第2話 初めての出会い
川沿いを進むこと丸2日。柃たちは人の手が入った街道を見つけ歩いていた。
道中で何度か果実を見つけて食べてきたが、幾らフルーツ好きとは言え流石にそろそろ普通の食事が食べたい。
「肉食いたい⋯⋯米⋯⋯食いてぇなぁ⋯⋯」
ステーキ、牛丼、カレー、しょうが焼き、焼肉ーー頭に思い浮かんだ食べ物を呪文のように繰り返していると、バクが突然、柃の身体に飛びついてきた。よく見ると目も消えて普通の鞄に戻っている。
「バク?急にどうした??」
さっきも大量の果物を食べていたので、食べすぎて具合でも悪いのかと心配していると、後方から『ドドドド⋯⋯!!』という音とともに土煙が近づいてきた。
土煙の中をよく見ると水牛の3倍くらい巨大な牛が如何にも凶悪そうなツノを振りかざし、全速力でこちらに向かって走って来ているではないか。
「え?なに!?なんだよこの牛!?なんで俺の方向かって来てんの!?肉か?肉食いたいって言ったせいでコイツ怒ってんか!?」
明らかに自分の方を目指してくる巨大な牛に、パニックになりながら逃げ出す。街道を逸れて走り出したが、巨大な牛も柃を追いかけるそうに街道を逸れた。
「嘘だろ!?ふざけんなよ!!こっち来んなよ!?おい!!バク!?なんかヤバそうなの来てるぞ!?」
いつもなら危険な生き物が柃を襲ってくると瞬殺してくれるバクだったが、何度呼びかけても普通の鞄の姿のままピクリとも反応してくれない。
「おいバク!?バクってば!?助けてッ⋯⋯」
「ーー草むらに飛び込め!!!」
あと少しで追いつかれるというところで、辺りに響き渡るような大声が柃の耳に飛び込んでくる。反射的に目の前の草むらに飛び込んで身体を伏せた。
咄嗟に振り向くと、男が大剣を振りかざしとてつもないスピードでこちらに走って来ている。
「今だ!レベッカ!!やれ!」
合図と共に、放たれた3本の矢が牛の腹と後ろ足を貫く。男の遥か後方で、美しい銀色の長髪を靡かせた女性が矢を放った体勢のまま弓を構えていた。
「モォォオッ!!!」
突然の攻撃に怯んだのか、牛は前足を空中でばたつかせてその場で暴れ出す。見計った様に男は瞬時に距離を詰めた。
自身の身長程あろうかという大剣を物ともせず、牛の真上に向かって飛び込む。
「うおぉおおおおっ!!!」
ドスっという鈍い音を立てて、男の大剣が丸太のように太い牛の首を貫通する。牛は首からボタボタと大量の血を流しながらも、男を振り払おうとロデオの様に暴れている。
「バッシュ!いいぞ!退け!」
全身を真っ黒なローブに身を包んだ仲間が大剣を刺した男に指示を飛ばす。
バッシュと呼ばれたその男は、大剣を引き抜くとすぐさま後方に飛び暴れる牛から距離を取る。ローブの仲間が、暴れる牛に向けて片手を伸ばすと、牛の足元に魔法陣が浮かび上がった。
「フレイム!!!!」
ローブの人間の声と同時に魔法陣から噴き上げた特大の火柱が瞬く間に牛を包み込む。
牛はあっという間に丸こげになり、力なく倒れた。
(肉食いたいって言ったけど、流石に丸焼きとは言ってねーよ⋯⋯!!)
目の前で起きた出来事に一人つっこみながら呆然とする柃の元に、先程バッシュと呼ばれていた男性が大剣を背負って駆け寄ってくる。
近寄ってきた彼は、服の上からでもわかるほどの鍛え上げられた逞しい肉体をしている。
自身の急所を守る様に、茶色い革で出来た鎧のようなものを首から胸下あたりまで装着していた。腰や太腿には同色の皮ベルトが幾つも巻き付けられていて、そこにはナイフや小さなポケットたちが付いている。
まるでRPGにでも出てくるキャラクターのような服装だ。
「大丈夫だったか?怪我はないか!?」
「ーーはい!ありがとうございます!」
言葉が通じる事に内心驚きつつ、バッシュに差し出された手を掴み、小鹿のように震える膝に喝を入れなんとか立ち上がる。
少し長めの黒髪をオールバッグにした彼の額には、古傷と思われる大きな傷痕があった。
「俺はバッシュだ。あっちに立っているのが仲間のユーリスで、今こっちに向かって来ているのがレベッカだ。」
レベッカと紹介された銀髪で、目鼻立ちの整った美しい女性がバッシュと柃の元に駆け寄って来る。
バッシュと同じく革で出来た鎧で胸を覆い、背中には矢と弓を携えている。スリムなパンツに脛まであるロングブーツを履き、腰の後ろには短剣を指していた。
「あなた大丈夫だった?間一髪ね!」
駆け寄って来たレベッカは、その輝く銀の髪に負けない程の輝く笑顔を柃に向けた。
あまりの美しさに柃の背筋がピンと伸びる。
「は!はひ!ご迷惑をおかけしてすみません。お陰さまで助かりました!」
「いや、こちらこそすまなかった。実は任務中にブバリナの群れと遭遇してしまってね。他は片付けたんだが、コイツだけ興奮状態のまま逃げ出してしまったんだよ。俺たちが上手く仕留めていれば、君を危険に晒す事もなかったんだ」
襲ってきた巨大な牛はブバリナというらしい。
柃の方を向き直るとバッシュは深々と頭を下げた。それにレベッカも彼に続いて頭を下げる。
「本当にごめんなさいね。私が他のブバリナに気を取られて周りをちゃんと見れていなかったせいなの」
「レベッカだけの所為じゃない。敵の注意を引きつけられなかった俺の責任でもある。君には本当にすまないことをした」
「そんな!助けてもらったのは事実ですし、俺はなんともないんで気にしないで下さい!」
頭を下げ続ける2人に柃は慌てて、「頭を上げて欲しい」と頼んだ。
「ありがとう。⋯⋯ところで君は?見たところ1人の様だが、たった1人で何処から来たんだ?」
「俺の自己紹介がまだでしたね!俺は、ふーー」
福畑 柃です。そう言いかけて、ある事に気がつきぴたりと言葉を止める。
(2人の名前は完全に横文字の名前だ。来ている服もまるでファンタジー世界みたいな服装だし、福畑 柃なんて思いっきり和名を出したら色々めんどくさいんじゃないか・・!?しかも、こことは別の世界から来ました〜。なんて言ったって頭のおかしい奴だって思われるんじゃ⋯⋯!!)
2人の格好を見比べながら頭を最高速でフル回転させた。
突然、言葉を止めた柃を2人が不思議そうな顔で見つめている。
「「ふ?」」
「ふ⋯⋯フレイって言います!!実は少し記憶を無くしてしまっているようで。数日前に目を覚ましたら、突然ここにいたんです!此処がどこかもわからないし、帰り方もわからなくて途方に暮れてたんです⋯⋯!!」
(記憶を無くしたという事以外は大まか合ってる!!)
大分オブラートに包んだ説明を勢い任せに一息で伝える。
あまりの必死な説明にバッシュとレベッカは驚いたように顔を見合わせる。目線で会話をした後、フレイの肩をバッシュが叩いた。
「そうだったのか。大変だったな」
「私たち今、護衛任務中でね。もし、雇い主の許可が出れば、護衛先の街まで連れて行ってあげられるけれど、どうする?」
「いいんですか!?」
レベッカの言葉にフレイは息を呑んで目を見開いた。
かなりふわっとした自分の説明を2人が信じてくれたこともそうだが、そんな説明しか出来ない自分を、それ以上の訳も聞かず助けようとしてくれる2人の優しさに驚いたのだ。
だが、この世界に来てからどこに進めば良いのかも分からず途方に暮れていた彼からすると、その申し出はまさに天から助けの様な言葉だった。
彼の反応に少し困ったような笑いを浮かべながら、バッシュはフレイの背中を押した。
「あぁ。迷惑をかけてしまったお詫びの代わりだよ。さぁ、俺たちの雇い主のところに一緒に行こう」
バッシュとレベッカと共に戻った街道の先では、先程ユーリスと呼ばれた仲間が荷馬車に背中を預けながら立っていた。
膝下まであるロングの真っ黒なローブを頭に被り、鼻も口元も革製の黒のマスクで覆っているため表情が分からないが、先程の戦闘での声を聞く限り男性だろう。
両手を肩に回すと、背中でクロスに背負った2本の短剣を引き抜いてこちらに向かって近づいて来る。
「待て!ユーリス!彼は大丈夫だ!」
バッシュがフレイの前に立ちはだかりユーリスを静止する。
「⋯⋯ ⋯⋯」
マスクとローブの間から見えるユーリスの肌は雪のように白い。エメラルドに光る鋭い瞳で、フレイを品定めするように頭からつま先をギロリと睨んでいる。
敵意を剥き出しにするユーリスに慄きながらふと、彼の足元に目をやったフレイはまたも目を見開く。
彼の履いている黒いブーツのつま先が蹄のような形をしているのだ。
「あぁ、彼は馬人族だよ」
バッシュがそういうと、ユーリスは不機嫌そうに「フンッ!」と鼻を鳴らして背中を向けた。
揺れるローブの隙間から、フサフサとした真っ白な立派な馬の尻尾が見えた。
「かっ⋯⋯カッコいいーーーっ!!!」
その場にフレイの声が響き渡った。
自分が声に出していた事に気がつき、慌てて口を手で抑えるが時すでに遅し。
ユーリスはギョッとして、まるで得体の知れない物でも見るような怪訝な目をフレイに向けている。
「すすすッすみません!!大きな声だして!その足とか尻尾とか滅茶苦茶クールでカッコよかったんで、つい!!」
羞恥で全身の血液が顔面に集まったように熱い。
そんな2人の様子を見て、バッシュとレベッカは奥歯を噛み締めながら肩を震わせて笑いを堪えている。
「あー⋯⋯ユーリス。彼はフレイだ。この通り彼に敵意はないから安心してくれ。それより、ジェラルドさんは?」
「ーー中で休んでる。」
荷馬車を指差しながらぶっきらぼうに答えると、ユーリスは御者席に向かって行ってしまった。
バッシュは荷馬車に近づき中に乗っているであろう人物を話し始めた。
「仲間がごめんなさいね。ユーリスも悪い人じゃないんだけど」
「レベッカさん。俺、なんか失礼な事を言っちゃいましたかね?」
ユーリスの反応が心配になりレベッカに尋ねると、彼女はクスクス笑った。
「そんな事ないわ。貴方みたいな人が珍しくって、恥ずかしくなっちゃっただけよ」
(あれが恥ずかしがってたか?どうみても不機嫌だったような……)
レベッカの言葉に首を傾げていると、バッシュが荷馬車の中から一人の人物を連れて戻ってきた。
30歳くらいの男性だろうか。ウェーブのかかった茶色い髪の毛を耳の下くらいまで伸ばしている。鼻筋の通った彫りの深い顔をしており、顎髭と口髭は丁寧に整えられていた。
白いワイシャツの上に、なんともお洒落な豪華な金の刺繍が施されたモスグリーンのベスト。シンプルな黒いズボンに高そうな革靴を履いており、バッシュたちのような武器を身につけている様子はない。
「ジェラルドさん。彼が今お話ししたフレイです。フレイ。俺たちの雇い主のジェラルドさんだ」
「どうも。フレイです」
「はじめまして、フレイさん。この街道の先にあるネフィエの街で小さな洋服店を営んでおりますジェラルドと申します。バッシュさんから話は聞きました。ネフィエの街までどうぞよろしくお願いします」
「ご一緒しても良いんですか!?助かります!本当にありがとうございます!」
自己紹介をして握手を交わす。
(よかった。これでなんとか人のいる街に行けそうだ。街に行くまでの間にこの世界のことも聞けるといいんだけど)
フレイがほっと胸を撫で下ろしていると「ところで、フレイさんーー」と話を続ける。
「その鞄を是非見せて欲しいのですが」
ジェラルドは彼が肩に掛けていたバクを指差してそう言った。バクは先程から変わらず普通の鞄の姿のまま動かない。
「えっ!?これですか!?」
思いもやらなかった申し出に、思わずバクを抱きしめるように腕の中に収める。
「大丈夫です。盗んだりしませんよ。ちょっと見せて頂きたいだけですので」
ジェラルドがにこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべている。彼にはこれから街までお世話になるのだから、出来るだけ問題を起こさず過ごしたい。
(バク!!頼むから絶対にこの人に襲いかかったりしないでくれよ!!)
祈る気持ちで心の中で手を合わせて、ジェラルドにバクを手渡す。
「ど⋯⋯どうぞ」
「ありがとうございます⋯⋯ほぉー。これは⋯⋯」
ジェラルドはベストのポケットから取り出したモノクル掛けると、それを手に取った鞄を様々な角度から見たあと、徐にサイドポケットのファスナーを開けはじめた。
(そこはバクの口⋯⋯!)
つなぎの中がぐっしょりするほど全身から脂汗が噴き出る。唾を飲み込もうにも緊張で喉がカラカラ過ぎて上手く飲み込めない。
呼吸をするのも忘れて彼の様子を凝視していると、ジェラルドは突然歓喜の声を上げた。
「素晴らしい!!こんな素晴らしいマジックバッグは初めて見ましたよ!いやはや、フレイさんが中々見せてくれない理由がわかりましたよ!」
ぽかんとするフレイを他所に、ジェラルドはバクに頬擦りしながら恍惚の表現を浮かべている。
「この鞄に掛けられた付与効果もさる事ながら、なんといってもこの金具!!こんな画期的な金具は初めて見ましたよ!こんな素晴らしいマジックバッグ何処で手に入れられたんですか!?」
「それは、家にあった古い物で⋯⋯」
「たしかに、そんな金具初めてみたな」
「わぁ!本当ねぇ。気がつかなかったわ」
ファスナーを開けたら閉めたりしながら興奮するジェラルドの手元を、バッシュとレベッカも興味深そうに覗きこんでいる。
「フレイさん!!ネフィエの街に着きましたら、この鞄を2週間!ーーいえ!1週間だけで良いので、貸して頂けませんか!」
ジェラルドは鼻息を荒くしながら、フレイに近づく。
鼻が触れそうな距離に思わずのけぞりながらフレイは答えた。
「す、すみません。流石にお貸しするのは⋯⋯」
今この短時間ですらバクが何かしでかさないかとヒヤヒヤしているのに、1週間も自分の目の届かない場所に行ってしまっては、心配で生きた心地がしないだろう。
申し訳なく頭を下げるフレイに、ジェラルドはガーン!という効果音が聞こえてきそうなほど、分かりやすく肩を落とした。
「そうですよねぇ⋯⋯こんな素晴らしい品、貸して頂ける訳ないですよねぇ。この素晴らしい金具の構造を調べてみたかったのですがーー」
「はぁぁぁー」と、それはそれは大きなため息をつきながら鞄を返すジェラルドに、フレイは申し訳ない気持ちになる。
「あの⋯⋯金具ってファスナーの事ですか?鞄はお貸しできないですが、もしこの服で良ければお貸し出来ますけど」
着ていたつなぎの被せを捲って胸元のファスナーを見せる。
途端にジェラルドは興奮した表情に戻り、フレイの手を握った。
「本当ですか!?その服も面白いデザインをしているなって思っていたんですよ!!なんと!?この胸ポケットのボタンも初めて見ました!!付与魔法はされていないようですが、うーん!実に興味深い!!!」
「あ。でも、そう言えば」
「何ですか!?やっぱり貸して頂けないのでしょうか!?」
すぐに泣き出しそうになったジェラルドに、慌てて言葉を続ける。
「違うんです!俺、そういえばこの服しか持ってなくて。服をお貸しする間どうしようかなと⋯⋯」
「なんだ!そんな事ですか!でしたら、私の店にある服でお好きな物をお選びください!!」
「そうしたいのは山々なんですけど、俺、お金全く持ってなくてーー」
自分から言い出した事なのに、服を貸せそうにないだなんて申し訳なくなって段々と声が小さくなる。
バッシュとレベッカが「金を持っていない!?全く!?」と驚愕する横で、ジェラルドは表現を変えず言葉を続けた。
「お代は頂きませんよ!こんな素晴らしい服を貸して頂けるのですから。この服にはそれだけな価値があります!」
「良いんですか!?それは助かります!!それでしたら、こんな汚れた服で良ければ差し上げますよ!!」
「えぇッ!?フレイさんこそ良いんですか!?ありがとうございますー!!この金具やボタンを作ることができれば、これからの服作りに革命が起きるぞ⋯⋯ッフ⋯⋯フフフ!!!」
喜んだと思っていたら、つぎはぶつぶつと黒い笑い声を上げ出すジェラルド。
見た目だけでいえばクールそうなイケメン紳士が、自分の一言一言にポンポンと表情を変える姿にフレイは思わず笑い出しそうになった。
様子を見ていたバッシュとレベッカが「また始まったか。」と呆れた表情を浮かべているので、きっと彼にとってこれが普通なのだろう。
「ーー話は纏まったか?さっさと先に進むぞ」
御者席から痺れを切らしたユーリスの声が飛ぶ。
「待たせてすまない。ではフレイさん!行きましょうか!」
「はい!よろしくお願いします。ジェラルドさん!バッシュさんに、レベッカさん、ユーリスさんも!」
フレイがペコリと頭を下げると、バッシュとレベッカは「短い間だがよろしく。」と笑顔を浮かべる。
「ふん⋯⋯勝手にしろ」
御者席からは、いまだ不機嫌そうなユーリスの声だけが聞こえてきた。