02 悪霊
バグぴは、本棚を見つめた。この部屋で目覚めてから何度も見て、そのたびになんだか嫌な予感がして目を逸らした本棚を、今度という今度はじっくり、つぶさに眺めた。
判型も出版社も作者五十音もバラバラで、どう並べているのかはさっぱり分からない。新書、画集、文庫、コミック、ハードカバー。ジャンルは多岐にわたり、眺めていて飽きない本棚だった。
そしてバグぴには、わかった。
どうして自分がこの本棚を見たくないのか、が。
「どうしました、バグぴさん? 二次創作はお気に召しませんか? 魔法の訓練には、これが一番効果的、かつ、効率的なのですよ」
「……なんでだよ、って聞いても、まあ、ムダなんだろうな……」
「ムダではありませんが、建設的ではありませんね」
「それはムダってことだろ」
「失敗もまた、成功への道のりの一つ。試してみたらいかがです?」
「じゃあなんで? なんで二次創作が魔法の訓練になんの?」
「魔法について多く語ることはできませんが、狂気が鍵であることは間違いありません。バグぴさん、二次創作よりも狂気が必要になることはなにがありますか?」
「一次創作?」
「じゃあ、します?」
「………………二次創作にしとくよ。くそっ、君と言い争おうとした僕がバカだったってことだな」
「世の中には適材適所という言葉もあります、そう落ち込まないで」
ピアの言葉に、バグぴはため息とともに肩をすくめる。この際もう、理由はどうでもいい。気が付いたら記憶喪失で監禁中なのだ、今さら魔法を使うために二次創作が必要だ、と言われたところでなんだというのか。だが、それにしても今なら、閣僚集合写真に水着姿のアリクイが混ざっていてもスルーできそうだな、などと思った。
「二次創作SSだけど……まさか手書きで書けって言わないよな」
「もちろんです。そこのノートパソコンを使ってください」
「なにをどう書くのかは、僕が決めていいんだよね?」
「当然です! こちらからの注文は一つ、全力の、本気でお願いします!」
ピアに言われるがままのバグぴに、アマネは困惑の声をあげた。
「え、ちょ、バグぴ? や、やるの? 書くの?」
「うん、まあ」
「……え、あ、ひょっとしてそういうの書いたことあ……」
る? と聞こうとして、質問の無意味さに気付いて尻すぼみになる。が、本棚の前に立ったバグぴは笑って答える。
「いや、たぶん、全然ないと思うよ。創作系の知識みたいなの、全然ないし……この本棚にも、そういう本ないし」
「その、本棚?」
「うん、たぶん、これ……きっと、僕が好きだった本の棚、なんだと思う。どれもこれも、読んだ記憶はないのに、どんな本かわかる」
穏やかな口調で言うと、バグぴは一冊の古い本を取り出し、ぱらぱらめくり、少し笑う。本棚の選書基準についてピアに聞くべきなんだろうが……それをするとまた、誤魔化されるだろう。自分より頭の回転が数兆倍速く、また、ググるとわかる知識をすべてわかる相手に会話の技術で上回れるとは思わない。適材適所、だ。
「よし、決めた」
一冊の本を抜き取り、デスクに置きノートPCを立ち上げる。淀みないその仕草に、アマネは少し息を呑んだ。
本棚から本を取り、机に置いて椅子に座る。たったそれだけの動作なのに、所作、と呼びたくなる風格があった。文学少年を描くなにかのPVのようだ、などと感じて、思わず口にしてしまう。
「なんか……バグぴってさ、たぶん、なんだけど……育ち、良かったんだろうね」
「なんで?」
「うーん、なんかね、いちいち仕草が、キレイなんだよね……それに、私のこともピアのことも、オマエ、って言わないでしょ? あと、記憶喪失で意味わかんない部屋に監禁されてるのに、ちょー冷静だし」
「うーん……それは単に……」
「単に?」
「……アマネは、本読む方?」
「…………んー、あんまり、かな。マンガはすっごい読むけど、偏ってるし」
「へー、何系?」
「ルパンとゴルゴ」
「偏りすぎだろ」
「初恋は石川五右衛門なんだー、私」
「どういう……いやまあ、ちょっと分かる気もするけど」
「かっこいいもん。それで、なんで私が本読むか聞いたの?」
「……ピア、本棚をアップでアマネに見せられる?」
「お任せください」
どこにあるのかもわからない謎のカメラが、本棚にズームする。アマネはしばらく眺めるが……並び順以外、取り立てて変わった本棚とは思えない。
「これ、なんか、ヘンなの?」
「ヘンっていうか……ねえ……」
なにやらもごもごと歯切れの悪いバグぴ。
「…………そこの本棚が、以前の僕が好きで、内容を覚えてる本だとすると、ねえ……」
「あ、そっか! バグぴがどんな人だったか、予想がつくね!」
言われてアマネも真剣にタイトルを見ていく。
が……何もかも、わからない。
「小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団」と「異セカイ系」の隣に「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」があると思えばその隣は「TWO突風!」「熱いぜ辺ちゃん」「快楽ヒストリエ」。その下段には「めしばな刑事タチバナ」がずらり。その上に横置きで乗っている「虐殺器官」と「一九八四年」に「ミミクリー・ガールズ」が妙に目立つ。横でどん、と立つ「九龍城探訪」を支えるように「Ms.マーベル:もうフツーじゃないの」「フロントライン : シビルウォー」。かと思えば「暗号解読」「人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル」「すばらしい新世界」「月と六ペンス」「幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする」「世界の闇と戦う秘密結社がないから作った(半ギレ)」が、みっちり詰まっている。「指輪物語」の横に並ぶ「くたばれインターネット」と「巨乳はうらやましいか Hカップ記者が見た現代おっぱい事情」には何か意味がありそうに思えたし「IKEAのタンスに閉じこめられたサドゥーの奇想天外な旅」と「ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する」の並びにはいかにも意図がありそうで、しかしなさそうでもあった。「ファイアパンチ」と「はっちぽんちぱんち」はさすがに繋がりがありそうだったけれど、その隣に「聖書男 現代NYで「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記」があると別の繋がりにも思えてくる。そして一体全体「虎よ、虎よ!」と「将太の寿司World Stage」は印刷されてからこれまで、歴史上で、隣り合ったことがあっただろうか?「辺境の老騎士」「迷宮の王」「狼は眠らない」が隣り合っているのは自然だが、それらを「トーベ・ヤンソン・コレクション 5 人形の家」と「婚外恋愛に似たもの」で挟んでどうしようというのだろう?
「…………うん! わかんない!」
アマネはなんだかもう、笑い出したくなった。
本棚は天井までの二メートル近いもので、横は一メートル程度。それが二本、壁を埋めている。背表紙、タイトルを見るのがやめられない。「女だけが楽しむ「ポルノ」の秘密」と「本にだって雄と雌があります」が気になりすぎるし「博士と狂人」は一体全体なんの本なんだろう? エモめのボーイズラブ?
まるで誰かの脳みそを、直接見せられているような本棚だった。きっと、本人にしかわからない繋がりの、意味と情報と記憶の数々。見てわかるのは、持ち主が、かなりの読書家だろう、ということだけ。
「…………これさ……バグぴ、ほんとに、これ……全部、わかるの?」
「わかる、覚えてるっていうか……知ってる感じ」
「じゃあ……チョコレート・アンダーグラウンドってどんな本?」
アマネは、自分も読んだことのある、児童文学の内容を尋ねてみる。健全健康党という独裁政党により甘い物が法的に禁止された架空世界で、子どもたちがチョコレートの密売レジスタンスをやる話だが……
「全年齢版の一九八四年」
「…………一九八四年は?」
こちらも読んだことはある。古典の名作SFだ。全体主義・共産主義的な独裁政党が世界を三分している中での話だが……
「十八禁版のチョコレート・アンダーグラウンド」
なんの説明にもなっていない要約。しかし……
「……そうかも」
「だろ」
「……ってかどの本をいつ読んで、どう思ったかとかは覚えてないのに、内容は覚えてるの?」
「なんか……不思議な感じだよ。今読んでるのだって……知ってるのに、覚えてない」
そう言うとバグぴは、手にしている灰色海の王たちを見せて、本棚の一角を示す。そこには、灰色海の王たち、と書いてある本が少なくとも三十冊はあった。
「旧訳と新訳の違いは逐一言えるのに、どっちが好きだったかはわからないんだ」
バグぴは平然と、雨だから今日の体育は体育館、程度の口調で言うが、それを聞くと、アマネの心はきしんだ。
「それって……なんか、ちょっと……ううん、すごく……悲しいね……」
「そう?」
「そうだよ……ねえピア、バグぴの記憶は、戻らないの?」
「魔法を習得できれば、あるいは、戻る可能性はあるかもしれません。申し訳ありません。今の私からは、不確定要素が多すぎて、なんとも申し上げられません」
「いいよ別に……ってか、たぶん、魔法が使えるようになってさ、記憶を戻す魔法……みたいなのがあってもたぶん……使わない、かなあ……」
本をぱらぱらとめくりながら、軽く答えるバグぴに、アマネは目を丸くした。
「なんでぇ?」
「なんでって……そりゃ……」
バグぴは本棚に目をやって、大きくため息をついた。
「僕に残ってる知識と、この本棚を合わせると、僕には、以前の僕がどういうやつだったか、まあ想像は、つくんだ」
「え、そんなヘンな本ばっかなの? そうは……見えないけど」
「本単体なら、まあ別にいいんだよ。むしろ、いい趣味してんな、って結構な人が言うと思うよ。面白いのだけしか並んでないし。でも……僕の中にある知識と合わさると……なんつうか、簡単にわかる」
「うそ、どんな人!? すっごい読書家で、図書委員とか? あ、作家志望……ううん、ひょっとしたらバグぴ、作家だったのかもよ! こんなに本読んでるんだもん!」
アマネの言葉に、バグぴは軽く首を横に振る。
「いいや、違うよ」
「じゃあ、なに?」
次の言葉は、アマネの脳の奥深くに打ち込まれた。
「インターネットの悪霊」
冷え切った口調でそれだけ言うと、また本に視線を戻すバグぴ。アマネはその言葉の意味を詳しく聞きたかったけれど、だいたい想像はついてしまったから、聞くのはやめておいた。
アマネもSNSはやる。そこには、いくらでもいる。敵意と悪意をまき散らすことだけが目的の、ネットの悪霊としか言えないような書き込みや放送は、何百回も目にしたことがある。
やがてバグぴは、ぱしゃ、ぱしゃ、遠慮がちにだけれど、ノートパソコンのキーボードを叩き始めた。
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
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