第四章 闘病の始まり
宣告から数日後、ひかりは入院することになった。美咲はつきっきりで病院に泊まり込み、健一は仕事の合間を縫って見舞いに来た。悠人は、なぜひかりだけが病院に行かなければならないのか、まだ幼い心では理解できず、不安と寂しさを募らせていた。
ひかりの治療は、想像を絶するものだった。幼い体にはあまりにも過酷な抗がん剤治療。点滴につながれ、何度も吐き気を催し、髪が抜け落ちていくひかりの姿を見るたび、美咲の胸は張り裂けそうになった。
「ママ、痛いよ……」
点滴の針を刺されるたび、ひかりは小さく泣き声を上げた。美咲は、その細い手を握りしめ、「ごめんね、ごめんね」と繰り返すことしかできなかった。痛みと苦痛に耐えるひかりの姿は、美咲の心をえぐり、そのたびに「なぜこの子がこんな目に遭わなければならないのか」という怒りと、無力感が全身を支配した。
健一は、仕事中もひかりのことが頭から離れなかった。昼休みも食欲が湧かず、スマートフォンでひかりの病気について検索する日々。しかし、どれだけ情報を集めても、明確な解決策は見つからない。むしろ、厳しい現実を突きつけられるばかりで、そのたびに絶望の淵に突き落とされた。
ある日、美咲は病室の窓から差し込む夕日を眺めながら、ひかりに語りかけた。
「ひかり、大きくなったら何になりたい?」
ひかりは、少し考えてから、弱々しい声で答えた。
「お花屋さん。きれいなお花に囲まれて、みんなを笑顔にしたいの」
その言葉に、美咲は胸が締め付けられた。ひかりの未来には、無限の可能性があったはずだ。お花屋さんになりたいという、ささやかな夢すら、この病気が奪ってしまうのか。美咲は、抑えきれない悲しみに、病室の隅で声を殺して泣いた。
悠人は、ひかりが病院にいる間、実家で過ごすことが増えた。両親が毎日ひかりの元へ通う中、悠人はひとり取り残されたような寂しさを感じていた。公園で遊ぶ子どもたちの笑い声を聞くたび、ひかりと遊んだ記憶が蘇る。妹がいない生活は、どこか色が褪せて見えた。
ある夜、健一が帰宅すると、悠人がリビングでひかりの描いた家族の絵を抱きしめて泣いていた。
「パパ……ひかり、いつ帰ってくるの?もう、遊んでくれないの?」
健一は、悠人を抱きしめた。幼い悠人に、ひかりの病気をどう説明すればいいのか。健一は、悠人に嘘をつきたくなかったが、残酷な真実を告げる勇気もなかった。ただ、悠人の小さな背中をさすりながら、「必ず、ひかりは帰ってくるから」と、精一杯の言葉を絞り出すしかなかった。
家族それぞれの感情の崩壊が、静かに、しかし確実に進行していた。美咲は、ひかりの痛みを代わってあげられないことに苦しみ、夜中に何度も目を覚ましては、天井を見つめていた。健一は、会社でどんなに忙しく働いても、心のどこかにぽっかりと穴が開いたような感覚が消えなかった。そして悠人は、漠然とした不安と、妹が戻ってこないかもしれないという予感に怯えていた。
病室のベッドで眠るひかりの小さな顔は、日に日に痩せ細っていく。チューブにつながれた体は、見るたびに痛々しい。しかし、それでもひかりは、時折、希望に満ちた瞳で美咲を見つめ、「早くおうちに帰りたいな」と呟いた。その言葉が、美咲の心をえぐり、胸をえぐるような痛みとなって襲いかかった。美咲は、どこにこの感情をぶつけたらいいかわからないまま、ただひたすらに、ひかりの回復を祈り続けた。