第7話 酒場と宿屋
「これでどのくらい生活できるものなんですかね?」
麻袋を持ち上げると、中に入った硬貨がちゃりんと音を立てる。
フレイはギルドで買取の説明を受けたあと、ユーリスと合流したバッシュ達とギルド近くの酒場で夕食を取っていた。
「うーん。難しい質問だけど⋯⋯何処に住んでいるかとか、自給自足しているかとか、その人の暮らし方によって1ヶ月に必要な金額は全く違うのよ。でも、もしこの街に家を借りて住むのであれば、月に金貨1枚と大銀貨8枚は最低でも必要でしょうね。農村で暮らすならもっと少なくていいみたいだけど」
「初めての買取にしてはかなり良いんじゃないか?駆け出しの冒険者の月の稼ぎよりは全然上だしな」
そのまま、バッシュがこの世界の貨幣について説明をしてくれた。
彼によるとこの世界の貨幣は1番価値の高いものから、
・大金貨(=金貨10枚)
・金貨 (=大銀貨10枚)
・大銀貨(=銀貨10枚)
・銀貨 (=大銅貨10枚)
・大銅貨(=銅貨10枚)
・銅貨
と、なるそうだ。
良く取引される硬貨は銀貨、大銅貨、銅貨あたりで、マルシェや酒屋など単価安い店ではそれ以上の硬貨は貨幣価値が大きくて使いにくいらしい。
武具や服、魔導具などの単価の高い店であれば、大銀貨や金貨も取引されるそうだが、大金貨ともなると一般人が手にできるような物ではないんだとか。
「なるほど。でも、ここで暮らすにはちょっと少ないですね」
麻袋の中を見ると、大銀貨13枚と銀貨5枚が入っていた。
ギルド職員が金が無いと言ったフレイに気を利かせて、街中で使いやすいように金貨ではなく大銀貨で代金を払ってくれたのだ。
「ちなみにこのエールは一杯大銅貨5枚。そっちの料理が大銅貨銀貨1枚と大銅貨2枚よ」
給仕係によって運ばれてきた、木製のジョッキに入ったエールをレベッカが受け取る。
ユーリスの前に置かれた大皿には、4人前はありそうなコカトリスのソテーが置かれていた。ユーリスが1人黙々食べ始めたそれを、バッシュが慌てて取り分けていた。
「エールに比べて食事が安いような気がするんですけど、どうしてですか?」
「魔物の肉は手に入りやすいからよ。でも、ここのは胡椒を使ってるから高い方よ?ちなみに街の屋台の串焼きだったら大銅貨1枚くらいで食べられるものもあるわよ。逆に飼育された、鶏や豚の肉は高いからなかなか食べられるものじゃないわ」
確かにさっきも、色んな人が魔物を持ち込んでたな。と、ギルド内の様子を思い出す。この世界の人たちにとって魔物肉は狩猟肉、飼育された肉は高級ブランド肉みたいなものなのだろう。
(ブバリナもコカトリスも1匹から取れる肉の量が多かったもんな。しかも野生だから、飼育する餌代とかのコストもいらないわけだし、安くて当然か)
「なるほど。じゃあ、一番買取価格の高かった一日果が1つ銀貨3枚だったということは、かなりの高級果実なんですね」
「一日果は貴族御用達だからね。高くてもあっという間に買い手がつくのよ」
(〇〇県産高級マンゴーとかメロンみたいな感じか?確かに美味い果物だったら高くても食べたくなるのは分かるな)
フレイがそんな事を考えていると、レベッカの前に新しい料理が運ばれてきた。
1つがトマトソースがかかったパスタだ。先程のコカトリスのソテーよりも量が少なく2人前くらいの量だ。
もう一つは、じゃがいもを揚げたウエッジカットの揚げ芋だった。こちらはじゃがいも3個分くらいの量だろうか。
「このパスタが銀貨1枚と大銅貨2枚。揚げ芋が大銅貨8枚ね。野菜を使っているもの方が高いの」
「魔物肉だけの料理と比べてかなり高いですね!」
「野菜は農村で作られていることが多いんだ。街で働いている者に比べて農村の人々の収入は少ないから、マジックバッグを持っていない者が多い。街まで運ぶにしても、モリスさんの様に護衛を頼まなけばいけないし、荷車だと多くを一度に運べないからどうしても値段も高くなるんだよ。⋯⋯さぁ、俺たちもとりあえず食おう。ゆっくりしていると、全てユーリスに食べられてしまうぞ?」
バッシュが取り分けた料理をフレイとレベッカに配りながら、2人に食事を促す。ユーリスの方を見ると、すでに取り分けられた分を食べ終えそうになっていた。
「マズイわ!またユーリスに全部食べられちゃう!」
慌てて料理を食べ始めたレベッカを見て、フレイも自分の分に手をつける。
取り分けられたコカトリスのソテーは、皮目がこんがりと焼かれていて、切り分けられた断面からはなんとも美味そうな肉汁が溢れてる。一口分に切った肉を口に入れて咀嚼する。
(うん!丁度いい塩加減だ。ハーブもいくつか使っているな。粗挽きのコショウがピリッとして肉のアクセントになってるな。香りも凄く良い。肉が美味いからこれでも全然イケるけど、今まで食べてた鶏肉よりも弾力があるな)
他の料理にもフォークを運ぶ。パスタは生パスタで、トマトソースの中にはたっぷりのひき肉が入っている。ソースをたっぷりと絡めてからフォークで持ち上げると、パスタの間から熱々の湯気が上がった。
(パスタがもちもちしてて美味いな!ひき肉もたっぷりで見た目より食べ応えがありそうだ。でも、やっぱりこっちのトマトは少し酸味が強いみたいだ。もう少しコクと甘みが欲しいところだけど、これも悪くないな)
日本で生きてきたフレイからすれば少し物足りない味付けだが、想像していたよりもこちらの料理が美味いことに驚いた。
特に意外だったのがエールだ。木製のジョッキに入ったエールをガブリ飲む。酸味と苦味の中にもコクがある味わいだ。鼻から抜ける柑橘のようなフルーティーな香りがなんとも堪らない。日本でよく飲むラガービールと違ってぬるめが、案外ごくごくと飲めてしまった。
「うんまっ!?このエールってめちゃくちゃ美味いですね!!」
「そうだろう?ここの街のエールはスタンダードな味だが、街によってはハーブやスパイスを入れて作る所もあるんだ。街ごとのエールを楽しめるのも冒険者の旅の醍醐味なんだ」
バッシュは揚げ芋をつまみしてに、すでに3杯目となったエールを美味そうに流し込む。
自分に取り分けられた食事を全て食べ切ったユーリスが、更におかわりを皿によそいながらフレイに尋ねた。
「そういえば、お前は何処に泊まるのか決めたのか?」
エールを口に運びながらフレイは首を横に振った。
「まだなら、跳ね馬亭にするといい。あそこは朝と夜の食事を頼まなければ銀貨2枚で泊まれる。お前は料理が出来るから、共用の調理場を借りて食事を作れば安く済む」
「ユーリスの言う通りだ。俺たちが泊まる宿も近くにあるから、困ったことがあればいつでも頼るといい。しばらくこの街に滞在するつもりだからな」
「ありがとうございます。そこに行ってみます!」
泊まる場所をどうするか悩んでいたので丁度良い。今日はその宿に行こうと決め、フレイはおかわりのエールを注文した。
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ーー跳ね馬亭
看板を確認するとフレイは宿屋のドアを開けた。
中では、宿屋の店主らしき男性が綺麗に並べられたテーブルを拭いていた。
「すみません。食事なしの素泊まりで泊まりたいんですが、部屋はありますか?」
「いらっしゃい!珍しい格好だね?他所の国から来た冒険者かい?部屋なら空いてるよ!お客さんは何泊の予定だい?」
豊かな顎髭を生やし冒険者かと見紛うような屈強な身体をした男性は、その見た目から想像できないほどの良い笑顔でフレイを出迎えた。
「まだ、決めていないんですけど、とりあえず3泊。それ以上泊まるようならまたお願いしていいですか?」
「ああ。大丈夫だ。3泊なら銀貨6枚だ。素泊まりなら共用の調理場があるが使うかい?」
「はい!お願いします」
「はいよ!じゃあこっちだ」
宿泊代の銀貨6枚を手渡すと、2階に続く階段を登る店主の後に続いた。
「ここが調理場だ。夜中や早朝以外だったら使って貰って構わないが、火の始末だけは気をつけてくれよ?お客さんの部屋はこの隣だ」
階段を登ってすぐのスペースに共用の調理場があった。更に奥に進むといくつもの部屋があり、フレイが案内された部屋は調理場の直ぐそばにある部屋だった。
「宿を出る時は一声かけてくれ!それじゃあ、ごゆっくり!」
店主は部屋の鍵を開けたあと、フレイに手渡して一階に戻っていった。
部屋に入るとフレイは内側から鍵をかけ、勢いよくベッドに飛び込んだ。
「念願のベッドだー!!」
この世界に来てからと言うもの、野宿が当たり前。バッシュ達に出会ってからはテントがあったが、寝袋もない地面での睡眠の連続にフレイの身体は限界寸前だった。
ベッドに仰向けに寝込んでいると、バクがもぞもぞと動きだす。フレイの腹の上にぴょんと登ると、構って欲しそうな目つきで彼を見つめていた。
「ごめんなー。バク。ずっと鞄に擬態させたままで。辛くなかったか?」
バッシュ達と行動を共にし始めてから、バクが擬態を解くのはテントの中でフレイが一人きりになる僅かな時間だけだった。ずっとバクに無理をさせているのではないかと、フレイは心配だったのだ。
だがバクは、まるで心配するなとでも言うように身体をふるふると横に振った後、ぴょんとと一回宙返りをしてみせた。
「よしよし!いい子だなぁ!バク!今日はこの部屋の中なら自由にしてていいからな!」
犬みたいにわしゃわしゃと撫でやると、バクは嬉しそうに目を細めた。
「っと、その前に。悪いけど、向こうの世界の荷物を出させてくれ」
フレイの言葉にバクがあーんと口を開ける。
バクの口の中から、必要な物を取り出す。
着替え用の下着と靴下、タオル、ボディーソープ、湯桶、マグカップに歯ブラシ出す。代わりにポケットに入れておいたままだった電源が切れて使えなくなったスマホを中にしまう。
部屋の鍵を開けると廊下に誰もいないことを確認すると、共用の調理場に駆け込む。
調理場にはコンロやオーブンの他にも水道も完備されていて、日本のそれとほとんど変わらなかった。
だが、やはりこれも魔導具なのだろうか。蛇口の両脇には水色の石と赤色の石がセットされいて、水色の石に触れると水が赤い石に触れるとお湯が出る仕組みになっていた。
フレイは先程取り出した、湯垢にお湯をたっぷり入れると大急ぎで部屋に戻る。
「ふー。これで、やっと着替えができる」
バッシュ達と合流してからは川を見つけた時に一度水浴びをすることができたが、流石に彼等の前で着替えることができなかったのだ。
因みに、レベッカの水魔法で身体を洗わないのかとフレイが聞いたことがあったのだが、魔物や盗賊が襲ってきた時にマナ切れで魔法が使えないと困るため、旅先で身体を洗うのはどうしようも無い場合を除いてもっぱら川や湖でなのだそうだ。
ハンドタオルをお湯に浸して絞ったもので、フレイは身体を綺麗に拭いていく。足だけは、片足づつであれば湯桶に入れることができたので石鹸をつけて洗った。
「少しはすっきりしたけど、やっぱり風呂入りてぇなぁ⋯⋯」
使っていた下着と靴下を洗って、乾かすために部屋の中にあった椅子の背もたれに掛けている時に、ふと思った。
そういえば、こっちの世界には風呂屋はあるのだろうか?旅先は仕方ないにしても、風呂に全く入らないなんて考えにくい。現に、街で出会った人たちはみんな清潔そうな格好をしていた。もしあるのであれば、明日ジェラルドの店に行く前にでも入りに行きたい。
「明日、宿屋のおっさんに確認してみよう!モリスさんが野菜の販売してるマルシェってのにも行ってみたいし、街の店も色々見て周りたいな。でもーー」
ベッドの上に座ると、麻袋の中の硬貨をその場に広げて数える。気に入ったのか、ベッドの上でぽんぽんとバクが跳ねるので硬貨が飛び散ってなかなか数えられない。飛び跳ねるバクを捕まえて、あぐらをかいた足の間に座らせると大人しくそこに収まってくれた。
「残りが大銀貨12枚と銀貨7枚、大銅貨2枚か。剣とか魔導具とかも欲しいところだけど、まずはこっちで暮らすのに必要な生活用品から買わないとな」
バクの中に元の世界で使っていたものは全て入っているのだが、こちらの世界で何が一般的に使われているものなのかわからない。
先程の酒場で使ったフォークや皿のように、元の世界と変わらない見た目の物もあるみたいなので、一度街を見てから使えそうなものだけ出して使おう。
「明日は街に出掛けるんだ。その間、またバクには我慢させちゃうけどごめんな?」
足の中のバクを覗き込むと、バクはまるで「任せろ!」とでも言うように片手で自身の身体をポン!と一回叩いてみせた。