第5話 コカトリス
明日にはネフィエの街に着くだろうという距離の場所。
日も傾きはじめた頃。いつもの様に荷馬車の隣を歩いていた、バッシュとレベッカがぴくりと同時に眉を顰め足を止めた。
ユーリスもそれに続いて、馬を止める。
「この先に1、2、3⋯⋯4。誰か襲われているみたい。どうする、バッシュ?」
「助けに行こう」
「ーー飛ばすぞ。おい、お前はそっちに行け」
「え?そっちってどっち⋯⋯うわっ!?」
隣で御者席に乗っていたフレイは、ユーリスに首根っこを掴まれて御者席側から荷馬車の中に押し込まれた。御者席の空いた席にレベッカが、バッシュは荷馬車の後方で身体を乗り出すように立ったまま乗りこむ。
2人が馬車に乗ると同時に、ユーリスは荷馬車を勢いよく走らせた。
「えっ!?皆さんどうしたんですか!?」
「あぁ。また誰か魔物に襲われてるみたいですねぇ」
「魔物ですか!?」
身体が外に飛んでいってしまいそうなほど揺れの中、フレイが必死になって荷台に掴まっているのに、ジェラルドはそこら中に身体をぶつけながらも、何事もないような顔をして手元の紙に服のデザインを描き続けている。
「彼等は魔物に襲われてる人たちを放って置けるような人たちじゃないんですよ。まぁ、いつもの事なんで、気にせずに。私たちはこの中に居れば安全ですから」
「えぇっ!?そんな呑気なーー「あそこよ!コカトリスだわ!」
フレイが言いかけた言葉にレベッカの大声が重なる。
荷台からやっとの思いで外を覗くと、人の身長はある大きなニワトリのような生き物が3羽、荷車を引いた行商人を襲っていた。
「レベッカ!!1番奥の奴をやれ!俺が手前の2羽をやる!ユーリスはジェラルドさん達を護衛しつつ援護にまわってくれ!」
「わかったわ!」
3人はひらりと荷馬車を降りると、バッシュが近くにいた2羽に突進していく。レベッカも走りながら、1番遠くにいるコカトリスに向かって神速のようなスピードで矢を放った。
かなりの距離があったにも関わらず、レベッカの放った矢はコカトリスの片目を貫く。
ーーグギャァアアアッ!!!
目を貫かれたコカトリスは、耳を塞ぎたくなるようなおどろおどろしい叫び声をあげレベッカの方に走り出す。
標的を行商人から彼女に変えたのだ。
仲間の叫び声を聞いた他の2羽も、レベッカたちに気付くと全身の羽をこれでもかと逆立てて襲いかかってきた。
レベッカはすかさずもう一本矢を放ち、今度は先程のコカトリスの喉を貫いた。
バッシュも襲いかかってくる1羽を大剣で斬りつける。
ずばりと切られたコカトリスの胸からは、真っ赤な鮮血が噴水の様に吹き出した。
切られたコカトリスは怒り狂った叫び声を上げながら、その凶悪な嘴でバッシュの頭を食い潰しそうと大口を開ける。
ーーパァン!!
爆ぜるような音がした。
ユーリスがローブの下に隠していたライフルを荷馬車の上から放ったのだ。
大口を開けていたコカトリスは口の中からユーリスの放った弾丸で脳天を貫かれ、ぎゅるりと白目を剥いて生き絶える。
だがその後ろから、もう1羽がすかさずバッシュの頭上から襲いかかってくる。
太く鋭い爪を光らせて襲いかかるコカトリスの攻撃をバッシュはひらりと交わす。
同時に背後に回ると、大剣を逆手に持ちコカトリスの心臓目掛けて思い切り突き刺した。
心臓を貫き地面に串刺しにされた、ソレはピクリとも動かなくなっていた。
2人は残った1羽に向かって同時に走り出す。
レベッカはコカトリスの正面から、バッシュはサイドから一気に距離を詰める。
目と喉を貫かれ激昂するコカトリスも、嘴を突き出して猛スピードで彼女に突進する。
「今だ!ストーンウォール!!!」
コカトリスの突進がレベッカに届く直前、バッシュはコカトリスの目の前に魔法で土壁を作り出す。
トップスピードのまま土壁に突っ込んだコカトリスは、脳震盪を起こしてぐらりと一瞬頭を揺らした。
その隙を2人は見逃さない。
コカトリスの両脇に回り込む。
バッシュは太腿に刺したナイフを、レベッカは腰に刺した短剣を手に持つと、2人同時にコカトリスの首を斬りつけた。
ゆっくりとコカトリスの首と胴体が離れる。
ーードシィィ・・ン
力なく倒れたコカトリスの首から、どくどくと流れ出す鮮血が地面を濡らした。
(すげぇ⋯⋯)
目の前で起こった出来事に、フレイは驚愕のあまり声も出ない。荷馬車の中から見ていた彼等は、まさに圧倒的な強さだった。
魔物という恐怖からなのか、それとも彼等の戦いを見た興奮からか。どちらものかわからない感情にぶるりと震え、鳥肌が止まらない。
とにかく、バッシュとレベッカの元に駆け寄ろうと荷馬車を飛び出した時だった。
ーーバササッ!!!
頭上から大きな羽音が聞こえ、フレイの足元に大きな影が掛かる。
咄嗟に頭上をみると、荷馬車の屋根に乗っているユーリスよりも高く飛び上がる一つの影。
時間の流れがゆっくりになったような感覚に陥る。
それは、隠れていたもう1羽のコカトリスが、鋭い爪でユーリスの身体を今にも抉ろうとしている瞬間だった。
全てがまるでスローモーションに見えた。
(殺られる!!)
だが、その爪がユーリスの肉を抉る事はなかった。
ユーリスは立った状態から身体を捻ると、回転を加えてコカトリスの首に強烈な蹴りを入れたのだ。
ーーゴキゴキッ!!
骨が砕ける音と共に、コカトリスの首があり得ない方向に曲がる。
ユーリスは力なく地上に落ちていくコカトリスの上に飛び乗ると、すかさず背中の短剣を引き抜いて脳天に突き刺した。
それは一瞬の出来事だった。
「不用意だぞ。まだ降りて良いと許可した覚えはない」
ユーリスは何事も無かったかのように、短剣を引き抜くと刃についたコカトリスの血を払った。
「ユーリスさん⋯⋯魔法だけじゃなくて、近戦でも戦うんですね⋯⋯」
あまりに一瞬の出来事に思わず、フレイの口からは場違いな言葉が出てしまう。
「コイツらの羽は良い金になるからな。火魔法や雷魔法で駄目にしたら勿体ない」
(あの一瞬でそんな事まで考えて反撃したのかよ⋯⋯)
ユーリスの返答に力が抜けて、フレイはその場にへたり込んだ。
ジェラルドはというと外の事など気にも止めない様子で、今だ荷馬車の中でデザインを描き続けていた。
「もう駄目かと思った⋯⋯助けて頂いて本当にありがとうございました⋯⋯!」
泣きながら何度も何度も感謝する行商人の肩をバッシュが優しく叩いて宥めている。
「いや、遅くなってすまなかった。ユーリス。彼の傷の手当てを頼む」
先程の襲撃で怪我をしたのだろう。腕の手当てをユーリスが始めた。
「それで⋯⋯彼等は?」
行商人の荷車の影から、2人の脚が見える。
荷馬車の中で待機を命じられているフレイからは、全てを確認することは出来ないが、多分誰かの亡骸なのだろう。
レベッカが2人の状態を確認すると残念そうに首を横に振った。
「護衛を頼んだ若手の冒険者たちです。私を護って、それで⋯⋯」
そこまで言うと、行商人は言葉を詰まらせて大粒の涙を溢した。
「そうか⋯⋯彼等は任務を全うしたのだな」
「顔に見覚えがあるわ。冒険者になって年数の浅い子たちだわ」
「埋葬しよう。ギルドには俺が報告する」
バッシュは街道の脇にある大きな木の下に土魔法で穴を掘ると、2人を埋葬した。
「ジェラルドさん。フレイ。待たせてすまない」
「いえ。俺は大丈夫です」
当たり前に魔法が存在して、ゲームのキャラクターみたいな種族がいて、沢山の面白い果物に出会えるこの世界に、少し浮かれすぎていたのかも知れない。
この世界に来て初めて直面した人の"死"に、フレイの気持ちは土砂降りの雨の日のように沈んでいたが、出来るだけ平気そうな顔をして答えた。
心優しいバッシュたちのことだ。きっと、2人を救えなかった悔しさを見せないようにしていることだろう。
それなのに、自分が暗い顔をしているわけにはいかない。そう思ったのだ。
「彼がネフィエの街に行商にいく所を襲われたそうだ。肩を怪我しているので、このまま一人にするわけにもいかない。ジェラルドさん。また同行者が一人増えても構わないだろうか?」
「私は構いませんよー」
「ありがとうございます。彼の荷物が散乱してしまっているので、集めるのを手伝ってきます」
フレイは思わず席を立つ。
心が騒ついてじっとしていることが出来なかった。
「バッシュさん!俺も手伝いに行っても大丈夫ですか!?」
「あぁ。頼む。この辺にもう魔物は居ないようだから安心していいぞ」
「ありがとうございます!ジェラルドさん!ちょっと行ってきます!」
「はいはーい!いってらっしゃい!」
デザインを描いている紙から離さず、ひらひらと手を振るジェラルドに苦笑しつつ荷馬車を降りる。
彼の集中力と動じない心の強さを、純粋に羨ましいと思った。
荷車のほうに向かうと、行商人とレベッカが何やら話をしていた。
「ですが!あなたたちのような有名冒険者に頼むわけにはーー」
「気にしないで。貴方の他にももう一人、街まで同行している人もいるのだから」
行商人はなにやら畏れ多そうに慌てている。
「フレイ。彼はモリスさん。この近くの村の人間でネフィエの街に野菜を売りにいく所らしい。モリスさん。彼も同行者の一人です」
「はじめまして、モリスさん。フレイと言います。バッシュさん達にネフィエの街まで同行させてもらっている者です。街までどうぞよろしくお願いします」
「え!?あ!モリスです⋯⋯!」
「野菜、拾うの手伝いますね」
「あ、ありがとうございます!」
荷車の周りに散らばった野菜をひとつひとつ集める。
トマトに玉ねぎ、じゃがいもなど、元の世界で見慣れた野菜達がそこら中に転がっていた。
「あぁ⋯⋯これは売り物にならないな⋯⋯」
拾った野菜を見ながらモリスが残念そうに肩を落とした。一部の野菜が割れたり、潰れてしまっていたのだ。
「まさか、こんな街の近くで魔物が出るなんて⋯⋯」
「この辺りで魔物が出るのってそんなに珍しい事なんですか?」
「えぇ。この辺で魔物が出たなんてあまり聞いたことありませんよ。だから、護衛もお二人で問題なかったはずなのに」
売り物にならなくなった野菜を荷車に乗せると、やり切れない虚しさが溢れたようにモリスは大きなため息をついた。
「確かにこの辺りで魔物が出るなんて珍しいな。だが、最近あちらこちらで魔物の出現報告もあると聞く。これからは街の側とて用心した方がいい。街までは俺たちが必ず守るから安心しろ」
バッシュはそう言うと、モリスの背中を優しく叩きながら彼を励ましていた。
散らばった野菜を全て集め終えると、街道を少し進んだ場所で一行は今日の野営を張った。
フレイが食事の準備を始めると、「街に着くまでに傷んでしまうから」と売り物にならなくなった野菜を分けてくれた。
(せっかくモリスさんが大切に作った野菜を分けてくれたんだ。皆んなが腹一杯食って元気になれるように美味いものを作ろう)
フライパンや鍋などの調理器具はバッシュ達が持っていたので、それを借りるとフレイは調理に取り掛かった。
潰れてしまったトマトを角切りに切ると、一口食べてみる。
(日本のトマトより酸っぱくて硬めだな。これを使うならーー)
今日の夕食は、バッシュが解体したコカトリスのもも肉を使うことにした。
バッシュ達が非常用に持っていた干し肉を少し分けてもらい、鍋に入れて少量の水で煮出して出汁を取る。
その間に、玉ねぎとニンニクを薄切りにした。ナイフだと包丁と勝手が違うので少し歪な形になってしまったのだが。
解体された、コカトリスの肉を手に取る。
コカトリスのもも肉は綺麗なピンク色で、元の世界で良く見る鶏のものとよく似ていた。一口大に切り分けていく。
(テフロンのフライパンと違って鉄製だから、このまま焼いたら肉がくっつきそうだな)
借りたフライパンを焚き火に掛け、煙が出る直前まで温める。
(オリーブオイルが無いから、代わりにコカトリスの脂身を入れて溶かしてフライパンをコーティングしてと)
コカトリスの脂でコーティングされたフライパンに、切ったコカトリスの肉を皮目を下にして入れた。
じゅうじゅうと音を立てて皮目に良い焼き色がついていく。
「ひっくり返して、もう片面も軽く焼いたら一度皿に取り出して」
フライパンに残ったコカトリスから出た脂の中に、先程薄切りにしたニンニクを入れていく。
辺りにニンニクのいい香りが広がった。
「あら、いい匂い」
鼻をクンクンさせながら、レベッカが調理の様子を見に来た
「もうちょっと待っててくださいね!美味いもの作るんで!ーーニンニクの香りが脂に移ったら、スライスした玉ねぎを入れて、塩を少し入れて炒める!」
玉ねぎが茶色くしんなりすると、先程取り出しておいたコカトリスの肉と、干し肉で取った出汁汁、小さく切ったトマト、ローズマリーを入れて煮込み始めた。
「その、干し肉を煮たものはなに?」
レベッカが興味深そうにフライパンの中を覗き込む。
「これは出汁って言って、肉のスープみたいなもんです」
(本当ならコンソメを入れるんだけど、今回はこれで代用だ。トマトもトマト缶を使う所を生のトマトを使ったから、しっかり水分が飛ぶまで煮込まないとな。胡椒も入れたいところだけれど、仕方ないな。あとはーー)
鞄の中から、一日果をひとつ取りだす。
ナイフで小さく切ると果肉をフライパンの中に入れた。
(酸味の強いトマトだったし、トマトケチャップとか砂糖を入れてコクと甘みを足したいところだけど。一日果はマンゴーみたいな濃厚な甘みだったから、トマトとも相性が良いだろう)
トマトと一日果を木ベラで潰しながら煮込んでいると、レベッカが驚いたように声を漏らした。
「フレイ⋯⋯貴方って本当に躊躇なく料理に果物を入れるのね!」
「果物を料理に使うのってそんなに珍しいですか??」
「そうね。私は料理は得意じゃないからあまり分からないけれど、デザート以外で果物を使うなんて、私が知っている限りでは見たことないわ」
元の世界では当たり前にやっていたことなので、フレイにとっては不思議な感覚だった。
暫く煮込むと汁気が飛び、濃厚なトマト煮込みが出来上がった。
フレイは、スプーンで一口ソースを掬って味見をする。
「うん!悪くない!最後に少し塩を足して味を整えたら、コカトリスのトマト煮込みの完成です!」
「わぁ!とっても美味しそうね!」
レベッカは両手を合わせるとぴょんぴょんと飛び跳ねて歓喜した。
「他の方の準備が終わるまでに、付け合わせを作っておきますね」
「早く食べたいからみんなを手伝ってくるわね!」
彼女は待ち切れないと言った様子で、皆の元に駆けて行った。
夕食の時間。コカトリスのトマト煮込みをよそった皿を、一人一人に配る。
付け合わせは割れてしまったじゃがいもで作ったベイクドポテトだ。ニンニクの香りを移したコカトリスの脂でじっくりと焼いたじゃがいもに、塩と刻んだローズマリーを和えてある。
「いただきます!」
皆がそれぞれの皿に手をつけた。
「いい香りがしてるなと思っていましたが⋯⋯本当に美味しいですね!」
「このトマト煮込み、濃厚で酸味だけじゃなくて甘味も感じて本当に美味いな!コカトリスの肉も柔らかい」
「んー!最高!ほっぺが落ちちゃいそう!」
「⋯⋯美味い」
レベッカが自分の頬を押さえながら、幸せそうな笑顔を浮かべ、ユーリスは黙々とスプーンを進めている。
「あのトマトがこんなに美味しい料理になるなんて!!」
モリスがトマト煮込みを口にするたびに、驚いたように目を丸くした。
「モリスさんが大切に育てた野菜だと聞きました。売り物にはならなくなっちゃっても、せっかくなので美味しく頂きたかったんです」
「フレイさん⋯⋯ありがとうございます!」
フレイがそう言うと、モリスは嬉しそうに続きを食べ始めた。
「こっちのじゃがいもも美味いぞ!」
「本当ですね!ホクホクしてとっても美味しいです!街に着いたら、妻と一緒にモリスさんの野菜を買いに行きますね!」
「えぇっ!?ジェラルドさんて結婚されてるんですか!?」
「フレイさん?なんでそんなに意外そうな顔をされているんですか?」
「す!すみません!いや、本当に意外過ぎて」
「心外ですね!ぷんぷん!」
「あははは!」
フレイとジェラルドのやりとりを見てモリスが声を出して笑っていた。
(よかった。モリスさん、ちょっとは元気出たみたいだな)
心の中で安堵するフレイにユーリスはすでに空になった皿を差し出す。
「おい、もう一杯くれ。じゃがいものヤツもだ。トマト煮込みに付けて食うと美味い」
「あー!!ユーリスがもう食べ終わってる!!」
「おい!ユーリス!お前は大食いなんだからもう少しゆっくり食べてくれ!俺たちの分がなくなるじゃないか!」
「えー!私もトマト煮込みにじゃがいもつけて食べたいです!おかわりくださーい!」
その様子をモリスはニコニコと見ている。フレイは受け取った皿におかわりを盛りながらモリスに話しかけた。
「嬉しいもんですよね」
「え?」
「料理でも野菜でも。自分が心を込めて作ったもん、誰かが美味い美味いって食ってくれるの」
フレイはモリスににっこりと笑い掛ける。
「ーー!そうですね!」
二人笑い合うと、ゆっくりと食事の続きを食べ始めた。
フレイに出会う前から黒パンがないのはユーリスのせい。