第三章 「鎖に繋がれしもの」 19
やはり、賭けに出るにはリスクが高すぎる。
そう思い、俺は両腕を上げて防御姿勢をとろうとした。と、上着のポケットから真紅の羽根が滑り落ちた。
それが地に着くのが嫌で、俺はとっさにその羽根を掴んだ。その瞬間――。
――トベ! 武蔵!
どこからともなく、そんな声が聴こえた。
その声に導かれるまま俺は思い切りしゃがみ込むと、膝のバネに力を溜めた。さらに、地面に両手を叩きつけた反動を利用して、空へと飛び上がった。
驚いた猫が飛び上がるように、喜びにヤギが飛び跳ねるように、思いのほか体が宙を舞う。その直後、股間スレスレを通り過ぎるシロクマの背中の毛を、俺は跳び箱を跳ぶ要領で手を着き掴んだ。そして、そのまま背中に張り付くと、シロクマが突進を止めたタイミングで俺は後方へとバク宙した。
「奴はどこに消えた!」
案の定、手ごたえを感じなかったシロクマは、俺の姿を捜している。
「俺は、ここだ!」
声を追い、シロクマの顔が上を向いた瞬間、俺は狙い定めて鼻先を全力で蹴り下ろした。
ゴキッ! と何かが砕けるような音がして、シロクマの首が下を向いた。
確かな手ごたえを感じた俺の予想に反し、シロクマはすぐに顔を上げてこちらを見つめた。それから、一歩踏み出したところで――。
ポタリ――。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするシロクマ。
ポタリ――。
再びシロクマの鼻から血が滴り落ちた。
「なんだ、これは? 一体何が起きたんだ?」
ガクガクと前足を震わせると、シロクマは力なくその場にうつ伏せで倒れ込んだ。
「あなたは負けたのよ」
シロクマを見下ろして、ナナコがそう言い放つ。
「オレが負けた? この男に? オレは、選び抜かれた遺伝子を持ったエリートだぞ。なのに、そんなことがあるはずがない! それとも、お前はこのオレ以上の生まれだとでも言うのか?」
そう言うとシロクマは俺を恨めしそうに見上げた。
「…………」
「そうだったな。ただの『鍵』とは話さないのだったな」
「いや、そうじゃない。俺は自分が何者かを知らない。だから、答えられなかっただけだ。それに、俺はあんたに勝ったとも思っていない。ただ、運が良かっただけだ」
あの声がなければ、そこに倒れているのはきっと俺だった。俺は声の主を探したが、どこにもその影はなかった。
「運が良かった……だと……? 貴様ぁぁ。オレを馬鹿にしているのか。自分の生まれも知らないような下等生物に、群れなければ何も出来ない奴らに、このオレが負けるなんてありえない!」
シロクマは歯を食いしばって、何とか四本足で立ち上がった。
「そうだ。お前たちはオレを卑怯な作戦で倒したに過ぎない。だから、オレはまだ負けちゃいない。勝負はこれからだ。それに、もうすぐ増援部隊が到着するはずだ。最後に勝つのはこのオレ様だ」
と、その言葉を待っていたかのように、近くの茂みがガサガサと揺れた。




