ピーターパン視点:影を見つめる者
夜の川辺は、星のない空を映して鈍く濁っていた。
街の明かりが水面に揺らめき、それは偽物の星座のように、頼りなく瞬いている。
「……醜い」
濃い顔をした男が、憎しみを込めてそう呟いた。深緑の全身タイツに、同じ色の帽子、そして赤い羽根を一枚挿した姿は、本来なら滑稽に見えるはずだ。しかし、その眼差しだけは鋭く、獲物を捕らえるかのように光に覆われた街を睨みつけていた。
男、自称【ピーターパン】である。
頭上から小さな羽音が響く。
鈴を転がすような、甲高くも澄んだ声が降りてくる。
「またそれ? あなたはほんと、同じことしか言わないのね」
光をまとった小さな妖精が、ピーターパンの帽子のそばに舞い降りる。ティンカーベルだった。彼女の周囲には、淡い光の粒子がきらめいている。
「同じことを繰り返さねばならん。人間は忘れる生き物だ。だが、俺は忘れん」
ピーターパンは、固い決意を込めて言った。
「でも、あなたが気にしてるのは大抵、ちっぽけなことよ」
ティンカーベルは、甘く軽やかな声で、頭の奥に直接囁き込むように話す。
「ちっぽけではない。今日も見ただろう。川辺にいた二人……あれは、普通ではない」
「ただの人間にしか見えなかったけど?」
ピーターパンは鼻を鳴らした。
「ひとりは異様な強さを持ち、もうひとりは……逆だ。あれほどまでに可能性を失った存在が、未だこの街にいるとはな」
ティンカーベルは、首をかしげるように宙をくるりと回った。羽根の煌めきが、暗闇に小さな光の輪を散らす。
「だから何? あなたが戦うべき相手は、そんな小さな違和感じゃないでしょ」
「違和感は芽だ。芽を摘まず放置すれば、やがて根を張り、広がる」
「また大げさに言ってる」
妖精の声は軽やかだが、どこか甘さを含んでいる。ピーターパンは一瞬、言葉を返しかけて口を閉じた。
「……それでも俺は見過ごさん。あれは、ただの人間ではない」
「ほんとうに頑固ね。まるで、子供みたい」
ティンカーベルは、皮肉めいた言葉を言いながらも、楽しそうに笑った。彼女は彼の帽子の赤い羽根にちょこんと腰を下ろした。
「でもいいわ。そのしつこさがあるからこそ、あなたは【ピーターパン】なのよね」
ピーターパンは答えず、ただ静かに街を見る。
遠くで車のライトが流れ、高層ビルの窓が次々と点滅する。空は暗いのに、地上は昼のように明るい。
「……奪われたものを取り戻さねばならん」
小さな独り言は、夜風にさらわれて夜の闇へと溶けていった。
ティンカーベルは黙って彼を見つめ、微笑みを残すだけだった。