仕組まれた道
休日の午後、星見市の大通りは人で賑わっていた。晴人と樹は、買い出しの帰り道を並んで歩いていた。陽射しは柔らかく、風も心地よい。だが晴人の胸中には、説明できないざわつきがあった。
「……先輩、さっきから何か気にしてますか?」
樹が問いかけると、晴人は歩調を緩めて周囲を見渡した。
「人が多すぎる。いや、普段から多い場所なんだけど……妙に動きが揃ってる気がするんだ」
彼の視線の先、横断歩道の前に集まった群衆が、一斉に青信号と同時に足を踏み出す。その動作はあまりに整然としていて、自然さを欠いていた。
「信号のタイミングが……微妙に早い?」
樹が眉をひそめた。確かに、赤から青へ切り替わる瞬間が、通常よりわずかに早い。歩行者たちはそれに無意識に従い、波のように動いている。
晴人は思わず息を呑んだ。
「これ、俺たちを誘導してる……?」
買い物袋を握る手に力がこもる。気づかぬうちに、自分たちも人の流れに押し込まれる形で進まされていた。逃れようとすれば、逆に異質な存在として目立ちかねない。
「周囲の視線、感じます……」
樹の声はかすかに震えていた。確かに群衆の一部が、無表情のまま二人をちらちらと見ている。そこに敵意はない。ただの通行人にしか見えない。だが、その均質さがかえって不気味だった。
その瞬間、晴人の脳裏に声が響いた。
「気づきましたか。良い観察です」
聞き覚えのある声。白いローブの女、ファヌエルだった。
「これは心理と習慣を利用した仕掛け。都市そのものを舞台とする罠です。ですが安心してください、まだ抜け道はあります」
晴人は歯を食いしばり、小声で樹に伝える。
「右に曲がる。人の流れに逆らわず、でも三歩遅れて」
「了解です、先輩」
二人は視線を合わせ、わずかな呼吸の差を合わせて動く。群衆と完全に同調するのではなく、半歩ずらす。それだけで、見えない網の目から外れることができると、ファヌエルの声は告げていた。
やがて二人はビルの合間の狭い路地へと入り込んだ。そこは監視の視線から外れた、わずかな死角だった。
「ふう……助かりました……」
樹が大きく息を吐いた。晴人も汗をぬぐいながら頷く。
「完全に舞台装置だな。信号も、人の流れも、全部俺たちを誘導するために組まれてた」
「でも、なぜわたしたちだけ……」
樹の疑問に、晴人は短く答えた。
「狙われてるんだよ、俺たちが」
その言葉の裏に、ピーターパンの影がちらつく。彼の偏執的な視線と、緑の姿が脳裏に浮かぶ。
再びファヌエルの声が届いた。
「彼は計算に夢中で見落としています。二人だけと思い込んでいるみたいですが、そこに私がいることを理解していません。それが最大の綻びです」
晴人は小さく笑みを漏らす。
「なるほどな……三人目がいると気づかない限り、あいつの筋書き通りにはならないってわけか」
樹も頷き、瞳に決意の光を宿した。
「だったら、わたしたちは罠を逆手に取ればいい」
二人の間に再び信頼の空気が生まれる。舞台装置の中に仕込まれた罠。それを突破できるのは、二人の関係性と、そして彼らの背後に立つファヌエルの存在があったからだ。
遠くの空に、人工衛星の軌道図を思わせる広告映像が浮かんでいた。晴人は目を細める。
「次は……もっと大きな舞台が来るぞ」
その言葉に、樹は無言で頷いた。二人の視線の先、街の影がゆっくりと濃さを増していた。