第一章 「犬と交わる」 9
イネコはペロリと口元を舐める。
「さっきも言ったが、ご主人は犬の次に米好きでの」
「ええ」
だから、イネコって名前を付けたんだよな。
「時に、そなたは食べることが好きかの?」
「はい。人並みには」
何の質問だ? そもそも食事が、嫌いな人なんてあまりいないだろ?
「だが、世界にはその日食べるものにさえありつけない者もいると聞く。昔に比べれば少しはマシになったとはいえ、まだまだ深刻な食糧不足問題は存在している。ご主人はそんな飢餓に苦しむ国の人たちのため、かねてから、自分が好きな米をお腹いっぱい食べさせてあげたいと研究を続けていた。栄養価も生産性も高い穀物を作りたいとな」
俺はてっきりご主人は、生物系の遺伝子工学が専門だと思っていたが、作物、農業系の人だったのか。まあ、遺伝子工学者にとって生き物も植物もそこまで違いはないのかもしれないな。
「つい先日、度重なる品種改良と遺伝子組み換えの結果、理想的な米の生育に成功したのじゃ。病気にも強く、品質や収穫量も高い米じゃ。成分分析や食味検査も問題なく完了し、ようやくお腹を空かせた者たちを満腹に出来るのだと、ご主人は大層喜んでそいつをお腹いっぱい食べた。ワシもご相伴にあずかったが、味も触感もとても素晴らしかった。その上コストもかからない、いいことづくめの米じゃと思っていた」
「思っていた?」
うなずき、イネコは話を続ける。
「しばらくして、その米を口にした生物に異変が起きた。一時的だったが、軽い体調不良に陥った。米の摂取により、有害物質が体内に残留することが分かったのじゃ」
「それじゃあ、ご主人とあなたも……」
たしか、お腹いっぱい食べたと言っていたよな?
「いや。ワシもご主人も、息子にも何の影響もなかった。他の動物も種ではなく、各個体で影響のありなしが発現した。再度、米の成分も分析してみたが、生き物の害になりそうなものは見つからなかった」
「なら、何らかのアレルギーとかでしょうか? お米アレルギーとか?」
「流石は探偵さんだ。いい着眼点をしているな」と褒められたが、イネコはかぶりを振った。
「度重なる調査の結果、影響のありなしに、どうやらある遺伝子が関係あることが分かった。結果、ご主人の米は失敗作だったのじゃ。人によって健康被害が出る食べ物なんて流通させられんからの。しかし、研究所の上層部はその遺伝子組み換え米を欲しがった」
「毒になる米なんですよね? そんな米をなんのために?」
イネコは片目をつぶり、「そこじゃよ」と人差し指を立てた。
「今までも、何度も失敗作を作ってきたが、そんなことはなかった。しかし、今回のものを何故欲しがったのか? その理由が不可解じゃった。それ故、ご主人は不審に思い研究データを密かに隠し、ワシは組織について調査をした」
前々からどこか怪しいと思っていたからのと、自慢げに語るイネコ。
「そこで、ワシはその研究所の重大な秘密を知ることとなったのじゃ」
「秘密?」
「そうじゃ。その結果、ご主人と息子は拉致され、研究所から別の場所へ連れ出された」
口封じ? あるいは、強制労働か、はたまた……。
「それほどヤバイ、秘密、ということじゃ。だからお主に今話せるのはここまでじゃ」
「え?」
「これ以上知ることは、そなたの命にかかわるやもしれんからの。勝手で申し訳ないが、ここまでの話しで依頼を受けるかどうか判断して欲しいのじゃ」
いい所で話を切ったな。続きが気になって仕方がない。しかし、イネコが言うように、この先の話は興味本位で聞かない方がいいのだろう。『好奇心は猫を殺す』とも言うしな。




