第二章 「劣等遺伝子」 3
「綺麗じゃと思わないか?」
目を細めてイネコはさらに続ける。
「けれど、この景色は人の手で作ったものではない。本来、自然は自然のままで、美しく価値のあるものはずなのじゃ。なのに、なぜ人はそれで満足出来んのじゃろうか?」
自らの頬を指先でなぞるように触れ、イネコは口角を上げ、
「ただあるがままを受け入れる……」
誰に聞かせるでもない呟き声。
「生まれ変わってみて、私は時折思うことがある。人は自然に対して手を加え過ぎているのではないかと……」
正面に向き直ったイネコの横顔が影になっている。
「寿命を延ばすため進化を続ける医療技術。それにより人口は増え続けておる。結果、人口爆発が起き、自然破壊、環境汚染、資源枯渇、食糧危機。多くの問題を生み出してしまった。すでに世界は――宇宙船地球号はもはやその重みに耐えかねている。このままいけば、いずれ資源を食いつぶしてしまうのは火を見るよりも明らかであろう。人類は自ら破滅への一本道を歩いているのじゃ」
「そんなこと……。人はそんなに愚かじゃありませんよ。それを回避する方法だって、きっと見つけられるはずです」
「そうじゃの……。知恵者が今もその方策を練っている最中じゃろう」
うんうんとうなずく俺に、
「そして、あの研究所が見つけ出した答えが、余剰人員を沈みゆく船から引きずり下ろすという方法じゃ」
イネコは落ち着いた口調で告げる。
「人類が腹に抱えた病巣を切り捨てる。『緊急避難』あるいは、『カルネアデスの板』というやつじゃな。世界に害なす劣等者を切り捨て、優秀な者だけで生き続ける。皆で徐々に沈むよりは良い案じゃ」
「けど、人が人を選別し、切り捨てるなんて考えは……」
そう言いながらも俺はどこかで聞いた、『優生学』や『優生思想』という言葉を思い出していた。
たしか、劣等者を排除し、優秀な人間を創造することを目的としているんだったか。それを実現するために遺伝子工学は発達し、ゲノムプロジェクトの解析が進歩しているとも一方では言える。
昔のように非人道的な行為はなくなったとは言え、現代においても、出生前診断で遺伝病を持つ可能性がある命を中絶する国もあると聞く。
その思想が善か悪か? 議論は尽きないが、同じような思想は昔から存在している。そして、それが正しいのか間違いなのか明確な答えは出ていない。ならば、それを頭から否定することは出来ないのかもしれない。
俺は何も言えなくなり、外を見つめる。
気が付くと、水平線の果てには太陽がすっかり顔を出していた。ついさっきまでは曖昧だった海と空の境界線が明確に引かれている。
死ぬべき者と生き残るべき者。
この地球が危機に瀕しているとすれば、人類はいつかそれを選ぶ日が来るのだろうか?
「そのために研究所は遺伝子組み換え米の量産を行おうとしておる。もちろん研究所の農薬を使用した代物。毒性試験をパスするが、より毒性の高いものをじゃ」
「それで研究所は犬山博士とその研究データを欲していたと?」
「その通りじゃ。しかし、ご主人は多くの者にお腹いっぱい食べてもらおうと遺伝子組み換え米を作ろうとしていた。なのに、研究所はその意思を……。夢を踏みにじった。あまつさえ、リトマス試験紙のように、生き残るべき者と死すべき者を選り分けるツールとして利用しようとしたのじゃ。そんなことが許せると思うか?」
そう言うとイネコは握りこぶしを震わせた。
「ご主人はあの研究所を早々に退所しようとしていた。そして、しかるべき機関にこの計画を伝え、人知れぬ場所に移り住み、ひっそりと家族だけの暮らしをしようと言っておった。その矢先、研究所に先手を打たれて、ご主人は拉致されてしまったのじゃ」
「そう、だったんですね……」
洗わなくてもいい無洗米なら聞いたことがあるが、人を選定する米の作成か。言うなれば、選定米と言った所か。
「でも、米の作成だけでそんな計画が実現可能なんでしょうか? この世界中、米を一切口にしない人の方が多いのでは?」
「うむ。米だけならまだ実現性は薄いじゃろうが、他の穀物でも同じことが可能だとしたら?」
「それじゃあ、まさか……」
「お米以外の食物の作成も平行作業で計画は進められておる。穀物を使って加工されたパン、シリアル、それを食べた食用肉や魚……。口にするもの全てが人知れず、劣等遺伝子保有者を排除するものになっておる可能性があるのじゃ。かつ、それを安価で全世界へと流通させることまで考えてあった。毒米の作成、ご主人の拉致は、そのための前奏曲でしかないのじゃ」
正直、そこまで壮大な計画だとは思いもよらなかった。
「なら、一刻も早くご主人を助け出し、計画を阻止しなければ」
「その通りじゃ。じゃが、どうする? まだ計画段階なので、今すぐにどうこうなるというわけではない。しかし、放っておけば、いずれ多くの者が粛清されてしまうじゃろう。どこか信頼出来る機関にこのことを伝えられればいいのじゃが……」
「それなら、任せておいてください。オヤジ――うちの探偵長は元警察官なので色々と顔は広いので何とか出来ると思います」
そいつは心強いと顔をほころばせるイネコに、
「だから今は犬山博士の奪還に集中しましょう」
俺は親指を立ててドヤ顔を見せつけた。




