仕組まれた夜
夜の星見市に、いつもとは違う異様な緊張が張り付いていた。
路地や広場から続々と届くのは、悲鳴と金属の軋む音。テレビの速報も次々と事故現場を映し出す。まるで小さな連鎖が、街の隅々まで燃え広がっているようだった。
「まただ……」
俺は反射的にテレビ画面に視線を落とす。映ったのは、商店街のアーケード屋根が部分的に崩れ、下敷きになった人が運ばれる様子。別の中継では、交差点で車の玉突き事故、歩道橋の一部が崩落して通行人が通れなくなっている光景。どれも数分前までは、ただの平凡な日常の一部だった場所だ。
スマホが鳴った。樹からだ。
「先輩、大丈夫ですか? これ、ただの偶然の連続には見えないです」
樹は自室のTVをじっと見据え、小さく歯を食いしばった。普段の彼女の冷静な声に、焦燥の色が滲む。
「狙われたような印象だな。誰かが一箇所ずつ手を入れている――というわけじゃないが、同じ【意図】の匂いがする」
「でも、どうやって? 超常的な何かじゃなくて、もし人の手でやられているなら、きっと何か共通点があると思いますが」
俺は答えを探しながら、すぐに外へ走った。樹とはすぐに合流できた。ファヌエルはいつもの白いローブの裾を優雅に揺らし、二人の行動を静かに見守っていた。
現場は想像していたよりも酷かった。店の前に散乱した商品、倒れたバイク、悲鳴に混じる子どもの泣き声。通報で駆けつけた救急隊が手際よく動いているが、現場はまだ混乱していた。
「先に、あそこの子どもを助けましょう!」
樹の声が怒鳴りのように通り、俺は声のする方へ駆けた。雑貨店の入り口付近で、棚が崩れて孤立している小学生の兄妹を見つける。上にかかった木製の棚は重く、俺一人で動かすには時間がかかる。
「来い、君は俺の背中にしがみつけ」
俺が低く指示を出すと、兄の方が目を見開き、必死に俺の背にしがみついた。樹は冷静に棚の支点を探し、力の入れどころを的確に指示する。二人の連携で棚をずらし、狭い隙間から子どもたちを無事に引き出した。
「大丈夫か、怪我はないか」
「う、うん……少しだけ擦り傷がある。ありがとう」
兄が震える声で答え、妹は嗚咽混じりに目を閉じる。俺は袖で彼らの頬を拭い、樹が救急隊に引き渡すのを手伝った。彼女の動きは的確で、現場での判断力が光る。
周囲を見渡すと、倒壊の原因は様々だ。老朽化した建材の破断、外壁工事の仮設足場のずれ、交通整理が滞った交差点での混乱。どれも人災で大事故に繋がりうる要素ばかりだが、それが同時多発的に起きている点が不気味だった。
「誰かが意図的に【きっかけ】を作っている。火花を散らすように、ちょっとした不具合を放置する、あるいは誘発する……それが連鎖して大きな災害になっている」
樹が低く言う。言葉の端には、この状況に対する怒りと、分析する冷静さが混ざっていた。
「人の手で起きる事故……そんなものを望む奴がいるとは、考えたくもない」
俺はしゃがんで倒れた看板を避けながら辺りを見回す。視線の先、少し離れた路地の暗がりで、緑の影が一瞬だけ動いたように見えた。帽子と赤い羽根が夜の中にちらりと光った気がしたが、次の瞬間にはそこには誰もいない。
「今、見たか?」
「はい」
樹は無言で頷いた。二人だけが、確かに何かを視た感覚を共有した。
ファヌエルは目を細め、静かに言った。
「人が作り出す混乱は、案外単純だ。誘因を置き、あとは人の反応に任せる。誰かが怒鳴れば次の誰かが反応し、連鎖が生まれる。あるいは、支えを一つ外せば、その場所が倒れるように、ね」
「お前はそう言うけど、具体的にどうしてこんなに同時に、って話になるんだよ」
俺が問い詰めると、彼女は肩をすくめた。
「私には細かな工作は見えない。だが、観察するに、共通するのは【開始時間帯】と【小さな不具合の放置】。それを狙って市中に置く者がいるなら、人が作る危険は充分に拡大する」
夜は深まる。救助活動は続くが、被害の広がりを止めるには時間が必要だ。俺たちは何箇所かを回り、応急処置と避難誘導を行った。樹は負傷者の応急手当をし、俺は閉鎖された通りに人を誘導する。二人の連携は少しずつ合ってきている。
ある場所で、年配の男性が取り残され、足を痛めて動けなくなっていた。俺が抱え上げようとすると、彼は目を細めて言った。
「お主ら、若いのに良いことをするな。あの緑の奴が街を荒らしているんじゃないか。わしゃあ、見たんじゃ」
「緑の奴?」
俺は問い返した。
「帽子に赤い羽根の……見たか?」
俺は答えず、その場を離れた。言葉は断片的だが、目撃情報は散見されている。直接的な力を行使する者は見えない。だが確実に、誰かが街に細工をしているとしか思えない。
夜明け前、救急車のサイレンが徐々に遠ざかり、被害が落ち着きを取り戻す頃、俺は疲れで公園のベンチに座った。血と埃が混じった空気の中で、樹が横に来て肩に手を置く。
「先輩、今日のことで、私たちが無力だとは思わないでください。助けられた命はたくさんあります」
「分かってる。でも、これを仕掛けた奴を見つけないと、また同じことが起きる」
樹は静かに頷いた。彼女の眼差しは固い。俺はその強さに、救われるような気持ちを覚えた。
遠くの夜空に、緑色の帽子を被った人影は見えない。だが、誰かがそこにいたという痕跡は残る。小さな置き石のような行為が、確実に人の流れを変え、事故を連鎖させた。
「見つけ出そう。人がやることなら、人で止められるはずだ」
俺は立ち上がり、夜の街へと足を向けた。樹が続き、ファヌエルは静かに後に着いてくる。三人の影は長く伸び、まだ眠らない街を切り裂いていった。
街は壊れかけている。だけど、それを繋ぎ直すのも人の手でしかない。俺たちは、そう信じて進むしかなかった。