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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集『桜歩道』

アサシンの秘書

作者: 宮本颯太

 東京中心部のビルの中に店を構える高級レストランの個室。豪華な燭台が置かれた10人掛けの長テーブルで僕は一人緊張しながら『商談』の相手を待って、赤ワインのボトルと睨み合っていた。この商談は恐らく世界一危険な折衝なんじゃないかと思う。

 この部屋のシックな装いも、高層階から巨大なピクチャーウィンドウで見下ろす銀河の様な大都市の夜景も、今の僕にとっては圧迫感でしかない。

 思わず天井を仰ぎ、吊るされたシャンデリアの煌めきにストレス因子が相まって目が眩むと、それを見計らったかの様にドアが開いた。

 ギョッとしてそちらを向くと、スーツを着こなしたショートボブの若い女性が鋭い眼光で僕を貫いた。

 彼女が商談相手のシャオ。正確には商談相手の代理といったところだ。

「……(マナ)()。どうした?」

 カチッと凍りついてしまった僕の名を呼びながら、シャオが首を傾げた。本来ならここでは一度立ち上がって「お待ちしておりました」と迎えるのがマナーだが、シャオに対しては急な動作は絶対にしてはならない。僕は座ったまま、

「いえ。お待ちしておりました」と会釈をした。

 ニヤリと返された笑みに狂気を感じて怯む心を、こちらも笑顔に変えて敵意の無いことを伝えた。

(まさかこんなに命張ることになるとは……)

 向かい側の席に着いたシャオの、1ミリの隙も見せない冷たい雰囲気にゾクリと背筋が凍る。

 タイミングを見極めたギャルソンが運んで来た分厚いステーキが目の前に置かれる中、僕はこいつと対峙するハメになったこれまでを走馬灯を見るかの様に思い出した。


 ◆


 大学を出てそのまま財閥系企業に入社した僕は、営業担当としてそこそこの成績を残していた。それが営業本部長の目に()まり、直属の部下として取り立ててもらった時は思わず『やった!』と思った。そうなってからは今まで僕を妬んで嫌がらせしてきてた奴らが次々に辞めていって、勝ったと思った。

 でも浮かれた心でお花畑をスキップしていられたのは最初だけ。すぐにこの会社の闇を見せつけられた。

 何とこの会社、国内外の犯罪組織と秘密裏に提携を結んでとても合法的とは言えない方法で利益を得ている部分もあったらしく、僕はあろうことかその反社組織を相手にした折衝という業務を新たに持たされてしまったのだった。

 そしてこのシャオは東京に本部を置く暴力団の組長秘書で、元々は上海を拠点に生計を立てていたフリーの暗殺者という、これでもかと言うほど血塗られた何ともどす黒い経歴を持っていた。

(素人にこんな危険人物の相手させる?)

 僕は会社の無茶振りを呪った。

「マナト」シャオが低い声で僕に声を掛ける。

「はい」肝が冷えるのを受け入れつつ返事をする。

「食べないの?」

 シャオは大雑把に切り分けたステーキ肉をフォークにぶら下げ、大口を開けて食らいつきながらそう言った。隠そうって気も無い育ちの悪さに唖然とする僕の顔を、眉間と鼻筋に深い皺を刻みながら肉を噛み千切るついでに見ている。

 怖い。怖すぎる……。こいつは人の皮を被った野獣だ!

 恐怖に過呼吸を起こしそうになるのを何とか抑えながら、

「ああ、すみません。考え事をしてしまって……はは」

 と明るく振る舞いながら僕は目の前のステーキを切り分けた。その手先は震えっぱなしで、高級肉を味わうどころじゃない。何しろプロの殺し屋を接待しているのだから無理もない。

(でも、だからってだんまり決め込むのは営業としてちょっとな……)

 不意に営業マンとしてのプロ意識が呼び戻された僕は思い切って、シャオに話しかけた。

「あの、シャオさん」

「ん?」切れ長の黒目が不気味だ。しかし、今日は商談をしに来たのだと踏み留まる。

「その。ありがとうございます。今日もご指名頂いて……」

 そう。僕はこの暗殺者に初めて会った時から気に入られてしまったらしく、二人きりで会うのはこれで4回目だ。

『お前すげぇな。普通は4回目なんてあり得ないぜ』

 と、営業本部長は感心していた。あの女と一対一で顔を合わせながら生き残ってる堅気なんて地球上でお前くらいのもんだと、そういう意味だ。

 ああ、嬉しくない。畏怖するこの胸の内を知ってか知らずか、シャオは視線で僕を串刺しにしたまま口角を少しだけ上げた。

「マナトは話がしやすい。マナトの話は分かりやすい。私が話しやすいと言うことは、ボスにとっても話が分かりやすい。ボスも話を伝えやすい。私がマナトを好きってことは、ボスもマナトのことが好き。だからマナトは今日も私と会って、話せる」

 きっと褒めてくれてるんだろうけど、今にも失禁しそうな思いだった。どうしようもなく、

「光栄です」と大嘘をついた。


 ◆


 商談もひと段落した頃、僕達はほぼ同時にステーキの皿を綺麗にしていた。まあシャオの周りは殺人現場みたいになっているが、その内ギャルソンが食器を下げに来るだろう。

 それとなくシャオの様子を伺うと、テーブルに頬杖をつきながらピクチャーウィンドウの外を彩るネオンをやはり冷たく眺めていた。

「ここから見える夜景はレストランの自慢みたいですよ」

 今更に僕が紹介すると、

「うん。綺麗……」と返してくれた。

 もっと近くで観てみませんか、とエスコートしようかと思った時、シャオが俊敏に首を動かして僕を見た。

(えっ!?)

 びっくりした。殺されるかと思った。

「マナト」例によって無機質に名を呼ばれた。

「……っ!はい」

「面白い話をしてあげる」

「えっ?」

「聞いてマナト。私ね、ボスが嫌いになったから独立するの」

「え?」

 何かあったんですか、と考えるより先に聞いてしまった。

「ボスは厭らしいんだもん。私は愛人じゃない」

 ギラつく殺意の眼差し。それは僕に向けられたものでないことは分かるのだが、それでも全身の毛が立った。

 蛇に睨まれたカエルとなった僕にはお構いなしに、シャオは続けた。

「もううんざり。だから昔の仲間にも連絡して、お仕事先も見つけたんだ。次はニューヨークに行く」

 ここまでの話なら、僕は正直そこまで動揺せずに聞いていた。なるほどそんな事もあるのかと。しかしそれでは甘かった。裏社会で恐れられるヒットマンが堅気なんかにわざわざそんな話をした理由を、僕はじわじわ理解していく事になる。


「でもね、皆んな殺し屋とか密売人ばっかり。私は私の秘書が欲しい」

「え?」

「――だからマナトは今から私の秘書」

「……!」

「マナトは私のもの」

 眉間を指差されながら言われた。シャオの人差し指がまるで刀剣類の切っ先の様に思えた。

 呪わしい暗殺者から占有物と認定されてパニックに陥る。

「マナト。もっと面白い話をするね」

 シャオのニヤニヤが止まらなくなったので思わず身を引くと、彼女は追うようにテーブルに身を乗り出して来て僕の肩を掴み、

「これ、聴かれてるよ」

 耳元でそう囁いた。

「ボスは勘づいてるもの。あれでも頭は良いから」

 無邪気な少女の様に甲高い声で「フフフ」と笑う暗殺者の狂気が充満して、部屋の中が血に染められる幻覚を見た気がした。


 それと同時に個室のドアが勢いよく蹴破られ、先程のギャルソンがショットガンを構えながら突入してきた。恐らくこいつは暴力団の刺客で、裏切り者となった組長秘書を僕もろとも処刑するべく、ずっとその機会を伺っていたのだろう。背後にもダークスーツを着た屈強な男達を何人か従えている。

「うわっ!」と悲鳴を上げて椅子の上を跳ねた僕とは対照的にシャオは落ち着き払っていて、手元のステーキナイフを日常動作の如く投げた。ナイフはシャンデリアの照明をキラリと反射させながら宙を一閃し、ギャルソンもどきの眉間に深々と突き刺さった。

 ブレーカーが落ちたかの様にぺちゃりと崩れ落ちて息絶えるギャルソンもどきと、それに動揺しながらも懐から拳銃を抜いてこちらに向けるダークスーツ達。

「マナト。こっち」

 シャオが僕の手を引きつつ長テーブルを蹴倒して盾代わりにすると、上に乗っていた物がガシャガシャと床に崩落した。

 皿やナイフにフォーク、赤ワインのボトルとグラス、それから燭台……。それらが粉々に砕け散るのと引き換えに僕らは銃弾から身を守った。しかし、それでも何発かはテーブルをぶち抜いて目の前を掠めてゆく。

「うわ!ちょっと、貫通して来てるぞオイ!オイ!」

「アハハッ。懐かしー」

 シャオはケラケラ笑いながら自身もまた拳銃を抜いてスライドを引き、頭を抱えて怯える僕には目もくれずテーブルから立ち上がった。

 スーツがヒラリと躍動するその一瞬の内に4、5発は撃ったと思う。それまで受けていた銃撃が嘘の様にしんと静まり返ったのでテーブルの向こう側を恐る恐る伺うと、ギャルソンもどきが連れて来たダークスーツが5人、頭や首筋から大量の血を流して死んでいた。

「怪我ない?」シャオがスーツをパタパタとはたきながら僕を見下ろした。

「あ……うん」

「立てる?」

 差し伸べられた手を握って、ふらふらと引っ張り上げてもらう。

「あ、ありがとう……」


 破壊されたドアの外……、ホールの方からは騒ぎを聞きつけた老若男女の大音量の悲鳴が聴こえてくる。阿鼻叫喚の地獄とは正にこれだろう。

 隣の個室から慌てて出てきた初老の夫婦は僕達の目の前に広がる血の池地獄の風景に「ヒエーッ!」とヘンテコな声を上げ、旦那の方は尻餅をついて失禁してしまった。奥さんの方はそんな旦那を差し置いて先に逃げ、白髪混じりの旦那は厳かなスーツのパンツをビショビショに()らしながら四つん這いになってその後を追って姿を消した。

「今後ともお幸せに」

 シャオが拳銃のマガジンを換えながら皮肉とも悪ふざけとも取れる祝辞を結んだ。


「これさ、どういうこと?」

 僕にはもう、敬語を使う余裕なんて無くなっていた。あまりにも理不尽な展開に怒りすら覚えて、思わず後輩のミスを咎める時の様な口調になってしまう。それ程に僕の心は切羽詰まっていたのだ。

「こういうこと」シャオはテーブルの裏に仕掛けられていた盗聴器を引き剥がして僕に見せると得意げに言って、その辺に放り投げた。

「すぐに次の追手が来る」

「嘘だろ?」とは言ったものの、やはり反社組織が組長秘書の裏切りと逃亡を許す筈がない。

「マナト、ちょっとどいて」

 シャオがそう言ってズンズンと歩み寄って来るので、僕が自分でも驚くほど機敏な動きで体をずらすと、銃弾で蜂の巣になっているピクチャーウィンドウに手のひらサイズの黒くて四角い何かを貼り付けた。よく見るとセンサーみたいな部品も装着されている。

 何だよそれ、と聞く前に

「プラスチック爆薬。マナト離れて」とアナウンスがあった。

 僕は慌ててシャオの近くに退避した。

「上手くいくといいな。あんまり使った事ないの」

 起爆スイッチを何処からか取り出してそう言う彼女に、僕の不安が募る。

 カチッ、と運命の音が聞こえたその瞬間、『ボグォン!』という爆音と共にガラスが木っ端微塵に吹き飛び、ピクチャーウィンドウは無駄にデカいただの窓枠となってしまった。この高さから何の仕切りも通さずに見る夜景は違和感に満ちていて気味が悪い。


 先程から聴こえていたプロペラ音が徐々に大きくなってくる気がしたのでそっと窓枠に近づくと、目の前に大きなヘリコプターが舞い降りて来た。

「うわっ!」

 とうとう腰を抜かして動けずにいると、

「大丈夫。これは味方」

 シャオが僕の背中に手を添えた。

 確かによく見ると、開いた搭乗口からは真っ黒な戦闘服と目出し帽を着用した男が数名、早く来いと手招きしている。

 しかし、安心するのはまだ早かった。ヘリの到着とほぼ時を同じくして、次の追っ手が大挙して押し入って来たのだ。

 一斉に銃口を向けて来る増援のダークスーツ達の目の前でシャオはその細身からは想像もできない力で僕の体を引っ張り上げ、窓枠の外でホバリング待機していたヘリに向かってブン投げる。

 豪速球みたいな勢いでヘリの搭乗口に吸い込まれた僕を、中にいた屈強な乗組員たちが見事にキャッチしてみせた。

 まだビルの中に残っていたシャオの方はというと、慣れた素早い手つきで隠し持っていた手榴弾のピンを抜き、ダークスーツ達に向かって投げた。

 反射的に背を向けるダークスーツ部隊と、そうはさせまいと言わんばかりに容赦ない大爆発をする手榴弾。

 そして、その爆風に乗ってヘリに飛び移る暗殺者シャオは味方の手を借りる必要もなく華麗に機内へと転がり込んだ。

 超クールな一連の光景に黒い戦闘服のクルー達は頭の上で手を叩きながら歓声を上げ、再び航路を取り出したヘリの機内でシャオと僕とを交互に見ながら中国語で楽しそうに話し始める。

 嗜む程度に中国語を習得していた僕には、何となくそのニュアンスが掴めた。

「やったなシャオ!何から何まで計画通りだぜ!」

「全くお前って奴ァ本当に不死身のバケモンだな!」

「お前の言ってた秘書ってこいつ!?大丈夫かよ、顔真っ青だぞ!」

 彼らの中の一人は放心状態でへたり込む僕の肩を揺すりながら、

「おい、あんた!とんでもねぇ所にヘッドハンティングされちまったな!でもこれであんたは最強のカタギさんだよ、ワッハッハ!!」

 彼らにつられてシャオも一緒にゲラゲラ笑っている。

「フフ。マナトのスーツめちゃくちゃになってる」

「え?」

 呆然と自分の着ているスーツを見ると、この短時間でかなりくたびれてしまっていた。所々に穴が開いたり破れたりしているのは弾丸が掠った跡なのだろうか。

「ねっマナト!」

 シャオが僕の横にストンと腰を下ろした。

「ニューヨークに行ったらまずはスーツを買いに行こう。五番街(アヴェニュー)にいいお店があるんだ。私が買ってあげる」

 親切を言ってるつもりなんだろうがこの女、こんな強引に僕を裏社会に引き入れた部分についてはどう思ってるんだろう、と妙に冷静に考えてしまった。

 こうして僕は、会社の同僚や上司はおろか家族にすら別れを言えぬまま日本から連れ去られるハメになった。行き先はニューヨーク。何度か出張で行ったがギラついた街だ。あんな場所で暗殺者の秘書をやるのかと思うと頭の中が真っ白になって、卒倒しそうになる。

 目の前にはお祭り騒ぎを繰り広げる危険な猛者集団。すぐ傍らで凶暴性マックスの微笑みを浮かべる新たな雇い主。一欠片(ひとかけら)の救いも無い自身の運命に絶望した僕の慟哭はしかし、ヘリのプロペラによって当然のように掻き消されるのであった。

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