第九章 それぞれの道標
ひかりの死から一年が経とうとしていた。あの頃の、凍り付くような悲しみは薄れたわけではないが、その形は少しずつ変化していた。家族は、それぞれの形でひかりの死と向き合い、それぞれの道標を見つけ始めていた。
美咲は、ひかりの看病中に得た知識と、自身の看護師としての経験を活かそうとしていた。病院で出会った、同じように病気の子どもを持つ親たちの存在が、美咲の心を動かした。彼女は、少しずつ地域のボランティア活動に参加するようになった。小児病棟を訪れ、絵本の読み聞かせをしたり、親たちの話を聞いたりする。最初は、ひかりとの思い出が蘇り、胸が締め付けられることも多かった。しかし、苦しむ子どもたちや、疲弊した親たちの姿を見るにつけ、「私にできることは何だろう」と、美咲の心に新しい光が灯り始めた。それは、ひかりが生きた証を、別の形で未来へと繋いでいくことのように思えた。
健一は、ひかりが最後に遊んだ公園の片隅に、ひっそりと小さな花壇を作り始めた。ひかりが好きだったひまわりや、色とりどりの花々を植え、毎日欠かさず手入れをした。土を耕し、水をやり、花が咲くのを待つ間、健一はひかりが生きた時間を静かに思い起こした。花々が咲き誇るたびに、まるでひかりが微笑んでいるかのように感じられた。それは、健一にとって、感情の捌け口であり、ひかりとの対話の場だった。また、健一は職場の同僚に、これまでの経緯を少しずつ話すようになった。自分の弱さをさらけ出すことで、心の重荷が少し軽くなるのを感じた。
悠人は、小学校で新しい友達を作り、少しずつ以前の明るさを取り戻し始めていた。もちろん、ひかりの存在を忘れたわけではない。むしろ、ひかりとの思い出は、悠人の中でより鮮明になっていた。学校の図工の時間には、ひかりが好きだった動物や、一緒に遊んだ公園の風景を題材にした作品を多く作るようになった。悠人の描く絵は、ひかりが教えてくれた「色の明るさ」と「命の輝き」に満ちていた。そして、時折、美咲や健一に、ひかりとの楽しかった思い出を語り聞かせた。悠人の無邪気な言葉が、二人にとっての癒しとなることもあった。
家族の間に、再び会話が戻ってきた。以前のような賑やかさはないが、互いの悲しみに寄り添い、支え合おうとする温かい空気が流れていた。週末には、三人でひかりの花壇を訪れ、花に水をやったり、咲いた花を眺めたりするようになった。ひかりは、そこにいるわけではない。しかし、彼女の存在は、花々の中に、悠人の笑顔の中に、そして美咲と健一の心の中に、確かに生き続けていた。
悲しみは、消えない。胸の痛みも、ふとした瞬間に襲ってくる。それでも、家族は、ひかりが残してくれた愛と、記憶という名の光を道標に、それぞれの未来へと歩み始めていた。それは、苦しみを乗り越え、感動へと繋がる、ささやかな再生の物語だった。