第三章 「鎖に繋がれしもの」 22
ゴローは畑から大根でも引き抜くようにして、シロクマの巨体を逆さまに抱えた。
「くっ、一体何がどうなっている?」
天地が逆になり、シロクマは自分がどういう状況なのか分からず、ジタバタと足をばたつかせる。
「むやみに暴れない方がいい。今あんたの全体重を支えているのは、この二本の腕だけだ。もしオレが手を滑らせてしまったら、お前の脳天が地面とキスすることになるのだからな」
耳元から聞こえてきた声に、シロクマは動きを止めて自らが置かれている状況を確認した。いくらシロクマの毛の防御力が高かろうとも頭の毛だけではあの巨体の落下衝撃には耐えられないだろう。
「くそっ、早く下ろせ!」
「あんたが負けを認めたら安全に下ろしてやるさ」
「誰が認めるか」
「なら今はそこから見える景色を楽しむことだ。おかしな気分だろ? いつも見ていた景色が違うというのは」
ゴローはお互いの肩と肩をがっちりと組み合い、姿勢を安定させた。シロクマはそこから抜け出そうともがいていたが、下手に暴れると危険だと思ったのか大人しくなった。
「貴様、研究所から逃げ出して、進化の道から外れた負け犬のくせに、どうしてこんな芸当が出来る? どこでこの力を手に入れた? 違法ドラッグか? 肉体改造手術か?」
「これは薬で得たものでも、誰かから与えられたものでもない。オレ自身の力だ」
「ウソだ! こんなことは、ありえない」
シロクマは体を左右に振って抵抗するも、ゴローは腕に力を込めてそれを阻止した。
「信じられないのも無理はない。これまでずっと他人の敷いたレールの上を歩いて来たんだからな……。さっきも言ったが、たしかにあんたは強い。最強だったのだろう。だがそれはこの島での話だ。あんたは世界を知らない」
「なに!?」
「いつも見知った顔、自分も学んだことのある戦術を仕掛けてくる相手。勝って当たり前の戦いばかりだった。そこで得られる強さには限界があった」
「貴様は何を言っているんだ?」
顔をしかめるシロクマに、「さぁな……」とゴローは自嘲気味に笑う。
「ここで作られたモノたちには最初から首輪をつけられている。オレたちは限られた、その首輪に繋がれた鎖が届く範囲をウロチョロと彷徨い歩いていたに過ぎない。そこには自由なんてなかった。だからオレは自分の鎖を引きちぎるために研究所を飛び出したんだ」
「それは負け犬の言い訳だ」
「かもしれない……。だが、オレはオレ自身には負けられない。だから、お前が何キロあるかは関係ない。オレは自分に出来ると思うことをやる。それがたとえどんな困難だとしても、昨日よりも今日。今日よりも明日。一歩でも二歩でも、自分自身の足で前に向かって進むことで世界を広げる。少なくともオレにとって、進化とはそういうものだ」
「ゴリラがどんなに進化しても所詮はゴリラだ。貴様がどんなゴタクを並べようとも、オレの強さは本物だ。勝つのはオレだ」
そう言うとシロクマは、逆さま状態のままゴローの頭部を前足でボカスカと殴り始めた。
「どうやらここから落ちても、無事でいられる自信があるようだな」
「落下の瞬間、貴様をクッション代わりにしてやるぜ」
攻撃の手を止めずシロクマが言い放つ。
「なるほど。オレを下敷きにすることで自身の落下の衝撃を押さえつつ、相手に大ダメージを与えるいい作戦だ。だがそれは、前足が自由に使えたらの話だろ」
ゴローは両腕でシロクマの両肩をむんずと掴んだ。途端にシロクマは、天地を逆にしたまま直立不動の姿勢で固まった。
「なんだ、この力は。全く動けないぞ」
「言ったはずだ。全ての生物の中でゴリラの握力が最も強いと。お前の両肩を締め付けることで上半身の自由を奪った。これが、オレが手にした強さだ」
シロクマの両肩を掴んだまま、ゴローはさらに腕を高く掲げていく。
「あんたも自分の強さに自信があると言ったな。なら、ここから落ちて無事でいられるか、逆さまの世界を目にしたまま試してみるんだな」
「そんな、バカな……。こんなことが……。このオレが……」
「おとす――。おとすゾ――。おとすぞォォ!」
いつもは物静かなゴローが自分自身を鼓舞するように、一言一言噛みしめ、シロクマをめいっぱい天へと掲げる。
シロクマは身動きすることも出来ず、ただ目を白黒としばたたかせる。
「おおおお――!」
ついに限界を迎えたのかゴローは高らかに咆哮した。




