ファヌエル視点:束の間の灯火
私は二人の少し後ろを歩きながら、その背中を見ていた。星見市の夜は、夕暮れを過ぎてすっかり灯りに染まり、街の喧騒はどこか安堵を含んでいる。事故の影響は消えてはいないが、人々は笑い、食べ、互いに声を掛け合っている。その姿に、私はいつも小さな驚きを覚える。
「先輩、今日はどうしますか。まっすぐ帰りますか?」
樹が問いかける。声色は普段通りに聞こえるが、張り詰めた緊張は抜けていた。
「いや……飯でも食って帰ろう。夜に活動するのは危険だ。探すのは明日からにしよう」
晴人は腕を回し、少し肩を鳴らして答える。その横顔は疲れているのに、わざと軽く笑みを作ってみせている。
二人は並んで歩き出した。樹は背筋を正したまま、歩調をわずかに晴人に合わせている。無理をしているようには見えない。むしろ自然にそうなっているのだと感じられた。
「そういえば、先輩。研修の件ですが……延期になりました。事故の影響で、当分予定が立たないそうです」
「……そうか。じゃあ、しばらくは動けるんだな。俺もちょうど中期の休みだ」
「はい。むしろ、わたしにとってはちょうど良かったです」
晴人は鼻を鳴らす。
「ちょうど良かった、ね。普通はがっかりするだろ」
「わたしにとっては、今はこっちのほうが大事です」
その言葉は迷いがなく、まっすぐだった。晴人はしばし無言で歩いた後、短く答える。
「……そうか」
その横顔に、かすかな笑みが浮かんでいる。私にはそれが、言葉以上の信頼の証に見えた。
近くの食堂から、魚の焼ける匂いが漂ってくる。晴人が視線をそちらへ送り、樹が軽くうなずく。言葉にせずとも通じる気配。私はそれを羨ましくも、頼もしくも思った。
「ファヌエルさんも、一緒にどうですか」
樹が振り返って声をかけてきた。その瞳には余計な打算がなく、ただ自然に差し伸べられる気遣いがあった。
「よろしいのですか。私はあくまで見守るだけの者なのですが」
「そんなことありません。三人のほうが安心できます」
樹の素直な言葉に、私は静かにうなずく。
「では……お邪魔させていただきましょう」
三人は並んで、明かりの下に立つ食堂へと足を踏み入れた。湯気とざわめき、そして人の笑い声。ここには確かに守るべき日常がある。
明日になれば、また緑の男が動くだろう。だが今だけは、この小さな灯火を胸に刻んでおこう。彼らの強さの源となると信じて。