第二章 「劣等遺伝子」 1
研究所を出発して30分ほど経つが、俺たちを乗せたヘリコプターは目的地を目指していまだ飛行を続けていた。
パイロットはもちろんイネコによる魅了を施しているので、真っすぐに犬山博士がいる場所に向かっているはずだ。
今はただそれを信じて待つほかない。
ナナコはイネコに膝枕され眠っている。本来なら寝ている時間だからな。まっ、寝る子は育つってやつだ。
小型ヘリの後部座席は三人で座るとほぼ満席状態だ。
窓越しに外を見ると、さっきまで山を越えていると思ったら、今は海上に出ていた。
と、俺の隣に座っているイネコが顔を寄せてきた。
「ご主人の元に着く前に話しておくことがあるのじゃが、よいかの?」
イネコの真面目な表情に俺は居住まいを正してうなずく。
「そなた、覚えておるかの? 私のご主人が作った遺伝子組み換え米の話を」
「ええ。確か人によって健康被害が出てしまうお米でしたっけ?」
「そうじゃ。本来は廃棄するべきその米を、なぜか研究所は欲しがった。それで不信感を持った私たちは研究所について独自に調査を行い、ある秘密を知ることになったのじゃ」
そこまでは、動物保護施設の『わんピース』で聞いた内容だ。
「ここからが本題じゃが、その秘密は聞く者の世界を一変させるほどのものかもしれん。それでもそなたは話を聞く覚悟はあるかの?」
ここまで来たら一蓮托生。
「その世界の中に、イネコさんたちがいるなら。俺もそれを知りたいと思います」
迷いなくうなずくと、イネコも眉をキリリと整えて覚悟を決める。
「調査に際し、まずご主人の作成した遺伝子組み換え米について徹底的に調べ上げた。研究所がなぜこれを欲しがったのか気になったし、せっかく理想的な米の生育に成功しかけたのじゃ、次のために失敗原因を調査しておかないとな」
そりゃそうだ。
「当初、ご主人は健康被害の原因は、何らかのアレルギーによるものだと予想した。しかし、アレルギーの場合は免疫機能により症状が引き起こされるのじゃが、今回のケースはそうではなく、どうやら染色体――遺伝子が関わっていると判明した。しかし、これまで作成してきた物とそこまで違う手法をとっていなかったのに、どうしてそんなことになったのか?」
イネコは現在進行形で理由を探るように顔をしかめて虚空を見つめた。
「それで、調査を進めていく内、今回生育した米は研究所が開発した新しい農薬を使っていたことが分かったのじゃ。そして、その農薬からは一般には配合されていない化学物質が検出された。研究所に問い合わせたが、その詳細を教えてはくれなかった」
今度は腕組みをして悩み出すイネコ。その時の感情なのか、話を分かりやすくするための配慮なのか、見ていて何だか興味深い。
「で、ご主人が独自に調査をした結果、その農薬に使用されている化学物質こそが原因じゃった。そして、特定の遺伝子に働きかけることが分かったのじゃ」
「ある遺伝子とは?」
ご主人のことを自慢げに話すイネコに、俺は思わず合いの手のような質問を投げかける。
うむ。と、イネコはうつむくと、膝枕しているナナコの髪をそっと撫でた。
「時にお主は、劣等遺伝子というものを知っているかの?」
「ええ。確か高校生の時に習いました。メンデルの法則だったかな? エンドウの形状やショウジョウバエの目の色が遺伝子の優劣によって決まるんでしたっけ? 他にも人の血液型や髪の直毛、くせ毛なんかもその影響があるとかないとか」
「それは、劣性遺伝子じゃな。『劣性』ではなく『劣等』遺伝子の話しじゃ」
劣等……か。
俺は首をひねって記憶を辿る。が、すぐにかぶりを振った。
「なら、初めて聞く話だと思います。で、その劣等遺伝子は、劣性遺伝子とどう違うんですか?」
「遺伝子は通常、父と母より一つずつ受け継いで一対として存在する。その一対の遺伝子で遺伝情報の優性関係にある遺伝子の方を優性遺伝子と呼び、その特性を発現しない方を劣性遺伝子と呼ぶ。お主の言うように、ヒトの血液型や髪質等。イヌの場合なら、毛や目の色、耳や尻尾の形なども両親に貰った遺伝子の優勢関係で決定づけられる。つまりは、生物は両親のどちらか、もしくは両方の特性を受け継いでいることになるな。なので、基本的に子は親に似ている」
「子は、両親の特性を受け継いでいる……」
反すうするように、言葉を噛みしめる。
それは至極当たり前のことで全人類、全生命体がそうであると言っていいだろう。そして、当然俺も両親に似ていることになる。
そうか……。もしかすると、俺はそれを知りたかったのかもしれない。自分の親がどんな人で、俺が将来どんな人間になる可能性があるのかを……。
「もちろん、その両親にも互いに両親がいて、その両親にも両親がいて……。とっ、遡ればキリがなくなるの。遺伝子は、言うなれば、先祖代々受け継がれてきた命の設計図とでも言えば良いのかの? けれど、優性遺伝子と劣性遺伝子と呼ばれているだけで、そこに機能的な優劣関係は存在しない。お主の言う、血液型や髪質も優劣は関係ないじゃろ?」
「ええ」
確かに好みはあるが、そこには素晴らしい血液型とか、理想的な髪の毛というものはない。
「じゃが、劣等遺伝子はその生物、種として劣ることを示す遺伝子情報じゃ。保有しているだけでその種として劣等生であることを示す遺伝子のことじゃ」
「種としての劣等生? それはどういう意味でしょう?」
「基本的に知的能力や身体機能が平均値以下。生命として、意欲や向上心が乏しく、学習能力も労働意欲も少ない個体のことじゃ。生物の種類でその働きは違うのじゃが、ヒトの場合は想像力の欠如。自分本位で短絡的な思考、承認要求が強く怒りやすい性格が多いようじゃ。凶悪犯罪者の多くはその遺伝子を保有しているというデータもあるらしい」
「それが、劣等遺伝子。そんなものが俺たちの体の中に……?」
両手を広げて見つめる。




