第六章 最期の輝き
ひかりの病状は、日々、刻々と悪化していった。食事を受け付けなくなり、眠る時間が長くなった。それでも、美咲が「ひかり、ママのこと、わかる?」と問いかけると、薄く目を開け、かすかに微笑むことがあった。その小さな反応が、美咲の心をぎゅっと掴んで離さなかった。
ある日、健一は悠人を連れて病院を訪れた。悠人は、ひかりの変わり果てた姿に、一瞬言葉を失った。しかし、すぐに持ち直して、ひかりのベッドの傍らに駆け寄った。
「ひかり!これ、悠人が学校で作ったの。見て!」
悠人が差し出したのは、折り紙で作られた、色とりどりの小さな鳥だった。ひかりは、か細い指を伸ばし、その鳥に触れた。そして、まるで昔のひかりが戻ってきたかのように、ふわりと微笑んだ。その瞬間、病室に、一筋の温かい光が差し込んだように感じられた。
健一と美咲は、その光景をただ見守ることしかできなかった。悠人がひかりに話しかけ、絵本を読み聞かせる間、二人は窓の外を見つめたり、互いの手を握りしめたりした。この時間が、どれほど尊く、そして残酷なものか、言葉にする術はなかった。
医師から、もう時間の問題だと告げられた夜、美咲はひかりの手を握りしめ、静かに語りかけた。
「ひかり。ママとパパと、お兄ちゃんのこと、大好きだった?」
ひかりは、力なくまぶたを開け、美咲の顔を見つめた。そして、小さな声で、「うん……大好き」と答えた。それが、ひかりの紡いだ最後の言葉だった。
健一は、ひかりのベッドの反対側に座り、その小さな体を必死に目に焼き付けていた。胸の奥から、言いようのない苦しみが込み上げてくる。なぜ、こんなにも小さな命が、これほどの苦痛を味わい、そして消えていかなくてはならないのか。その感情をどこにぶつけたらいいかわからないまま、健一はただ、震える手でひかりの頭を撫で続けた。
明け方のことだった。
ひかりの呼吸が、徐々に弱くなっていった。健一と美咲は、ひかりを挟むようにしてベッドの傍らに寄り添った。悠人は、疲れて眠ってしまっていたが、その手には、ひかりがプレゼントした小さな野花が握られている。
「ひかり……」
美咲が、かすれた声でひかりの名を呼んだ。ひかりは、美咲の指をそっと握り返した。その指先から、生命の最後の熱が伝わってくるようだった。健一は、ひかりの額にそっと唇を寄せた。もう、声が出なかった。
やがて、ひかりの呼吸は、音もなく、静かに止まった。
病室に満ちていた、ひかりの温かい存在が、ふっと消えたような感覚だった。
美咲の目から、大粒の涙がとめどなく溢れ落ちた。嗚咽が込み上げ、もはや声を抑えることはできなかった。その悲しみは、美咲の全身を打ちのめし、立っていることすら叶わなかった。感情の崩壊とは、まさにこのことだと、美咲は思った。
健一は、ひかりの冷たくなっていく小さな手を握りしめ、ただひたすらに、その頬に涙を流し続けた。どんな言葉も、どんな行動も、この絶望を表現するにはあまりにも無力だった。ひかりを失った現実が、健一の胸に、鋭い刃のように突き刺さった。
幼い命の最期の輝きは、あまりにも儚く、そして、残された家族の心に、永遠に消えることのない深い傷跡を残した。