84.ネズミ将軍
金獅子の団が騎士団に昇格してから数日後、金獅子の団は再び遠征に繰り出していた。
敵はやはり獣公国。獣度の高い獣人達がガルカト王国に反旗を翻し、作り上げた国である。ガルカト王国は長年彼らとの戦いを繰り広げていた。
だが、今回の戦は、普段とどこか違っていた。
山間で繰り広げられた戦は烈勢になり、金獅子の団は一旦森へと後退する。あらかじめ決められた作戦通りに、隊毎に分裂し入り組んだ森を進んでいく。
ルーナ隊もまた他の隊と分かれて、森の中を進んでいった。道順は、金獅子の団でも限られたものにしか伝わっていない。
にも、かかわらず......
「金獅子の団だ! 金獅子の団が来たぞ。!」
「あれは赤い鎧の隊だ! 構えーー!」
道の途中で丁度開けた空間に出る。そこは周りが高地に囲まれていて、ルーナ隊を取り囲むようにして、獣公国の敵兵たちが立っていた。
「――――っ」
(敵に進路を読まれてた......!?)
ルーナは目を剥く。
敵兵は一斉に矢をルーナ隊に向ける。
「――放てええええッッ」
敵の弓兵隊が一斉に矢を放った。
矢の雨がルーナ隊に降り注ぐ。騎士たちは急いで盾を掲げる。一部の矢は盾を貫通し、隊列の端にいた若い騎士が倒れる。
「――くッ!」
目にも止まらぬスピードで刃で矢を弾き返すルーナ。額には汗が滲んでいる。
ルーナは、弓矢の射程外へと速やかに隊を動かすよう指示する。彼らは密集した隊列を解き、より小さく散開しながら森の陰に退避しようとする。
「ルーナ、あれは――!?」
しかし、副隊長のジョエルが叫ぶ。ジョエルはハイエナの顔を怖ばらせた。
急に辺りが暗くなり、空が不気味な静けさに包まれた。
ルーナ隊が逃げようとするその先に、何か黒い煙のようなものが立ち上る。まるで闇そのものが人の形を成したかのように、それは立っていた。
体中を鎧の装甲で包み、装甲と装甲の隙間から毛深い灰色の毛皮が垣間見える。兜は被っておらず、その素顔がわかる。
丸い耳。細く長い髭。大きな前歯。ネズミの獣人のように見えるが、ルーナの2倍3倍もの体格でネズミにしては大きすぎる。黒く光る瞳は狂気に歪んでいた。彼の気配がルーナ隊の騎士達を萎縮させる。
「あれが......敵将? ......誰......なの?」
「わかりません。無名の将かと......」
彼を背負う黒い馬もまた巨大で、一歩踏み出すたびに地面が揺れる。ネズミの将軍の手には巨大な黒い剣が握られており、不気味な光を放っている。
――ズドンッ
ネズミの将軍が大剣を一振りする。と、ルーナ隊の騎士達が簡単にその巨大な剣で投げ払われる。
「――――っ」
あっという間に、人垣を振り払っていき、隊の中心にいるルーナの元へネズミ将軍が近づいてくる。
ドンッ
木の幹のような馬の足が、ルーナの目の前で地面を踏む。ネズミ将軍がルーナを真正面から見据えた。
「あんた、この私が誰だかわかってんの?」
赤い兜の下で、ルーナの瞳がぎらつく。
「......ルーナ」
「あん?」
ルーナは訝しく感じた。ルーナの事は戦場では『赤い鎧』で認知されている。本名で呼ばれるとは思っていなかった。
「ルーナ......殺す......」
「......」
ネズミ将軍は真っ黒な瞳に怒りの炎を燃やしていた。凄まじい殺気だ。ルーナ以外の騎士達が無意識のうちに一歩後ろに退く。
「む、無名の将軍だと......?」
ルーナ隊の一人が鼻で笑う。
「ハッ......馬鹿なネズミ野郎だ。こっちは金獅子の団、六大英傑が一人、『戦場の生ける伝説』とまで呼ばれた『赤い鎧』だぞ。死にに来たのか?」
それを聞くと、怖気づいていた他の騎士達も笑い出した。
だが、当のルーナは、目の前の敵将の異様なオーラに、体中が警告を発していた。
「......この私を負かそうってんなら名前くらい名乗ったら?」
「......」
敵将は何も答えようとしない。ルーナはギリッと歯を食いしばる。
ルーナは馬を走らせた。風のように空を切り、ロングソードをネズミ将軍に突きつける。スピード型のルーナの攻撃は、他の兵士たちの目にはとまらない。だが、その敵将は、まるでルーナの動きを読んでいたかのように、攻撃をかわした。ルーナは再び、敵将に剣を何度も突きつける。だが、やはり同じ速さで反応し、彼はその黒い大剣で防御する。
戦場は息をのむような静寂に包まれる。
「なんだあの速さは」
ヘンリーが顔を強張らせる。周りの兵士達も息を呑んで、ルーナと謎の敵将との戦いを見守る。敵将は、明らかに重量型の見た目をしているにも関わらず、ルーナのスピードに完全についていっている。
今度はネズミの敵将がルーナに反撃をする。大きな黒い刃がルーナを襲う。
(――重いッ!)
ルーナは剣で受け止めるが、ヒヤリと汗を流す。瞬間、
――ズドッ
後ろに吹き飛ばされる。馬ごと転ぶ。ルーナは急いで馬を立ち上がらせる。馬は今の一撃でかなり疲弊したようだった。
剣の重さも速さも、あのトロール族長を思わせる。獣公国で獣人がそれほどの業を見せたのを見たことがない。
(......間違いない)
その時、ルーナは直感した。
彼は、間違いなく獣公国最強クラス強さの将軍だ。だが、彼は、ルーナの知っているどの将軍にも特徴が一致しない。
「......獣公国は新しい原石を見つけたようね」
「......」
トロール族長を思わせる、重さと速さ。だが、ネズミ将軍にはそれ以上に特徴付ける物があった。
それは、憎悪だ。
ネズミ将軍の顔は、憎しみで歪んでいた。彼の瞳は炎のように赤黒く光り、その光は純粋な怒りと憎悪の色を帯びている。大きな前歯が噛みしめられ、そのたびに筋肉が顔の皮膚の下で躍る。その表情は、ただの怒りを超えたものだった。目はルーナを射抜くように見据えた。それは、単なる戦闘の興奮ではなく、長い時間をかけて醸成された深い憎悪の感情。それが、剣を重く、深く、固く、強くしている。
(これは......手こずりそうね......)
戦場は混戦を極めた。ルーナが敵将に手こずっている間にも、どんどん敵兵がルーナ隊を囲んでいる。早く蹴りをつけて逃げなければ、ルーナ隊は全滅してしまう。だが、目の前の敵将が彼らの逃走を逃さない。
その時、眩い光がルーナの視界の先に現れる。
金色の鎧が、太陽の光を反射していた。
「......リオだ! リオ団長が......本隊が助けに来てくれたんだ!」
「助かった!」
金色の鎧__リオがこちらに向けて剣を差し向ける。すると、本隊の味方達が雄叫びをあげてルーナ隊へ向かって走ってくる。リオもまたこちらへ馬を走らせてくる。
「キシャアッッッ!」
突然、目の前の敵将が叫び声をあげた。まるで獣のようだった。知性のない、純粋な怒りの声だ。
そう、ネズミ将軍は怒っていた。彼は、リオが出現したとき、今までとは比べものにならない程に殺気を増幅させていた。
ネズミ将軍はルーナからリオへと狙いを変えようとする。
「あんたの敵は、この私よ!」
だがルーナはそれを許さない。ルーナは攻撃を繰り出す。だが防がれ、反撃された。返ってきたその一撃はあまりにも重かった。それは先ほどの攻撃とは桁違いだった。
怒りと怨念。大きな感情がその刃に込められているようにルーナは感じた。
「ぐッ......」
「殺してやる......殺してエエええ!」
ルーナの剣は折れ、敵の刃がルーナの乗っていた馬にまで及んだ。馬の骨と肉が引きちぎられ、馬は悲痛な叫びとともに横に倒れる。
――そこからは、一秒一秒が遅くなったように感じた。
倒れる瞬間、ルーナに再び黒剣の巨大な刃が降り注ぐ。死神がルーナを誘うかのようだった。
......
............
......敵の刃は、深々と肉を裂いた。
血飛沫があがり、ルーナの目の前が真っ赤に染まる。
「そ、そんな......」
ルーナはかすれた声を出した。
ぽた......ぽたぽた......
傷口から大量の血が流れる。
......
......敵の大剣が、リオの体を切り裂いていた。
リオが、ルーナをかばったのだ。
右肩から左の脇腹にかけて大きく切り裂かれている。血が溢れ出す。
「......うッ......ッ」
口からも大量の血が吐き出した。
ルーナは視界が真っ白になるような感覚を覚えた。




