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第一章 はじまりの日常

春の陽光が、リビングの掃き出し窓からたっぷりと差し込んでいた。午前九時を少し過ぎた頃、キッチンからは焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂い、やがて軽やかな足音が聞こえてくる。


「パパ、ママー!お腹すいた!」


声の主は、佐藤家の小さな太陽、ひかりだ。五歳になったばかりの彼女は、寝癖のついた髪を揺らしながら、パジャマ姿のままテーブルについた。その小さな手には、昨日摘んできたばかりの、名も知らない野花が握られている。朝露に濡れた花びらは、ひかりの指の熱で少しずつしおれ始めていた。


「はいはい、おはよう、ひかり。パン、もう少しで焼けるからね」


キッチンに立つ母の美咲は、ひかりの顔を見るなり、自然と笑みがこぼれる。元看護師だった美咲は、ひかりが生まれてからは専業主婦として、家族の健康と笑顔を守ることに全力を注いでいた。朝食の準備をしながら、美咲はひかりの頭を優しく撫でる。その手つきは、惜しみない愛情に満ちていた。


「悠人お兄ちゃんはまだ寝てるの?」


ひかりが首を傾げると、リビングの奥の部屋から、もぞもぞと音が聞こえてきた。小学校三年生になったばかりの兄、悠人だ。悠人もまた、ひかりの声を聞きつけて、ようやく目を覚ましたらしい。


「うーん……ひかり、うるさいよ」


まだ眠気の残る声でぶつぶつ言いながら、悠人がリビングに現れる。ひかりはそんな兄の様子を見るたびに、くすくすと楽しそうに笑うのだった。


「お兄ちゃん、これあげる!」


ひかりは握りしめていた野花を、悠人に向かって差し出した。悠人は一瞬眉をひそめたものの、妹の真っ直ぐな瞳に根負けしたように、しおれた花を受け取った。


父の健一は、既にダイニングテーブルについて新聞を広げていた。会社員として忙しい日々を送る健一にとって、家族四人が揃う朝食の時間は、何よりも大切なひとときだった。ひかりの他愛ないおしゃべり、美咲の淹れる温かいコーヒーの香り、そして悠人が時折漏らすぶっきらぼうな相槌。それら全てが、健一の心を穏やかに満たしていく。


「ひかり、今日はどこへ行くの?」


健一が新聞をたたみ、ひかりに問いかける。ひかりは目を輝かせた。


「あのね、公園でね、シャボン玉するの!大きいの、たくさん作るんだ!」


その言葉に、美咲は「あら、そうなの?じゃあ、お母さんも一緒に大きなシャボン玉作ろうね」と微笑んだ。悠人も、パンを頬張りながら、小さな声で「俺も手伝ってやるよ」と呟く。


どこにでもある、ささやかな家族の朝の風景。

笑い声と、温かいパンと、そして何よりも、ひかりの存在が、この家を明るく照らしていた。


誰もが、この穏やかな日々が、永遠に続くものだと信じていた。

その日も、ひかりの笑顔は、宙に舞うシャボン玉のように、きらきらと輝いていた。

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