ピーターパン視点:蛇を起こす
「……また外されたか」
無数の監視映像を並べたスクリーンの前で、ピーターパンは低く呟いた。
星見市のあちこちに仕込んだ仕掛けは、あの二人の手によってことごとく無効化された。画面には、落ち着きを取り戻した市民たちの姿が映っている。わずかな混乱の痕跡すら残っていない。
「邪魔をするのは、やはりあの二人だけだな」
ピーターパンは帽子を外し、額をぬぐった。深緑のタイツの下に浮かぶ筋肉は、小柄な体格に似合わぬほどがっしりとしている。その表情には、怒りと同時に冷徹な光が宿っていた。
「偏執狂ね」
淡い光の粒が彼の肩口に舞い、ティンカーベルの小さな姿が浮かぶ。
妖精の幻影は、皮肉げな笑みを浮かべて囁いた。
「街全体を手中に収めるんでしょう? 二人なんか放っておけばいいのに。わざわざ藪をつついて蛇を出すことはないじゃない」
「無視できるものか」
ピーターパンは目を細め、低い声で言い切った。
「不確定要素を放置するのは愚か者のすることだ。あの二人は必ず私の計画の邪魔をする。だから先に潰す」
ティンカーベルは大げさに肩をすくめた。
「だから偏執狂だと言われるのよ。広い対象に仕掛ければ楽なのに、わざわざ二人だけを狙うなんて」
「違う。広く網を張れば、また奴らにかき消される。ならば今度は逆だ。奴らだけを狙う」
机上に広げられた設計図と膨大なコードの羅列を、ピーターパンは睨みつけた。
交通網、広告、電力系統、公共端末。都市そのものが巨大な舞台装置だ。そこに人間の心理の盲点を絡めれば、どれほど鍛えた者でも抗うことはできない。
「人は習慣に従う。意識せず繰り返す動作こそ、最も利用しやすい。……あの先輩後輩の関係性もな」
口の端を持ち上げ、愉快そうに笑う。
晴人と樹の視線の交差、その言葉の選び方。二人の呼吸を何度も観察してきた。そこに隙を仕込めば、彼らは必ず自ら罠に落ちる。
「罠は舞台装置。私は演出家だ。観客は、仕組まれた筋書きの上で踊るしかない」
ピーターパンは指先で机を叩いた。規則的なリズムが部屋の沈黙を切り裂く。
次々と組み合わさる仕掛けのイメージ。直接の暴力は使わない。だが、踏み込めば自ら破滅するよう設計された機構を、人は暴力と呼ぶだろう。
「これで奴らは終わりだ」
ティンカーベルは眉を寄せた。
「ほんとにそう思ってるの?」
「思うだけではない。確信している」
キーを叩く音が室内に響く。モニターには制御システムの数々が並び、街の心臓部が静かに掌の中へ落ちていく。
交通信号、監視カメラ、広告映像、電力供給。ありとあらゆるものが糸のようにつながり、緑の小男の指先ひとつで動き出す。
「二人は罠に落ちる。障害は消える。……だから、安心して次へ進める」
ピーターパンは赤い羽根の刺さった帽子をかぶり直した。深緑の影がスクリーンに映り込み、その濃ゆい顔が歪んだ笑みに照らされる。
映像の片隅には、人工衛星の軌道図。
数字と線が交錯し、ひとつの都市に重なる未来が示されていた。
「大空から影を落とす……。さあ、幕を上げる時だ」
ティンカーベルは小さく舌打ちをして、光の粒に溶けて消えた。
残ったのは静寂と、舞台装置の準備を進める音だけだった。