問に対し、一切の曇りなく、無邪気に頷いた。


「うん。私はファヌエル。天の九番目に連なる者。……でも、そんな仰々しい肩書きより大事なのは、今、こうして君の隣にいることかな」


ファヌエルはそう言いながら、腰まで届く銀色の髪を夜風に揺らした。瑠璃色の瞳は星空を振り返り、そのたたずまいは幻想的で、星見市という科学至上主義の街の現実感を、一瞬で失わせてしまうほどの神秘を秘めていた。


晴人は思わず苦笑を漏らす。その笑顔には、諦めと自嘲が混ざり合っていた。


「……俺は、空野 晴人(そらの はると)。ただの、追放者だよ」


「追放者?」


ファヌエルは、女性的な柔らかな印象に反して、どこか中性的な雰囲気を持つ顔を傾げる。大きな瞳が、彼の心の奥底まで見透かそうとするかのようにじっと晴人を覗き込み、晴人は居心地の悪さからそっと視線を逸らした。


「星見市じゃ、ポシビリティの数値がすべてなんだ。高ければ将来を期待され、国すら背負う存在だと崇められる。でも、低ければ、足を引っ張る厄介者、いずれは排除されるべき存在だとされる。……俺は後者だった。それだけの話さ」


言葉にしてしまえば、職場で数字によって弾かれたというだけの、単純な出来事だ。だが、胸の奥底に重く沈む、理不尽な屈辱と拭えない孤独感は、そう簡単に割り切って捨てられるものではなかった。晴人は精一杯、平静な笑みを崩さずに語ったが、ズボンのポケットの中で握りしめた拳は、微かに震えていた。


「君は、その数字で測られることに、本当に納得しているの?」


ファヌエルの声には、静かな問いかけの響きがあった。


「納得なんか、できるわけないだろ。俺だって、もっと頑張れたはずだ。でも……仕方がないんだ。そういう街なんだよ、ここは。宇宙事業推進都市なんて立派な看板を掲げていても、中身は結局、人間同士の序列でしかない。俺みたいに数値の低い人間は、遅かれ早かれはじかれる運命だった」


淡々と、しかし諦念を含んだ口調で語る晴人の表情を、ファヌエルは真剣な眼差しで見つめていた。やがて彼女は小さく、明確な意思を持って首を振る。


「可能性って、本当はそんなものじゃないよ。人の持つ未来の道筋が、たった一つの数字なんかで、すべて決まるはずない」


「……でも、現実はそうじゃなかった」


「現実を変えるために、私は、君の目の前に降りてきたんだよ」


その言葉は、あまりにも真っ直ぐで、そして晴人の胸の奥深くへと刺さった。天から降りてきた天使、ポシビリティを否定する言葉……それは、夢物語か、あるいは狂言にしか聞こえない。だが、彼の心を深く、強く揺さぶる力があった。


晴人は、乾いた笑いを漏らす。


「……じゃあ、俺の、このクソ低い可能性を、あんたが証明してくれるってわけか?」


「うん。君の中には、まだ誰にも見えていない、重要な道筋がある。私はそれを見たい。だから……あなたに弟子入りしたいの」


「……え?」


あまりにも意外な、そして【導き手】という立場からはかけ離れた言葉に、晴人は動きを止めた。思考が停止し、今までの会話が一気に霧散したような感覚に陥る。


「ま、待て。弟子入りって……それは、完全に逆じゃないのか? どう考えても俺が弟子で、あんたが師匠って方が自然だろ」


ファヌエルは、そんな晴人の混乱した様子を見て、心底楽しそうに首を振った。


「私は天から、すべてを見下ろすことしか知らなかった。でも、地上の人の、懸命な歩き方を、私は君に教えてもらいたいの。だから師匠は君。私は弟子。これでいいんだ」


「……なんだそれ、むちゃくちゃだ」


呆れを隠せないまま口にしたが、晴人はどこか可笑しくなって、とうとう声を出して笑ってしまった。重い鎖が解けたような、久しぶりの心からの笑いだった。


ファヌエルはにこにこと輝くような笑顔を浮かべながら、白い手を晴人に差し出す。


「じゃあ、契約しよ? 師匠と弟子の契約」


「契約って……大げさな」


冗談のような響きに、晴人は苦笑する。だが、迷いながらも、その手を前にすると、不思議と拒む気持ちは起きなかった。むしろ、目の前に差し伸べられた、孤独な自分への唯一の救いのように思えた。


「……わかったよ。俺でよければ、付き合ってやるさ」


晴人は、差し出されたその手を取った。柔らかな温もりが手のひらから伝わり、同時に、胸の奥深くに、微かな光が灯るような不思議な感覚が広がった。


「師匠、よろしくね!」


「やめてくれ、その変な呼び方はやめてくれ」


「えー、いいじゃない。だって、私が決めた本当のことだもん」


ファヌエルの屈託ない、可愛らしい笑顔に、晴人は諦めて肩をすくめた。だが、心の中では、確かに何かが変わり始めていた。追放者という烙印を押されたはずの自分に、期待を寄せる、人ならざる存在がいる。その事実が、凍えていた彼の心を、ゆっくりと温めていた。


夜空の星々は、さっきまでより、ほんの少しだけ近くに見えた。

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