転移日本の生存戦略 政教分離
まさかの二作目
日本が異世界へと飛ばされてから、二年余りが過ぎた。
当初は滅亡すら想定されていたが徐々に改善を見せ、現在の日本は復活の兆しを見せ始めている。
国内では不穏分子の排除が急速に進んだ事でスムーズにこの非常事態へ対処する事が可能となり、<新世界対応プログラム>と総称される改革が進展している。
真っ先に進められたのは資源開発であった。
何よりも燃料の確保が急務であり、国内の閉鎖された石炭鉱山の再稼働と、尖閣諸島沖の海底油田の開発が急ピッチで行われた。
次いで、間を置いて近海で発見された無人島は鉱物資源の宝庫である事が判明し(コモンメタル)、周辺に国家勢力が存在しない事から日本領として編入が決定、水無月島と命名した(暫定)上で直ちに開発団を送り込んだ。
尤も、成果が出るまでには一定の時間が必要である為、その間は都市鉱山を利用した徹底的なリサイクルや廃線によって放置されたレールの回収などで繋ぎ、それ等の作業で一定の雇用も確保した。
また、自家用車の使用は緊急事態を除いて原則禁止とし、その他にもタクシーやレンタカーに対する営業停止命令を出し、船舶や航空業界にも営業規模縮小命令を出す事で燃料消費を極力抑える事となった。
一方、バスと鉄道は大幅に増便され、国民の足としてその機能を存分に発揮する事となる。
資源と同時に緊急性の高い問題となったのが食糧であった。
自給率の高い米はともかく、それ以外の多くは半分以下の惨状であり、気候や土壌の問題からほぼ輸入頼りであった品目はどうにもならない。
ともかく、まずは放置されていた農地の再開発から始める事とし、同時に大規模な農場を整備可能な土地を探した。
しかし、付近に都合の良い土地は存在せず、水無月島に中規模の農地を整備した以外はラフラシア大陸を利用する事となり、現地には日本企業による大規模農場がいくつも整備された。
次に、国内体制の立て直しに着手した。
まず大問題となったのが、雇用の確保である。
内需が大きい日本とは言え、資源無くして生産力を発揮出来ず、外国との関係無くして満足に経済を回せない。
そこで、この非常事態によって超ブラック状態となっている各省庁に於いて、臨時職員の雇用が大々的に行われた。
一方、技術職については工業力を維持して新世界での優位性を確保したい思惑から大規模な助成金が出された。
そして、大きな期待を寄せられたのが水無月島の開発である。
一般へ向けて募集した所、恐るべき勢いで応募が殺到し、順次移住と開発が進んでいる。
尚、政府の出した方針は第一次、第二次産業の保護と拡大を中心とする物であり、こうした雇用対策に飛び付いたのは第三次産業に従事していた人員が大半であった。
次に、防衛力の強化。
雇用問題の大きさによって、自衛隊にも若年層を中心に志願者が多数押し寄せていた。
ただし、経済が不健全な状態での軍事力への人員の集中は大きな影を落とすとして、入隊が認められたのは極一部に過ぎなかった。
しかし、ラフラシア大陸への進出によって人員不足が深刻化し、大々的な受け入れを行う方針が出された。
更に、ゴレル帝国の侵攻によって事態は悪化し、装備や編成の根本的な見直しまで行われる事となった。
同様に、警察でも見直しが進んでいる。
そして、政府が最も慎重且つ熱心に進めているのが、法改正である。
憲法も法律も国益保護を第一とし、刑罰の厳罰化や、国内情報や技術流出の阻止を目的とした新法がいくつも可決している。
また、各省庁も時機を見て大規模な再編を行う方針でいる。
次に問題となったのは、在日外国人の処遇である。
滞在数の少ない国籍者については比較的簡単であり、そのまま日本国籍と永住権を付与し、日本人として生活する事で大多数が落ち着いた。
難しい立場に置かれていたのは、在日米軍を擁するアメリカ人、対立関係な上に最も人口の多い中国人、何かと問題の多い韓国、朝鮮人である。
国内で独自に強力な軍事力を有するアメリカ人は、日本政府としても気が気ではない相手であった。
そんな中で、米軍が冷静さを保っていたのは幸いであった。
大使館を通して日本政府に対し、ブラックボックスを含む保有している軍事情報を全面公開すると同時に、要請があれば日本へその戦力を提供すると申し出がなされた。
その代わりに軍の維持の協力を要請し、同時に在日外国人の(アメリカ人中心だが)民心慰撫に協力するとした。
この動きによってアメリカ人は米軍を中心に纏まり、ひとまずは収まった。
対する中国人は、大きな混乱に見舞われた。
自暴自棄になって暴動を起こした外国人の内、実に六割が中国人であった。
加えて、国内に潜伏していた工作員が内紛を起こし、決別した一派は大規模な破壊活動に手を染めた。
更に、同時期に大使館では日本政府の庇護下で生き残りを図ろうとしていたのだが、一部の大使館員が暴走し、独断で行われた破壊活動に乗じて脅迫同然に中国人への優遇を要求した。
暴走した大使館員はすぐに全員が同じ大使館員によって取り押さえられたが、一連の動向によって中国人に対する処遇は厳しいものとなり、違法行為に手を染めた者は例え軽犯罪だとしても容赦無く収監された。
一方、破壊活動に参加しなかった工作員は日本の情報組織の一員として受け入れられ、厳しい監視下に置かれながらもそれなりの待遇で諜報活動や日本の情報力強化の為に動いている。
そして、韓国、朝鮮人は対極的な対応を取った。
韓国人は、中国人に次いで暴動の数が多い上に、大使館がそれを正当な行為だと正式に声明を出した。
また、過去の歴史の清算と称して新世界での大韓民国の建国を日本の全面負担によって行い、それまでは日本領土の一部を韓国領として割譲し(建国後もそのまま韓国領とする)、産業振興の為の技術情報の開示、権利の引き渡しを要求した。
結果、韓国人は永住権も日本国籍も与えられず(保有していた者は剥奪された為、物議を醸した)、大使館の要求も当然無視され、最終的には韓国と言う国そのものを認めない方針が閣議決定された。
最終的に韓国大使館は閉鎖となり(大使館員は全員拘束)、韓国人は指定された地域での生活を強要され、反抗者は半数以上が排除された。
ゴレル帝国戦後には、復興支援団体の名目で治安の悪い地域へ棄民同然に送り出され、その数は10万人を超えている。
尚、後に他の外国人犯罪者も、国外退去処分を受けた者には同様の対応を採る事となった。
朝鮮人は、正面から日本政府による庇護を求めたが、これまでに貯め込んでいた資産と現在まで続いていた工作活動の情報、そして工作員を代償として引き渡した。
更に、朝鮮人を日本政府が管理しやすくする為に、特定の施設へ集合するよう命じた。
朝鮮人は、日本への恭順の姿勢が認められたものの、引き渡し予定の工作員の一部が暴走した事でしこりが残ってしまい、中国人同様に厳しい環境に置かれている。
こうして次々と対策を打ち、どうにか国を維持して来た日本だが、最近になって新たな問題が浮上した。
日本列島が転移した世界は、そこから西進するとラフラシア大陸が存在する。
更に西進すると行き当たるのが、この世界最大の<ドール大陸>である。
このドール大陸は、ラフラシア大陸以上に群雄割拠の大地であり、多数の国々が鎬を削っている。
そんな中、その様な争いとは無関係に、又は便乗する様に巨大な影響力を誇る勢力が二つ存在する。
それが、<ソロン教>と<イリス教>である。
その名の通り、宗教勢力である。
この二つの宗教によってドール大陸はほぼ二分されており、十字軍やジハードの様に、複数国を宗教の名の下に迎合して戦いを仕掛ける事もよくある光景となっている。
尤も、それぞれで様々な宗派や派閥もあり、同じ宗教国同士であっても戦乱が頻発している。
こうした勢力争いは大陸一つで収まる事はなく、現在は外海への積極的な布教を推し進めており、同時に軍事侵攻に及ぶ例も散見され、更なる勢力拡大が進んでいる。
そうした推移を辿っている両勢力にとっての最近のホットポイントは、ラフラシア大陸であった。
特にソロン教は、以前から熱心に布教活動を行っており、ゴレル帝国と対立していた<ダイガ帝国>に於いて大きな成功を収めていた。
その様な背景から、イリス教は対抗してゴレル帝国で活発に動き回っていたのだがあまり上手く行かず、そうこうしている内に日本の台頭が始まった。
そして、瞬く間にゴレル帝国とその周辺の勢力図を塗り替えてしまったのである。
漏れ聞こえて来る圧倒的な力に、彼等が強い関心を示すのも当然であった。
・・・ ・・・ ・・・
日本
地球世界では、主に対中国で忙しい日々を送っていた海上保安庁だが、その忙しさは転移後も変わっていない。
現在、日本は外国人(異世界人の事であり、在日外国人は含まれない)の入国に厳しい制限を設けている。
当初は新種の伝染病を恐れての措置であったが、ゴレル帝国戦を契機に新世界の倫理観に関する認識が改められ、国交を結んでいる国に設置されている大使館で発行している許可証無しでは、EEZにも侵入してはならないとされた。
その許可証の発行にも厳しい審査が必要であり、素行調査や思想調査によって問題無しと判断された上で日本の法律に関する講習を受け、最後にテストに合格する事で漸く発行される。
現地ではあまりにも厳し過ぎると不評だが、それだけに許可証持ちは大きなステータスとなっている為、一般人が貴族に囲われる例が出ている。
その一方、審査落ちした特権階級の目の前で零細の商人が合格し、それによって嫉妬からトラブルに発展する例も出ている。
尤も、この様な事情を知るのは現地では一部であり、何も知らずに直接日本へ向かおうとする船が後を絶たない。
そうした船の対応で巡視船が忙しく駆け回っているのだが、最近になって増加傾向にある人種への対処に、政府も海保も頭を悩ませていた。
対馬沖 巡視船あそ
この海域で活動中の漁船からの通報を受け、接続水域の外側に駆け付けた第七管区所属のあそでは、船員達がうんざりした様子で接近する帆船を見ていた。
『帆に赤い十字架の紋章を確認 ソロン教の宣教船と思われる』
「またですね」
「ああ、まただな・・・」
船長と副長が呟く。
ラフラシア大陸から日本へ向かう際、その航路は旧東シナ海を東進して長崎へ入る。
この航路は国内の漁業、海運関係者に周知されており、人手不足からそれ以外の海域で外国船を発見した場合には、すぐに通報した上で決して近付かないよう海上保安庁から要請されている。
大多数は許可証の事を知らない商船であり、その場で説明して引き返して貰っているのだが、中にはしつこく食い下がる者も存在する。
その筆頭が、彼等の目の前にいる宣教師である。
「これはこれは、あなた方は日本国の官吏の方であられますかな?」
宣教船へ乗り込んだ職員の前へ、髭を生やしたやや肥満体系の神父が前へ出る。
「我が国では官吏とは言いませんが、まぁその様なものです。」
職員の態度に、その場の全員が驚く。
「どうしました?」
「いえ、失礼しました。私は本船の指揮を執っております、司祭の ガリウス と申します。」
胸に手を当て、恭しく頭を下げる。
同時に、脇に控えている助祭も頭を下げる。
「我々は、日本国海上保安庁所属の者です。私は 馬場 誠一 です。」
敬礼する
その所作に、ガリウスは内心で感心する。
「いやはや、こうして日本の方々と巡り会えたのも神のお導きでしょう。」
その場で祈りの姿勢を取る。
「申し訳ありませんが、この海域は大陸からの航路から外れております。至急移動をお願いしたいのですが。」
「これは異な事を。海には海流によって通りやすいルートは御座いますが、陸の様に道が決まっている訳では御座いません。」
「我が国では、その海でも決まった道があります。」
「それは何故でしょう?確かに、港の近辺では事故を防ぐ為に通るべきルートが取り決められておりますが、それ以外は誰もが自由に往来が許されるべきで御座います。」
「我が国では、海にも決められた領域が存在します。また、往来する船舶も非常に多く、港以外の海域でも航路を取り決めなければ事故が多発するのです。」
ガリウスは周囲を見渡す。
「見た所、船は殆ど見当たりませんが?」
「今はあまりいませんが、盛んに動き回っていますので、留まり続けると進路を妨害してしまいます。直ちに移動をお願いします。」
「うーむ・・・畏まりました。それでは日本への案内をお願い出来ますでしょうか?」
「それでは、入国許可証の提示をお願いします。」
「入国許可証?」
ガリウスは首を傾げ、「何か知っているか?」と船員を見る。
しかし、全員が困惑の表情を返すだけであった。
その様子を見て、馬場が説明する。
「何と!何故、神のお導きを拒否なさるのですか!?私達は、あなた方をお救いせんが為に、命を懸けてこの地を訪れたのです!どうか、お取次ぎをお願い致します。」
ガリウスの目には、失望と憤りが混じっていた。
「どの様な理由であれ、許可証無しでは密入国扱いとなります。そうなれば、我々はあなた方を逮捕しなければなりません。」
「そ、そんな!貴方は自分が何を言っているのか理解しているのですか!?」
助祭が怒鳴る。
ソロン教では、宗教家を裁くのは同じ宗教内である。
王侯貴族に対する犯罪でもない限り、国家と言えどもその権限への介入はほぼ不可能となっており、ソロン教が国家よりも明確に上位に位置している。
イリス教も同様であり、国家権力によって拘束されるなど、彼等にとっては驚天動地の事態であった。
「我がソロン教は、国や種族を問わず神の救いを説いて参りました。」
興奮する助祭を手で制し、ガリウスは語り出す。
「国境によって理不尽に分断されていた同志達は、今や国境を越えて手を取り合うまでに至り、神の名の下に祈りを捧げて救いを得ております。お解りでしょうか?宗教に国境など無いのです。誰もが平等に救いの機会を得る権利があるのです。」
両手を前へ広げ、見下ろす様に言う。
「馬場様、貴方の職務を忠実にこなそうとする姿勢は実に立派で御座いますが、貴方とてこの権利を阻害する権限は持ちません。どうか、このまま貴国へ御案内をお願い致します。さすれば貴方にも、神のお導きがありましょう。」
堂々と言い切ったガリウスだが、馬場の態度は何も変わらなかった。
「繰り返しになりますが、例外は認められません。もしこのまま引き返さない場合、逮捕どころか即時撃沈しなければならなくなります。フォレス王国までご案内しますので、どうか御理解を。」
平時に実力行使に及ぶ場合は、正当防衛以外では警告を無視して強行突破した場合に行うべしとされている。
尤も、警察組織である事から撃沈は最終手段だが、大国として振舞う為にもこうしたブラフは積極的に使う事を奨励されている。
「な・・・な・・・」
信じられないと言う表情で、ガリウスは固まる。
その様子を見て、馬場達は踵を返す。
「待ちなさい!」
助祭が声を上げるが、そのまま下船した。
「本当に、口だけは良く回る・・・」
ボートに乗り移ると、馬場は口を開く。
「口八丁が宗教家の武器ですしね。あの程度は出来ないと論外でしょう。」
やって来る宣教師は揃って、何を言ってもあれやこれやと理屈をこねて入国を迫っていた。
そこで、言うべき事を言ったらさっさと戻り、大人しく引き返すのを待つよう全管区に通達されている。
あそへ戻ると、甲板で揉めている様子が見えた。
「これは冒涜です!彼の国は神の救いを拒否したばかりか、その威光に背を向けて鼻で笑っているのです!決して許してはなりません!このまま進み、その罪深さを自覚させねばなりません!」
うつむいているガリウスの横で、助祭が身振り手振りを加えながら声を荒げる。
「どうか冷静にお願いします。このまま進んでも、あの船によって海の藻屑となるだけです。」
船長がたしなめる。
「何を言っているのですか!?貴方はそれでもソロン教徒なのですか!?あの邪教を含め、我々は冒涜に決して屈せずに神の教えを広めて来たのです!決して屈してはなりません!」
邪教とは、イリス教の事である。
同時にイリス教でも、ソロン教を邪教としている。
「此処で死んでは元も子もありません。神の教えを広める事が出来なくなりますよ?」
「神の御加護がある我々に、そんな心配はありません!仮にこの場で死んだとしても、それは殉教です!神のお導きなのです!我々はその敬虔さによって魂が救われ、残された同志が必ずやこの偉業を継いでくれる事でしょう!」
「やめんか」
声を荒げ続ける助祭の声を、ガリウスが遮った。
「このまま引き返すのだ。」
「ガリウス様!?」
「さぁ、すぐに動きなさい。」
その指示に、船員は直ちに応じる。
「何故なのですか!?あの様な不信神者を放置して帰るなど、神の僕にあるまじき行為です!」
「愚か者が!」
その怒鳴り声に、助祭は勿論、周囲の船員もビクつく。
「貴様は神の何を知っておるのだ!?ソロン教の何を知っておるのだ!?碌に学んでもおらん未熟者が、軽々しく殉教を口にするでない!」
宗教に殉じて死ぬ
キリストの例が示す通り、それは酷く苦難に満ちた結末である。
それを理解しているガリウスは、安易に死を選ぼうとする助祭の理解の浅さに激怒した。
導くべき信徒を、その途上で死なせてはならない。
それが彼の決断であった。
・・・ ・・・ ・・・
フォレス王国
最初に日本と接触したこの国は、大きく変化していた。
仲介によって国交を結んだ四ヶ国と共に整備された大規模農場では既に収穫が進み、新たに発見された鉱山でも日本企業主導で採掘が進んでいる。
そして、それらはトラックでフォレス王国へと運ばれ、最初に発見した港町である<ハーン>から日本本土へと持ち込まれている。
ハーンは大車輪でコンテナ輸送に対応した港湾への改造が行われ、現在はそこから各地へ鉄道の整備が進んでいる。
尚、現地の物流網は現代水準には程遠い効率の悪い状態が続いている為、その穴を埋める形で地元民を雇用しており、良好な関係を築いている。
これ等一連の副次効果として、現地の収入や生活水準が上がっており、連動して物流や税収も上がっているお陰で、各国の親日度は鰻登りとなっている。
問題は、ゴレル帝国戦後に国交を結んだ元属国群である。
当初は、いずれもゴレル帝国を打ち破った力に恐れをなし、保身の意味合いから服従同然の条件を提示して国交締結へと舵を切っていた。
しかし、蓋を開けてみれば理不尽な扱いなど無く、その上で日本の協力によって発展を謳歌している五ヶ国の現状を知った結果、自分達も同じ恩恵に与りたいと誘致合戦を始めたのである。
だが、日本側のリソースの問題もあり、一度に全てに手を出す事は不可能と知るや否や激しく火花を散らせ始めてしまい、外務省が調整に苦慮している。
そんな中、もう一つの大きな問題が動き始めた。
日本大使館
王都に新たに設置された大使館。
日本側の手で建設された事でその外観は周囲とは明らかに異なっており、一目見ようとする人だかりが出来ているお陰で観光名所の様になっている。
また、日本の友好国の中でも最有力国の大使館でもある為、各国から次々と外交官や商人、貴族が繋がりを持とうと訪れている。
当初はならず者が忍び込もうとする事件が度々発生したが、隙間無く仕掛けられたセンサー類によってあっさりと見付かってしまい、職員に紛れた護衛によって無力化された。
結果、ひと月もする頃には騒ぎは沈静化したのだが、最近になって再び同様の騒ぎが断続的に発生し始めていた。
拘束した所、いずれもソロン教の関係者であり、腹いせで犯行に及んでいたのである。
経緯を聞くと、本土周辺海域で門前払いを受けた後、航路の関係から引き返した船はいずれもハーンへ寄るが、ソロン教関係者は代わりにそこで布教活動を行った。
本来の目的から日本人を中心に勧誘していたのだが、話は聞いてもそれ以上の成果は何も得られず、その姿勢を糾弾しようものなら容赦無く論破された。
その様子を見た現地民は「日本人はソロン教を受け入れたくない」と判断し、日本の機嫌を損ねない為に諦めてターゲットを変更した宣教師を冷たくあしらった。
その上、熱心な者は日本の宗教観を把握して糸口を見付けようとしたが、そこで判明したのは日本が多神教国である事であった。
ソロン教、イリス教共に一神教であり、神が複数いるとする多神教は決して存在してはならないとしている。
こうして積み上がった不満と怒りから、一部の過激な者が犯行に及んだのである。
結果として、日本政府はソロン教を大いに警戒する事となった(イリス教も警戒している)。
「憲法改正再び 自衛隊から国防軍へ」
椅子に座り、新聞の見出しを口に出して読む井上。
アルト王国との国交交渉の後、そのまま大使となった斎藤に対し、フォレス王国職員として異動となっていた。
「新世界に星条旗を 日本政府、アメリカ建国を正式に合意」
在日米軍の音頭によって一旦は沈静化した在日アメリカ人問題だが、彼等は星条旗への忠誠を失った訳ではなかった。
むしろ、アメリカの為に日本へ全面協力しており、戦力の提供はその代償としてである。
その為、当初からアメリカ建国への協力を求めており、日本政府も(今後の態度次第だが)適当な土地が見付かれば協力を検討するとしていた。
そして、数ヶ月前に北海道の半分程度の面積を持つ無人島が発見され、そこをアメリカとするべく調整が進められていたのである。
尚、他にも建国への協力を要請している大使館は多いが、現時点ではまるで見通しが立っていない。
「井上君、そろそろだから準備してくれ。」
「あ、はい」
井上を呼んだのは、フォレス王国大使の 小野 健一 である。
フォレス王国の外交官から、ソロン教が日本へ使節団を派遣したいとの申し出があった事を知らされ、政府としても最近の宣教師の問題を解決する為に接触が必要だと判断された。
尤も、大使館での事件から直接本土へ入れる真似は出来ないとし、様々な立場の人間と接触の機会が多いこの場所が会見場所として選ばれた。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか・・・」
政府の方針は既に決まっているが、事態を好転させられると信じている者は誰もいなかった。
豪華な装飾のされた帆船が、複数の護衛の軍船と共にハーンへと近付く。
帆には赤い十字架が描かれており、それがソロン教所属である事を示している。
十字架は人間を簡易的に描いたものであり、色が赤いのはこれまでの活動で犠牲になった信者を表している。
「前方に陸地を発見!」
マストの見張りが声を張り上げる。
「遂に到着ですか!」
「いやぁ、長かったですな!」
絹製の服を着た聖職者達は口々に喜びの声を上げ、船員は上陸準備をする。
そうこうしていると、再び見張りが声を上げる。
「前方より船が1隻・・・何だ?妙に大きい、帆は何処・・・ッ!何だあれは!?」
「何を言ってる!?正確に報告しろ!」
要領を得ない言葉に船長が怒鳴る。
「前方より巨大船が接近!材質不明、帆が無い!」
「何だと・・・?おい、寝惚けてるのか!?」
意味不明な報告に困惑する。
「船長、こっちでも見えましたぁ!報告の通りですぜ!」
船首に立っている見張りが声を上げる。
甲板にいる大半が船首へ向けて駆け出し、目を凝らす。
「・・・本当に帆が無い」
「いや待て、アレは船か?城と見紛う大きさだぞ!」
「明らかに木製ではない。アレは・・・金属か?」
「馬鹿な!あの報告は真実だったとでも言うのか!?」
あまりの光景に驚愕する一同を他所に、左右に陣取っていた護衛船が前へ出る。
その間にも金属船は距離を詰め、はっきりと目視出来る所まで迫っていた。
『此方は、日本国海上保安庁である 敵対の意思無くば此方の呼び掛けに応じ、停船せよ』
「あ、あれが日本の船・・・」
「どうしますか?」
船員が聖職者達を見る。
「・・・停船しなさい。護衛船にも早まった真似をしないよう、急いで指示を出すのです。」
豪華な装飾を身に着けている使節団代表の ロドギニア が答える。
「承知しました」
船長が応じ、指示を飛ばす。
手旗信号によって護衛船へ指示が伝えられて停船すると、金属船より再び不自然に巨大な声が響き渡る。
『これより、担当の者をそちらへ派遣する 攻撃しないよう願う』
「念の為だ、倉庫から武器を持って来い。」
普段は、許可された一部の者だけがナイフを身に着けているだけであり、大半の武器は食料と共に倉庫で厳重に保管されている。
担当者が船内へ駆け下りてから少しすると、金属船から小型船が降ろされた。
「予想はしていましたが、あれも金属製の様です。」
「・・・」
船長が言い、ロドギニアは食い入る様に船を見つめる。
「梯子を下ろせ!」
接舷したのを確認すると、船長が叫ぶ。
そうして登って来た存在を見て、一同はまた驚いた。
(な、何だ?随分とみすぼらしい格好だな・・・本当にこんな連中がゴレル帝国を打ち倒したと言うのか?)
やって来た者達は、何の飾り気も無い暗い青色の服装をしていた。
「代表者の方は?」
「自分だ」
尋ねられ、船長が応じる。
「あなた方の所属と目的地を教えて頂きたい。」
「所属はソロン教総本山、目的地はフォレス王国」
(この態度・・・舐められているのか、教育が行き届いていないのか)
ピリピリとした空気の中、ただ淡々と聞いて来る態度に不満を覚える。
「それでは、何を目的にフォレス王国へ?」
「日本国との会談が目的だ。その証書は、あちらの方が。」
ロドギニアを見る。
その視線に応じ、総本山から発行された正式な委任状を取り出す。
「・・・はい、確かに。それでは、我々がご案内致しますので、後に付いて来て下さい。」
「承知した」
この場でのやり取りが終わり、金属船へと戻って行った。
「・・・あれが日本人・・・」
誰かが呟く
「本当に彼等がゴレル帝国を降したのか?」
その呟きに、笑い声が漏れる。
「まさか、何かの間違いだ。」
「違いない。あんな貧相な連中が、何をどうすれば覇権国を相手に出来るのだ?」
「どうせ、卑怯な情報操作や奇襲でもやっていたのだろう。そんなモノにやられるとは、ゴレル帝国も焼きが回った様だ。」
そんな話をしていると、ハーンが見えて来た。
「噂ではハーンは様変わりしたとの事ですが、何をどう変えたのやら・・・」
「先程の船員を見る限り、噂は噂に過ぎないと思います。」
ぼんやりとした輪郭がはっきりして来ると、全員が違和感を覚える。
「・・・ん?」
「何か変だ。港がやけに大きい様な・・・?」
「な・・・何なんだアレは!」
目に入ったのは、港と言うにはあまりにも巨大過ぎる構造物であった。
桟橋は勿論、その近辺には骨組みの様な金属柱が何本も建っており、泊まっている船も恐ろしく巨大な金属船が大半を占めていた。
誰もが呆然とその光景を見つめる中、彼等の船も無事に停泊した。
暫く後、
船からは、まず立派な鎧を着た護衛兵が降り、次いで聖職者が降りる。
すると、黒い服を着た一団が近付いた。
「失礼します。」
「何者だ!?」
護衛が怒鳴る。
「私達は、これより皆様のご案内を務めさせて頂きます、日本国外務省の者です。」
「そうですか、私は当使節団代表のロドギニアと申します。」
挨拶をしている間に馬や馬車が船から降ろされ、準備が整うと船員が報告する。
「それでは、御案内致します。」
黒塗りの車が先頭を行き、その後方を護衛の騎兵と騎士が固めた馬車が進む。
馬車に揺られながら、ロドギニアはこれまでの経緯を振り返る。
ソロン教は、ドール大陸の西側に大きな影響力を有する宗教である。
既に1000年近い歴史を有するソロン教だが、ほぼ時を同じくして東にはイリス教が成立した。
勢力を拡大すると必然的に両勢力は接触し、そして衝突した。
しかし、多少の勢力範囲の変遷はあったが、そうなれば奪還しようと苛烈な攻撃を受け、元の木阿弥となる。
勢力争いは長期に渡り、互いに消耗を続けた。
直接的な戦闘によって人的損害が重なるのは勿論、大軍の維持の為に莫大な物資を常時浪費し、その為に民衆の生活は苦しさを増し、生産力も低下する一方となった。
更に、時間の経過によって組織は腐敗が進み、私利私欲を理由に破門が乱発される程となった。
こうした流れから必然的に改革を志す者が出現し、今度は内紛の時代が到来した。
新たな解釈を持つ宗派がいくつも現れ、同時に宗教そのものから離反する勢力すら現れた。
神の為、信徒の為と称した戦いは非常に過激であり、敵対勢力となれば慈悲も容赦も無く、街一つが丸ごと皆殺しに遭う事も珍しくなかった。
あまりにも苛烈な展開は、贅沢な生活に溺れて腐敗した人種を淘汰したが、同時に以前と変わらない苦しい生活が続く事となった。
それに気付いた民衆は戦いを止めるよう嘆願を出し始めたが、多くは背教者の烙印を押されて悲惨な末路を辿った。
結果、現状に耐えかねた民衆は勢力を問わず新天地を目指して逃亡するに至り、争いを続ける余裕が急速に失われたのである。
それでも過激な者は継戦を主張したが、当初の目的を思い出した者が実権を握って行き、どうにか折り合いを付けて戦乱を収束させたのである。
その後も、宗派によって度々ぶつかりつつも、ソロン教、イリス教として纏まり、新たな時代へ突入した。
戦乱は様々な技術発達を促すが、その中で最も隆盛を極めたのが造船業であった。
外洋を今までよりも安全に航海出来る立派な船の存在が、外海への布教による勢力拡大と言う選択肢を与え、積極的に打って出た。
そして、支配下に置いた地域から生じる莫大な利潤に目の色を変える事となる。
とは言え、互いにもう一つの勢力の邪魔が無ければと言う但し書きが付く。
そこでソロン教が採った策が、東側の勢力を味方に付けて挟み撃ちにすると言ったものであった。
その策は図に当たり、ダイガ帝国を引き入れた事でイリス教は大いに動揺した。
対抗してゴレル帝国を味方に引き入れようと躍起になったが成果は上がらず、そして日本が現れた。
覇権国家の転落はソロン教にとっても衝撃であったが、同時にイリス教が肩入れしていた勢力を降した日本を味方に引き込めないかと画策し始める。
当初は敵の敵は味方論で動き始めたが、宗教と言う武器は何処にでも浸透する事が出来る。
最終的には日本の中枢を教化し、本物の味方とすればドール大陸東側はソロン教勢力として安泰となる。
更に、漏れ伝わって来る未知の技術を我が物とすれば、更なる発展と勢力拡大、果てはイリス教打倒も夢ではない。
こうした考えから日本へ宣教師が派遣される運びとなったが、布教以前に入国すら出来ない有様であった。
通常、海を越えての上陸は港以外はし放題だが、どうやっても上陸前に見付かり、そして追い返されてしまうのである。
賄賂を提示しても意に介さず、撃沈すら示唆して来る。
何をやっても、誰を派遣しても上手く行かない現状に業を煮やし、中央の人間が直接出向く必要があると判断され、外交経験の豊富なロドギニアが選出され、現在に至るのである。
「想像以上だ・・・」
あまりにも巨大過ぎ、材質不明な桟橋
その桟橋に着いている、全金属性の巨大船
隣接する巨大な建造物群
報告を聞くのと、実際に見るとではまるで印象が異なる。
「ケントよ、どう思う?」
傍らに控える、痩せ型で長身の老人 ケント に問う。
彼はロドギニアよりも年上だが、腹心として活動している。
「正直に申せば、理解を超えております。街を見る限り、以前は我々の想像する通りのただの港町だったのでしょう。それを日本が、この様に様変わりさせたと考えて間違い無いかと。」
彼は、元の住民が住んでいる住宅街とそれ以外を見比べて、日本が後からハーンを大改造したと判断した。
「何と言う事だ・・・あの報告は全て真実だったのだな。」
「その様です。」
門前払いを受けた宣教師は、日本の実情を伝えようと継続的に報告書を上げていた。
しかし総本山では、その殆どを「信じるに値しない」と判断して切り捨てていた。
とは言え、何の情報も無しで使節団を派遣する訳にも行かない為、一応その報告書の内容を伝えていたのだが、やはり誰もまともに取り合わなかったのである。
「彼の国はあまりにも未知数です。この先どの様な動きを見せるにせよ、その動向から目を離してはなりませぬ。」
真剣な表情で言うケントに、ロドギニアは首肯する。
「解っている。しかし、問題は兵らだな・・・」
高圧的な態度を取ってはならない事は、下船前に通達してあった。
だが、早速外交官を怒鳴り付けてしまった。
大勢力であるソロン教の総本山から派遣された戦士である自負を持って訪れた結果、未知の勢力の圧倒的な光景を前に精一杯の虚勢を張ってしまったのである。
「心情は理解出来ますが、看過出来ない問題ですな。」
「とにかく、何としても布教の足掛かりを得て、彼の国の中枢を教化せねばならん。不当な野心を掲げる前に・・・」
悩みを抱えつつも馬車は進み、その日はゆっくりと休んだ。
翌日、
大使館へ案内された一行は、小野をトップとする日本外交官と対面していた。
一通りの自己紹介が終わり、本題へと入る。
「それでは、あなた方がこの様な所まで訪問された目的をお聞かせ下さい。」
小野が問う。
「我々は、総本山の意向を受けて派遣されました。此方を御覧下さい。」
ロドギニアが言うと、ケントが日本側へ書類を差し出す。
そこには、いくつかの要求が書かれていた。
Ⅰ 総本山は日本国へ、日本国及び日本国の影響圏に於ける、ソロン教の布教許可を要求する。
Ⅱ Ⅰの要求を受諾するにあたり、関連する土地の提供、又は売却を要求する。
Ⅲ Ⅱの要求を受諾するにあたり、提供を受けた土地にソロン教関連施設の建設許可を要求する。
Ⅳ Ⅲの要求を受諾するにあたり、ソロン教関連施設内を教会法(ソロン教独自の法典)の適用範囲とする事を要求する。
Ⅴ Ⅳの要求を受諾するにあたり、ソロン教関係者の出入国の自由を保障する事を要求する。
Ⅵ Ⅴの要求を受諾するにあたり、聖騎士(ソロン教が独自に保有する戦力)の現地駐留を認める事を要求する。
Ⅶ Ⅰ~Ⅵの要求を受諾するにあたり、日本国の現在の支配体制及び支配領域の正当性を、総本山の名の元に認める。
Ⅷ Ⅰ~Ⅵの要求を受諾するにあたり、日本国とソロン教影響圏との貿易を総本山の名に於いて受け入れる。
日本側が読み進めていると、徐々に眉間に皺が寄る。
(相当不快に感じている様だな。このまま開戦などと言い出さなければ良いのだが・・・)
その様子を注意深く観察し、ロドギニアは内心緊張する。
(国を格下に見た要求ばかりだな・・・これが、政教一致した世界の認識か)
並の国であれば強力な後ろ盾が出来ると喜ぶ所だが、日本にとっては不愉快な従属要求であると同時に、重大な主権侵害行為である。
読み終えて顔を上げると、小野が口を開く。
「まず申し上げますが、これ等の要求の受諾は不可能です。」
はっきりとした拒否の言葉に、大多数が怒りの表情を面に出す。
「それは何故でしょうか?」
「では、此方を」
ロドギニアの問いに、井上が書類を差し出す。
そこには、日本国内で宗教活動を認める場合の条件が書かれていた。
一 日本国は政教分離の原則を掲げており、宗教による政治への口出しは厳禁である。
二 宗教によって定められている規則は、国内のあらゆる憲法、法律に優越しない。
三 治外法権に抵触する領域は、これを認めない。
四 他民族、他勢力、他宗教に対する、排他的、攻撃的、差別的教義は、これを認めない。
五 四に関連し、他民族、他勢力、他宗教に対する危害は、これを認めない。
六 宗教による独自戦力の整備、保有、他国からの持ち込みは、これを認めない。
「何だこれは!?」
一人が大声を上げるが、この時ばかりはロドギニアも咎めなかった。
「これは・・・一体、どう言う事ですかな?」
絞り出す様なその声には、大きな怒りと困惑を内包していた。
日本側のこの条件は、今回の交渉の目的を達せられないどころか、これまでのソロン教の活動を全否定されているに等しいものであった。
「どう、と申されましても、そこに書かれている通りとしか」
「馬鹿にしているのか!?」
お付きの護衛が立ち上がる。
「座れ」
ロドギニアが鋭い口調で言うと、渋々引き下がる。
「さて、あなた方はこの非常識極まりない条件を我々が呑むと本気でお思いなのでしょうか?」
「何が非常識極まりないのでしょうか?」
ロドギニアの発言に、小野はわざとらしく問う。
「まず一ですが、そもそも政治とは、神の名の下に行われるものです。何故ならば、為政者は神にその地位を認められる事で就けるからです。神の僕として、神の代理たる宗教が政治に関わるのは必然なのです。」
周囲が頷く。
「二についても同様です。神の僕であれば、神の教えに従い制定された教会法を手本とした法典が制定されて然るべきなのです。」
此処で小野が口を挟む。
「あなた方がその様な手法を採る事を、私達は否定はしません。しかし、我が国がそれに従う義務はありません。我が国では、為政者の地位を認める存在は天皇陛下以外に存在しません。」
「天皇?」
「我が国の国家元首です。我が国は立憲君主制を採用しており、陛下は国の象徴として国事行為に携わり、政治的実権は有しておりません。」
(しょ、正気か?元首が実権を有さないなど、そんな馬鹿げた話があり得るのか!?)
信じ難い話に大いに困惑するが、小野の話は続く。
「続けますが、あなた方の提示されたⅣの要求についてですが、これは我が国内に聖域を創出する事になり、断固受け入れる訳には参りません。」
(どうして神の恩救を理解出来ないのだ?神による正当性どころか、これ程頑なに救いを拒否するとは、教えを理解出来ぬ未開人と同類ではないか・・・)
あまりにも頑なな日本側の態度に、一同は困惑と同時に侮蔑の色が濃くなる。
対するロドギニアは、根気よく話を続ける。
「祈りの場が聖域であるのは当然の事です。神に仕える機会は、誰であろうとも平等に保証されるべきであり、その為には祈りの場が犯される事などあってはならないのです。そしてこちらも言わせて頂くが、あなた方の要求にある四ですが、これは最早冒涜です。即時撤回を要求します!」
「冒涜と言われたが、そちらは我が国に対し、重大な主権侵害をしようとしている。その自覚はおありか?」
「主権侵害?貴国に対し、重大と言われる様な背信的な行いなどありませんが?」
この世界では、主権に類する概念自体が存在しない。
それに類似した認識は誰もが持っているが、あくまで漠然とした考えに過ぎず、明確な定義付けや文章による記載、国家間の取り決めなどは一切存在しない。
それどころか、小は個人レベルから大は国家レベルまで、強者が弱者を好きに扱う事が当たり前である。
「あなた方の要求は、我が国の内政に深く干渉する事になります。これは、断じて認める訳には参りません。」
「それは、政治の私物化です。神の代理たる我がソロン教の手を離れ、完全なフリーハンドで政治を執り行うなど、救うべき民に死ねと言っているも同じではありませんか。」
建前として、ソロン教でもイリス教でも各国の政治腐敗を防止し、民衆の窮状を救う事を目的に、宗教による介入によって神の指導を仰ぎ、正しい方向へ国を導く役割が絶対必須とされている。
「ではお聞きしますが、貴方は先程、平等と言われましたな?」
「ええ、その通りです。神の教えを受け、祈りを捧げ、救いを得る機会は誰であろうとも平等に保証されるべきなのです。」
「では何故、あなた方には身分差が存在するのでしょうか?」
「は?」
小野のこの問いに、今まで表情を崩さなかったロドギニアも困惑の表情を向ける。
「平等を謳っているにも関わらず、教会で重要なポストにいる方々は質の良い生地と豪華な装飾で身を包み、毎日十分な食事にあり付けます。一方、民衆の多くは瘦せ細り、過酷な環境で死ぬまでこき使われている光景が広がっていますね?」
予想外の指摘に苦渋の表情が滲む。
「確かに・・・そうした光景が各地で見られるのは事実ですが、その原因が我々であるかの様な物言いは見過ごせません。むしろ、我々はその様な光景を撲滅する為に動いております。飢えた民衆に施しを与え、孤児を保護し、権力者の不当な搾取を阻止しています。」
「その施しを与える為の資金と物資は何処からやって来たのでしょうか?同じ民衆から回収した物では?保護すべき孤児が多発しているのは何故でしょう?それは、いつから続いているのですか?そもそも、真面目に祈りを捧げている信徒が救いを得るどころか、権力者の不当な搾取に喘ぐとはどう言う事でしょうか?」
施しを与える為の原資は、寄付と言う名の税によって余裕の無い民衆や真面目な富裕層から主に吸い上げられている。
保護すべき孤児達は、施しすら得られずに飢え死にした両親の子供や捨て子、戦乱や盗賊からの生存者が大半を占めている。
搾取をしている権力者は、自身の持ち得る権力のみならず神の名を利用しているばかりか、聖職者自身が搾取する側に回っている例も多い。
「そして、聖騎士と言う名の武力をあなた方は保有している訳ですが、教えによって救いを得られるのであれば、武力を持つ必要など無いのではありませんか?」
小野の責めとも言える言葉に、ロドギニアは重々しく口を開く。
「・・・世界には数多の危険が存在します。それこそ、身近には猛獣などが、もう少し広く見れば野盗などが、更に広く見れば敵軍などが存在します。残念ながら、世界には不信神者が多数おり、不測の事態によって命を落とす信者も少なくありません。それを防いで身を守る為にも、一定の武力は必ず必要になるのです。あなた方もそうではありませんか?」
「身を守る必要性を否定するつもりはありません。我が国も、国家国民を守る為に軍事力を保有しております。ただ、あなた方は身を守るのではなく、外部への侵略の為に武力を使ってばかりではありませんか?」
「いい加減にしなさい」
いつの間にか、ロドギニアの視線は非常に鋭くなっていた。
「これ以上の冒涜は許しません。今すぐにこれまでの発言の撤回を要求します。」
その台詞に合わせて数人が立ち上がり、日本側を威圧する。
「残念です・・・どうやら、お互いに歩み寄る事は出来そうにありませんな。」
「黙りなさい!」
ケントが怒鳴る。
「我々を散々侮辱しておきながら、その言い種は何か!?いや、我々のみならず、神をもこれ程までに冒涜する者はかつて無かった!神は、罪深き我々人間をお救いせんが為に手を差し伸べて下さっているのだ!にも関わらず、その手を払い退けるどころか唾を吐き掛ける如きその態度、断じて許されるものではない!」
「その通りだ!」
「直ちに撤回せよ!」
「神の威光にひれ伏せ!」
ケントの勢いに引っ張られ、次々と声を上げる武官や司教。
「その辺にしなさい」
冷静さを取り戻したロドギニアが制し、一旦は収まる。
「こう言う事はあまり言いたくはありませんでしたが、これまでにも神の教えを否定しようとした者は何人もおりました。しかし、その悉くに神罰が下ったのです。」
「神罰?」
「はい。神より下される罰を、我々は神罰と呼んでいます。その形は様々なのですが、共通しているのは破滅の結末を迎えたと言う事です。信徒達の怒りを買ってそれまでの地位から引き摺り下ろされたり、身近な者に暗殺されたり、軽率に軍を動かして返り討ちに遭ったりと本当に様々ですが、神罰を回避出来た者は終ぞ現れませんでした。」
何も言わない小野に対し、更に言葉を重ねる。
「我々としましては、例え敵であろうとも神罰によって破滅を迎えるのを良しとはしていません。身近な者によって殺される事もあるのです。誰がその様な罰を喜ぶのでしょうか?ですが、神を否定し、冒涜した罪は悔い改めない限りは許される事がありません。もしそうなれば、我々はあなた方の来世が罪に苛まれず、神に祝福された幸福なものであるよう祈りを捧げますが、出来ればその幸福は今世で得て欲しいものです。」
「これではただの脅迫ですね。」
「貴様!」
再び場のボルテージが上がる。
「まず申し上げたいのは、今仰った事はいずれも神罰などではありませんね?」
「ッ・・・ほう、何故そう思ったのかお聞きしても?」
「いずれも、人の手によって手が下されているからですよ。神罰ではなく、神罰だと言って勝手に人が人を罰しているに過ぎません。いえ、罰には正当な手続きがありますから、それすら無く殺害しているのなら、それは最早私怨ですね。」
あまりの物言いに、護衛は殺気すら帯び始める。
「また、神を否定する行為を殊の外敵視している様ですが、我が国は信教の自由を保障しております。つまり、どの神を信じるかはもとより、信じない自由もあるのです。」
この説明に一同は暫し呆然とするが、すぐに立ち直ると口々に罵声を浴びせ始めた。
「何たる事!何たる冒涜だ!」
「信じられん!神を否定する自由があるだと!?有り得ぬ!」
「不信神者め!いや、異端者め!」
「直ちに撤回せよ!これ以上の冒涜は許さん!」
収拾の付かない怒号が飛び交うが、それも時間の経過によって徐々に収まる。
静かになったのを見計らい、ロドギニアが口を開く。
「非常に残念です。これでは、貴国に神罰が下るのは確実でしょう。」
「軍事侵攻を行って「これが神罰だ!」などとは言いませんね?」
「神罰は、あくまで神の御意志によるもの。聖騎士によって攻撃せよと裁定が下ったならば、我々はそれに従うのみ。」
「やはり、身を守る為ではありませんでしたね。」
「まだ言うか!」
「・・・」
一人がまた声を上げるが、ロドギニアが目で制す。
「どうやら、これ以上は無意味な様ですね。」
「本当に残念です。あなた方とは、同じ神を信じる同志となりたかった・・・」
そう言って立ち上がり、退室の準備を始める。
そうして背を向けた時、小野は呟く。
「自らを信じないから排除するなど、それは本当に神と言えるのでしょうか?まるで、圧制を敷く権力者ですね。」
「何ですって?」
「いえ、ただの独り言です。」
向けられているいくつもの鋭い視線など何処吹く風で返す。
その後、
帰還の途に就いた一行は怒りが収まらず、船のあちこちで悪態を吐いていた。
そんな中、船内ではロドギニアとケントが深刻そうな顔で話し合っていた。
「まさか、あそこまで言い負かされるとは思ってもみなかった・・・」
「彼等の知性は想像の遥か上を行きます。決して侮って良い相手ではありません。」
「どちらにせよ、こうなってしまっては対立は決定的となる。もし開戦した場合、どうなると思う?」
ハーンの発展ぶりを思い浮かべ、鬱屈とした気分になる。
「正直な所、未知数な要素が多過ぎて予想が付きません。」
「だろうな」
「ただ、見た限りでは軍に関する物がほとんど見当たらなかった事が引っ掛かります。」
「確かに。あそこまで露骨に敵対姿勢を見せたのだから、軍事力で威圧しないのは妙だ。」
覇権思想の定着しているこの世界では、砲艦外交紛いの行為も当然の様に行われている。
それだけに、他国の使者がやって来ればさりげなく軍事力の高さを匂わせる仕掛けをそこかしこにやるのが常識となっている。
それ等を見せ付けられる側も、絶好の情報収集の機会と考えて利用しており、軍事力の誇示は半ば暗黙の了解の様にまでなっているのである。
対するハーンでは、警備要員はチラホラと目に入ってはいたが、それ以外は何も無かった。
「いえ、まさか・・・」
考えていたケントはある可能性に思い至り、顔色を悪くする。
その様子を見たロドギニアもすぐに同様の考えに至り、同じく顔面蒼白となる。
「まさか、既に・・・?」
(日本は最初から我々と敵対するつもりでおり、既にその為の準備が完了しているのでは?)
船員の耳に届けば厄介な為、口には出さなかった。
そのまま顔を突き合わせ、声を抑えて話し合う。
「もし予想通りだとしたら、帰還前に始まってしまうかも知れん。」
「ならば由々しき事態です。」
「侵攻を開始するとしたら、まずは何処を狙うと思う?」
「まずはダイガ帝国でしょう。あそこは、彼の国の勢力圏に近過ぎる上に陸続きです。我々に対する巨大なダメージになると同時に、制圧すれば海を防壁として我々にもイリス教にも対する事が出来ます。」
説明を聞き、ロドギニアは笑みを浮かべる。
「制圧したいならさせても良いだろう。」
ケントは驚くが、すぐに表情を正す。
「何をお考えで?」
「どれ程強大な軍事力を持とうとも、大地を稼ぐ事は出来ても民衆の信仰心を除く事は出来まい。」
本気で信仰を取り除こうと思えば、それを知っている全員を殺し尽くさなければならない。
宗教同士で争った長い歴史を持つソロン教でさえ、それは実現出来ていない。
「本当にダイガ帝国を攻め滅ぼせば、内部に我が同胞が多数紛れ込む事になる。付け入る隙を自ら作ってくれるのならば、遠慮無く利用させて貰おう。」
総本山に帰った彼等は、事のあらましを伝えた上で日本の軍事行動を最大限警戒するよう警告した。
しかし、一年経っても何の動きも見られず、杞憂であったと結論付けられた。
とは言え、日本側の姿勢は明らかな挑発行為であり、友好は有り得ないとの結論が総本山の総意となった。
ロドギニアの警告は軍事行動に対する警戒に留まらず、目にした日本の先進技術にも及んだが、全体の認識としては「気を抜いてはいけない相手だが、勢力の大きさを考えれば地力では此方が勝っている」と言った物であり、それなりの損害を覚悟する必要はあっても敗ける事は無いと分析していた。
・・・ ・・・ ・・・
日本 首相官邸
フォレス王国大使館からソロン教との外交会談の報告が挙げられ、この国の代表者達が集まって会議を行っていた。
「・・・以上が、会談の詳細です。」
外務大臣が報告を終える。
「予想通りとは言え、何とも不愉快な話だ。」
経産大臣が言う。
「確かに、政教分離が常識の現代の価値観では、決して相容れない要求の数々です。」
環境大臣が応じる。
「これで、向こうも我が国との敵対の意思を明確にするでしょう。」
総務大臣が言う。
「向こうからの工作活動に警戒しなければなりませんな。」
法務大臣が指摘する。
「ただ、いずれは開戦に至るでしょう。準備を怠ってはいけません。」
「防衛大臣、どうだ?」
総理が問う。
「正直、今すぐには難しいです。人員は大幅に増員されていますが、まだ殆どが教育を修了しておらず、その状態で各地に派遣を行っているせいで人員がカツカツです。また、ゴレル帝国戦で弾薬の多くを消費し、各種装備の稼働率もかなり下がっています。」
ゴレル帝国戦では在日米軍の協力もあったが、それが無ければ乗り切れなかった可能性すら指摘されている。
その米軍も、自衛隊改め国防軍よりは豊富な備蓄を有しているとは言え、補充の見込みが立たない現状では戦力低下は免れない。
「しかし、増産するにしても現状の資源不足では極めて困難です。尤も、もう暫くは輸入装備のリバースエンジニアリングに時間を割く必要がありますので、どの道全力生産は不可能ですが・・・」
水無月島や尖閣沖の資源によって国内産業は息を吹き返しつつあるが、国力を全開するにはまるで足りていない。
特に、レアメタルの不足が致命的であり、高度産業は未だに青息吐息の状態である。
ラフラシア大陸の資源調査で豊富なレアメタルが発見されていたが、現地インフラの問題から大量輸送は未だ困難な状態であり、同時に現状の輸送力の多くは食料関係に割り振られている。
とても防衛産業に力を入れられる状態ではない為、現状では「対処不可能」であった。
「なら、後どの程度の時間が必要になる?」
「最大限少なく見積もっても、二年は必要かと。」
「二年か・・・」
今日明日に突然開戦する話ではないとは言え、緊張が増し続ける状況下で二年は実に長い時間である。
「総理、武力衝突は確実ですが、もう一つ重大な懸念があります。」
声を上げたのは、内閣情報調査室の職員である。
「何だ?」
「お忘れですか?国内の工作員が混乱に乗じて何をしたのかを。そしてゴレル帝国が侵攻に際し、邦人に何をしたのかを。」
「「「「!!」」」」
その場の全員が顔色を変える。
「我が国と友好国に対し、何らかの工作活動を継続的に行う事は確実でしょう。想定される活動の中には、邦人の拉致も含まれます。」
地球世界でさえも経験した事態である以上、大規模な虐殺さえ起こった新世界で想定されない筈がない。
この場の全員が危機感を共有した。
「となると、海保や警察による警戒の強化以外にも、防諜面の見直しも必要だな。」
「それと、事前にそうした企みを阻止する試みも必要になります。現地諜報員への支援も強化する必要があります。」
宣教船が訪れ始めた初期の時点で既にドール大陸への諜報員の潜入は始まっており、両勢力の実情は粗方判明している。
その情報は大使館にも送られ、会談で大いに活かされた。
尚、派遣している諜報員は中国系が主力となっている。
「解った、急いで詳細を詰めるんだ。問題無ければすぐに承認しよう。」
そう言うと総理は立ち上がる。
「いいか、決して気を抜くな。我が国はこれまでまともに主権を守る事も出来ない異常国家だったが、皆の努力で正常に戻りつつある。だが、不幸にも守るべき国民が新世界でも犠牲になってしまった。同じ失敗は二度と許されない!」
その言葉で会議は終了した。
その後、イリス教関係者との会談も行われたのだが、似た様な展開で対立関係となる結果に終わった。
こうして、日本は後に宗教戦争へと巻き込まれる事となる。
短くまとめるって難しい