73話 アビス
「……だ、誰なの……?」
「まさか、あなたは……」
美由紀の前に現れたデスシャドー。サキア自身も信じられないという気持ちが出ていた。美由紀は勿論、意味がわかっていない。
「俺の名はアビス。デスシャドーですが……記憶はないですかね?」
アビス……美由紀としてはクエスチョンマークがさらに増える結果であったが、サキアは何かを理解した表情になっていた。自らが、美由紀を切り札と感じた理由……それは曖昧なものであったが、アビスの登場により明確になった印象だ。
「え? 意味が全くわからないわ」
「本当にアビスなのですか? ということは、美由紀は……」
サキアは冷静さを取り戻しつつあるが、美由紀は呆けた表情を崩していない。アビスはそんな美由紀を見てため息をついた。
「記憶はないみたいですね……まあ、母さんとは個体が違うから仕方ないのかな?」
アビスは美由紀の記憶に自分の存在がないことを、彼女の態度から確信した。ため息こそついたが、彼は比較的冷静だ。
「お前は……サキアだっけ? なんだ、目覚めたのかよ」
「私のことはどうでもいいんです。それよりも、美由紀はジェシカなのですか?」
「俺が仕えているってことはそのはずなんだけど……詳しい状況はわかんね」
特に物事を深く考えないのか、アビスは詳細不明な状況でも焦っていない。
「ま、とりあえず。俺はアビスと申します。これより、あなた様の影になりてその身をお守りいたします」
アビスは美由紀に深々と頭を下げた。
「私は天音 美由紀よ」
「なるほど。では何とお呼びしたらいいですかね?」
「美由紀でいいわ」
「美由紀ですね。美由紀さまとお呼びします」
アビスは丁寧に美由紀の言うことに従う。その表情からは裏切ることなど考えられないほど、誠実さが出ていた。そんな彼に、美由紀も一応の信用は感じたようだ。
「私を誰かと間違えているの? 生まれ変わり?」
「あ~そんな感じですかね。1000年前の人で、俺が仕えていた方っす。そうか……もう1000年も経過してるんですね」
アビスは美由紀の質問に答えながら、1000年という時間を思い浮かべた。年数自体はわかっていないはずだが、彼なりの体内時計でもあるのかもしれない。
「この世界の人間なら、生まれ変わりと言うのも理解できるけど……高宮くんの話では、私は他の星から転移してきているのよ? こんな見ず知らずの地の人の生まれ変わりなんて……よくわからないわね」
「転移ですか……それはすごいっすね」
美由紀が転生者であることを話してもアビスの表情は崩れることはない。超常現象の1つとして受け入れているのだろう。
「そのジェシカという人が私をここまで呼んだ可能性は?」
「さすがにそれは無理ですよ。他の星から人を呼ぶのはいくらなんでも……」
アビスはジェシカですら、そのような芸当はできないと言った。ますます、美由紀は意味がわからなくなる。自分の身体は一体どうなってしまったのか?
「悩んでも仕方がありません。アビス、あなたの現在のレベルはどのくらいですか?」
「30だな」
「美由紀は現在、60ですか……十分高いですね」
「あまりよくわからないけど……いいのかしら?」
美由紀のレベルは60。もちろん、十分なレベルではあるがアテナ達と比較するとあまりに弱いと言わざるを得ない。だが、ここでの生活的には十分なレベルであるし、何よりジェシカの生まれ変わりの可能性……戦局を揺るがす可能性が彼女にはあったのだ。
話はそこからも少し続いたが、美由紀がアビスを受け入れるのは難しかった。
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「アビス……? ジェシカの影?」
その夜、バーモンドの酒場に戻ってきた春人やアメリアに、アビスは紹介された。レナは一足早く時空乱流でルナを呼びに戻っており、ミルドレアとエスメラルダとは、アーカーシャの入り口で別れていた。
春人は美由紀の影として仕えることに対して、相当微妙な感情を持っていた。
それは、アビスが男性だからである。
「委員長、寝るときとかはどうするの?」
「それなのよね……どうしましょう……」
「なんなら、俺の部屋に避難して」
内気な春人からは考えられないようなセリフだ。美由紀も大胆な彼の言葉に驚く。
「た、高宮くん……! なにを言ってるの!? わ、私があなたの部屋にって……確かに、あなたの部屋はすぐ前だけれど……」
美由紀は顔を真っ赤にして首を猛烈なスピードで左右に振った。美由紀にしては珍しく相当にテンパっている様子だ。
「春人の部屋ね。いいんじゃない? やっぱアビスっても、いきなりは信用できないだろうし」
会話を聞いていたアメリアだが、意外にも好意的な反応であった。彼女に後押しをされる形で春人もさらに続ける。
「ほ、ほら……委員長の安全も考えるとさ、それがいいかなって」
「ま、まあ……高宮くんなら、安心だものね」
信頼されている。春人は相当に喜んでいた。特に自分の部屋に招き入れたからといって何かいやらしいことを考えていたわけではないが、委員長と二人で話す機会はほしいと思っていたのだ。アメリアも自然に承諾してくれた、春人はこんなに早くその機会が訪れたことを喜んでいた。
……だが、そう上手くは行かないのが現実である。
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「……ねえ、アメリア。これはどういうことかな?」
「なにがよ? いいじゃない、美由紀が同じ部屋で泊まってくれるなんてっ」
なぜかパジャマ服で春人の部屋に居るアメリア。手には枕と毛布も持っている。そして、部屋にはエミルもパジャマ姿で待機しており、同じく枕などを持参していた。
「こうして春人の部屋で集まるとわくわくするよね」
「そうですね、一度こうやって皆さんと一緒に寝たいと思っていました」
エミルは屈託のない笑顔を見せている。おそらく、事情などは知らないのだろう。アメリアはどこか冷たい視線を春人に向けているが、エミルと可愛らしく茶菓子を食べている。そして、春人の隣には美由紀がパジャマ姿で座っていた。
「……高宮くん、あなたは相当にチャラいと言えばいいのかしら? 女たらしと言った方が適切かしら? 全く……」
「い、いや……決してわざとこういうことしてるわけじゃないんだけど……」
春人の前にはサキアがむくれた表情で抱き着いている。春人の現在の部屋の状況に妬いているのだろう。
命令をしたところで彼女が離れる様子はない。お仕置きの約束をすれば離れてくれそうではあるが。そんなサキアの態度からしても、春人の言葉は説得力皆無だ。しかし、美由紀は笑っていた。
「ふふ、昔からあなたは不思議な魅力があると踏んでいたけど……こっちの世界で発揮されたようね。委員長としては非常に嬉しいわ、あなたが心から楽しんでいるようで」
「委員長……。うん、楽しんでいるよ」
こちらに来てからの数か月間。自らの才能が開花したからということもあるが、心より楽しんでいる自分が居た。
もちろんそれは、彼が圧倒的な才能があったからこそではあるが。実力主義の世界で、春人はその実力が人間としてはフィアゼスに次ぐレベルに到達している。まだ半年も経過していない短い期間での急成長だ。
「でも、俺は……偶々才能があっただけさ……悟は才能がなかったって言ってたし……。日本よりも厳しい環境だと、彼からも聞いてるよ」
「そうね……雰囲気としては決して治安は良くなさそうだし。レイプなどが起こっても法などの整備もされてなさそう。そういう意味では日本は平和だったかもしれないわね」
異世界アクアエルスは総合的な文明レベルは中世ヨーロッパから、せいぜい1900年代前半のヨーロッパ程度だ。法の整備などは、現代の日本とは比較にならないくらいにアバウトである。
通信機やテレビ、ラジオの類も存在していない。しかし、魔法によるホバー船や通信、異次元空間移動などはあるので、かなりアンバランスな世界と言える。
「でも、あなたはこの地で楽しみを得た。予想だけれど、モンスターとの戦いは大変だったのでしょう? 街の人々の信頼を勝ち取ったのはあなたの性格が繁栄された結果だと思うわ」
美由紀は聖母のような優しい笑みを浮かべながら、春人の手を取った。単純な恋愛感情だけではない全てを包み込むような、美由紀の慈愛……春人はそんな思いを感じ、高校時代の優しい委員長を思い出していた。
好きになった相手……それは、もしかしたら今も変わっていないのかもしれない……彼女を真っ先に自分の部屋に呼んだのはそういう感情が含まれてのことだ。春人は戸惑っていた。
「マスター……」
「サキア? む、むぶ!」
ヤキモチが限界に達したのか、サキアは春人の唇を強引に奪った。舌も強引に差し込んで離す気配を見せない。さすがに美由紀の表情が強張る。
「高宮くん……? さすがにフォローできないわよ?」
美由紀もその行為には笑顔ながらも、血管を顔に浮かべていた。相当に怒っている証拠だ。
「ぷはっ! こ、これは……!」
「これは? なに?」
「えっと……あの、サキアは俺の下僕でこういうことをしたがるというか……」
「そうです、私はマスターの物ですので、マスターが望むことであれば何でも致します」
まったく嫌な気配を見せずに、しかし若干顔を赤らめながらサキアは発言した。見た目が幼いサキアだけに、美由紀もその言葉には引いている。
「高宮くん……」
「サキアっ、誤解を招くような発言はやめてくれ~~!」
その後、美由紀の誤解を解くことに全精力を集中することになる春人だが、時間は大分かかってしまったという。茶菓子を食べているアメリアとエミルは苦笑いをしていた。
「大変ですね、春人さんも……あはは」
「春人は自業自得よ。女の子をキープしまくっているツケよね」
なんだかんだと盛り上がっている春人の部屋は、その後も夜遅くまで話し声が途絶えることはなかった。それとは逆に、美由紀の部屋ではアビスが一人で待機させられていた。
「俺が何したってんだよう……」
アビスは一人、空中に字を書きながらいじけていたという……。




