129.リオの過去2
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ちなみに、『愛人』っていうからには、正妻もいたんだからね。
俺と母さんは商人夫婦と同居していて、まあ、それはもう肩身が狭かったよ。
おまけに、住んでいたのは獣人街だったんだ。
ゼフは『獣人街』って聞いた事ないかな? 名前の通りだけど、獣人が住む街だ。ガルカト王国にはそういった街が点々とある。多くは獣度の高い獣人が住んでいる。皆人間や他の種族の迫害から逃れてその街に住んでいるんだ。だから、そこではむしろ人間である俺と母さんが異物扱いだった。
とにかく、生きづらい場所だったよ。獣人街に住むような人は皆人間に恨みがある。そうじゃなくても、なんでここに人間が住むんだっていう目で見られていた。
おまけに母さんは商人の愛人だから益々偏見の対象だった。色々と悪い噂を流されていたし、俺は友達ができなかった。何度も母さんにどこか別の場所へ行こうって言ったんだ。でも、母さんは、絶対にここを離れたくないって言った。だから俺は我慢するしかなかった。
俺はあの街も住んでいた屋敷も使用人の仕事も嫌いだった。
買い出しの仕事が一番きつかった。母さんは主人にべったりで始終屋敷にこもっていたけど俺は一人で街に買い出しに行かされていた。その度に住民から睨まれたよ。
「人間が来た」
酷い時は、子供達に石を投げられたり、囲まれて殴られたりした。大人達は見て見ぬふりした。痛みよりも、孤独感の方が辛かった。母さんは俺の怪我に気づかなかった。あるいは、気づかないふりをしていたのかもしれない。
俺があの屋敷で唯一好きだったのは、ペットの犬を世話する事だった。ペロって言うんだ。俺だけに懐いてた。他の奴には吠えるのに、俺を見るとパッと笑顔になるんだ。なんだろうな、あの感覚。温かくて、優しくて......。いつか大人になったら俺もペット飼いたいなあ。
母さんはこれ以上周りに色々言われないために、俺にひたすら我慢させた。行儀よくしろ気使え勉強しろ遊びに行くな仕事しろあれをするなこれをするなあれをしろこれをしろ。母さんは、敬虔な信徒だった事もあってとても厳しかった。ある日、飢えた子供が露店から食べ物を盗んだ。すると、母さんはその子を捕まえて店主に引き渡した。子供が死ぬ程殴られているのを眺めながら言った。
「女神様は盗みを許さないわ」
母さんにとっては神様の教えは絶対だし、俺にも守らせようとした。
俺、これでも昔は結構落ち着きのない子供でさ、なんでも興味があってなんでもやってみたかった。その度に母さんは俺を否定した。
それに......もしかしたら、皆驚くかもしれないけど、昔の俺は要領が悪かった。
親の言う事は聞けないし、やろうとしても上手くいかない。
時々、たまらなくなって泣いたときがあった。
するとさ、母さんも泣くんだ。
泣きながらこう言うんだ。
「お前は母さんと同じで出来損ないね」
「なんで母さんの事を理解してくれないの?」
大人っていうのは勝手だ。子供を理解しようとしないのに理解されたがる。自分より何も知らない子供がいつだって間違っていると思い込む。自分が正してやらねばと思い込む。
いいや違う。母さんは悪い人間じゃないんだ。母さんは暴力は振るわなかった。まあ、神様の教えがあったからかもしれないけど。
ただ、もろい人間だった。不器用で世間を知らない。周りの視線が気になってしょうがない。頼れる何かが無いと生きていけない。
母さんはまるで、嵐の中の小舟だった。他の人間が辞めていってもなおマリア様の使用人を続けたのは忠誠からじゃない。獣人街で迫害を受けても商人の愛人として生活し続けたのは愛からじゃない。
全部、依存だ。
母さんの人生は大海原の中で依存先という島を探して漂うものだった。
俺はそんな母さんに依存していた。獣人街の人々は人間を嫌うし、屋敷の商人夫婦は俺の存在を煙たがった。俺には母さんしかいなかった。でも、母さんは俺を受け入れられなかった。
俺が泣いて、母さんが泣いて、そしてまた俺が泣いて、母さんが泣いて......。
いつの日だったかな。そんな日々が変わったんだ。
いや、もしかしたら、あの時がきっかけだったのかもしれない。
ある日、母さんがつぶやいた。
「産まなきゃよかった」
聞き間違えだったかも。でも、振り返った時、母さん、変な顔してたんだ。うん、変な顔してた。俺はその時、人生で初めてとてつもない恐怖を感じた。
――変わらなきゃ、捨てられるかもしれない。
その時の俺は、母さんに捨てられたら死ぬだろうって思った。一人じゃ生きていけないって思っていた。
だから、俺は演じてみたんだ。母さんが求める『良い子』を。
俺は自分を殺した。俺は必死で我慢して演技を続けてみた。要領が悪いのは相変わらずだったけど、言う事を聞かない子から言う事を聞く子にはなった。
すると、母さんは、
「憑き物が取れた」
そう言って、泣いて喜んだんだ。
不思議なんだけどさ、その時俺は道端で見た娼婦を思い出したんだ。
母さんは子供に欲求があった。俺はただ欲求を満たせば良いだけだったんだ。
俺はその日から『良い子』を演じ続けるようになった。母さんは喜んだ。
でも俺は......俺は多分、内心気味が悪かったんだと思う。母さんも、自分自身も。今思えばね。
それから数か月後、俺と母さんは主人からあっさりと捨てられた。丁度冬の寒さが厳しくなってきた時期を放浪した。母さんはずっと俺に言い聞かせていた。
「きっと神様が助けてくださる」
母さんは身売りも盗みもしない。目の前で息子が飢えてもね。俺達はやがて、飢えと寒さに倒れた。母さんは最後に死にかけた時、言った。
「きっと神様は私達が今日死ぬ事を望んでいるのだわ」
俺はその時、何かがきっちり当てはまったように感じたんだ。
俺は、母さんに言った。
「神様なんてクソくらえ」
その言葉とともに、俺の中で何かが解き放たれた。俺は母さんの目の前で、露店からパンを盗んで走り出した。
俺は言いようのない解放感に包まれた。
俺は初めて、自分の人生を選んだんだ。
それから後は、ずっと一人で生きていた。
不思議な事に、人生を選んだあの日から、俺は何もかも器用にこなせるようになったんだ。物覚えが良いのは元からだったけど、できなかった事がすぐにできるようになった。他人の気持ちがわかるようになった。世の中が見渡せるようになった。先が読めるようになった。自分にできない事はないって思うようになった。
でも、何回か盗んだりしている内に捕まって......まあ、後は大体皆と同じ。いつのまにか戦場に連れてこられていた。