プロローグ
初めて文章を書きました。
よろしくお願いします。
「そろそろだな」
青々とした芝生が広がる庭の一角に作られた煉瓦窯から焼いていたものを取り出すと、なんとも香ばしい香りが辺りに広がった。
「夏野菜のピザ一丁上がり!!」
涼しげに葉がそよぐヤマボウシの木の木陰に設置されたガーデンテーブルに、窯から取り出したばかりのピザを乗せた皿を運ぶ。
焼きたてのそれは、自宅の畑で取れた色とりどりの夏野菜とたっぷりのチーズが未だグツグツと音を立てていた。
ガーデンテーブルには大粒のブルーベリーがこれでもかとトッピングされたタルト。氷水を張ったアイスペールの中ではキンキンに冷えたビールが出番を待っていた。
彼は席に付くと、すぐさま熱々のピザをカットして口に運ぶ。
「アチチッ!!」
一切れ分のピザを口いっぱいに頬張ると、カシュっという爽快な音と共にビールのプルタブを開けてグラスいっぱいに注いだ。8:2と泡が少なめに注がれた黄金色に輝くソレを一息で飲み干す。
「ーーッッ!!ッ美味い!!」
口の周りについた泡を腕で豪快に拭うと、残るピザに手を伸ばした。
「今年のトマトは一段と甘いな!ズッキーニもナスもジューシーでチーズと絡んでとろけて美味い。このピーマンもパリッと良いアクセントになってるし、鼻に抜けるバジルの香りも最高ー!こりゃビールが進んじゃうな!!」
真昼間から二杯目のビールを煽りながら、自身の畑を満足げに眺めた。
彼、福畑 柃は祖父が残した田舎の土地で趣味の家庭菜園と料理を楽しんでいた。
この土地に移り住んだのは10年前の23歳の時。
高校を卒業した後、住み慣れた田舎を離れ仕事を求めて都会に移り住んだ。元々食べることが好きだったこともあり料理人として働いていた店に、田舎で一人暮らしをしていた祖父が亡くなったと報せが入った。
祖父と仲の良かった隣人の爺さん曰く、前日まで『歳のせいで身体がうまく動かない』なんて笑ってボヤキならがも、畑を耕していたのに翌朝訪ねてみると布団の中でぽっくりと亡くなっていたそうだ。
まさに、ぴんぴんころり。働き者だった祖父らしい最後だと思った。
父と母は早くに亡くなっており、肉親は父方の叔父と柃だけだった。
「母屋と畑を管理できる者がいないの土地を売りに出そうと思う」
すでに遠方で世帯を持って暮らしていた叔父にそう言われた時、すぐさま自分が田舎に戻って土地を継ぐと手を挙げた。
祖父の残した土地に戻ろうと思ったのは、仕事をしているうちに自分で収穫した野菜や果物で料理をしてみたくなったのもあるが、大好きだった祖父をひとりぼっちで逝かせてしまったことへの罪滅ぼしもあった。
畑仕事なんて子供の時の手伝い以外したことのない柃に、お前があの広い土地の管理なんて出来るわけないと叔父たちは大反対したが、頑固な性格の柃は一切引かなかった。
「まぁ、なんとかなるでしょ」
季節が夏になる頃、そんな軽い気持ちで移り住んで絶句した。
祖父が亡くなってから、移り住むまでの間手入れされていなかった庭は雑草まみれ。冬の大雪の影響だろうか、枝か折れたり倒木したまま手がつけられていない樹木があっちこっちにあった。
畑を耕して野菜を作ろうにも、土作りの勝手がわからない。隣人にやり方を聞きに言ったが、今から土作りをしても野菜の植え付けに間に合わないだろうと言われた。
唯一、祖父が死ぬ間際に耕してくれていた箇所に、初心者でも簡単に育てられるというトマトとナスとピーマンときゅうりを植え付けた。
「あれから10年か。俺もだいぶ成長したなー」
ビールと共に氷水の中で冷やしておいた大ぶりのトマトにガブリと齧り付く。
「最初の年に植えたトマトとナスは病気が入ってほとんどダメになっちまったし、ピーマンは枯れちまうし、唯一上手くできたきゅうりばっかり食べてたもんな」
一年目の畑が散々だった事で柃の負けず嫌い魂に火がつき、雪の降る冬の間ネットで畑仕事に関する情報を頭に叩き込んだ。
地域の爺さん婆さんにも田舎暮らしの色々なことを教えてもらったおかげで段々と畑仕事に余裕が出たのは3年目のこと。
ピザ窯を作ったり癒しのスペースを作ったり季節の花々を植えたり、ここが柃の理想の形に近づいたのは、移り住んでから4年目の事だった。
今では近所の山に登って季節の山菜や果実を収穫したりして趣味を満喫していた。
今年たわわに実ったブルーベリーで作ったデザートのタルトにフォークを入れる。一口食べると甘酸っぱいブルーベリーが口の中でぷちんと弾けた。
「それにしても、焼くとパンになる実に、カスタードクリームやチョコレートプリンみたいなフルーツ!!うわーっ!!!考えただけでワクワクする!!」
タルトを食べ終えた柃は、スマホの画面を凝視しながら、そこに映る未だ食べたことのない南国の果物たちの味を想像してごくりと喉を鳴らした。
元々作ることも食べることも大好きな彼の一番の好物はフルーツだった。畑でも、ブルーベリーにプラムに桃、梨に葡萄にいちじくなど果樹園かと見間違うほどの果物を育てていた。中でも、未だ食べたことのない南国のフルーツは彼にとって憧れのものだった。
自身で育てられないか何度もネットで調べてはみたが、柃の住んでいる土地は、冬になれば2メートルもの積雪を記録する様な豪雪地帯で、ビニールハウスが潰れたという被害もしょっちゅうだ。柃とも言えど、耐寒性のない南国のフルーツはどうしても育てることができなかったのだ。
なので、南国フルーツを時々スマホで調べてはいつか食べてみたいと想いを馳せていた。
「そういや、昼間も食い終わったしこれ綺麗にしなきゃな」
柃は椅子の背もたれにかけてあった古びた鞄に目をやった。
それは先程、母屋の押し入れの中で見つけたものだった。
黒の小ぶりのショルダーバッグだ。少し横長の鞄で、表面の真ん中辺りにもサブポケット用のファスナーが横一直線に
ついているデザインの物だった。
先日、剪定鋏などを入れて持ち歩いていたツールバッグが壊れてしまったので、新しいものを買うまでに代わりとして使おうと思って持ってきたのだ。
タルトを食べ終えると、席を立ち上半身だけ脱いでいたつなぎの作業着を着直した。
鞄についた表面の埃を首にかけていたタオルでサッとはらう。
さっさと中も綺麗にして午後の仕事に取り掛かろうと、被せを持ち上げた時、柃の動きがぴたりと止まった。
鞄の中が真っ暗なのだ。
決して黒く汚れている訳ではない。
それはまるで漆黒に染まる深い闇のような。
「なんだぁ?コレ?」
鞄の中をじっと覗き込んでいだその時だった。
鞄の表面、サブポケットの上辺りにまるで閉じていた瞼を開くかの様に目玉が2つ現れたのだ。
ぎょろり動いた目玉と柃の視線が合う。
「!?」
ぎょっとして、思わず鞄を投げ捨てるが、次の瞬間さらに目を疑う光景を目にする。
投げ捨てたはずの鞄がまるで生き物の様にむくりと起き上ると、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねているではないか。ショルダーストラップが真ん中で2本に分かれて、まるで腕の様になっている。
直後、シュッ!!!っという風を切るような音と共に、分かれたショルダーストラップがまるで触手のように伸びて柃の横を掠めた。
「ーーッ?!」
声にならない恐怖で思わず腰を抜かした柃に、目にまとまらぬ速さでストラップが絡みつく。
柃と柃の周りにあった物も果樹も建物でさえも絡め取り、己の中に引きずり込もうとしていた。
まるで捕らえた獲物を口に運ぶ捕食生物の様に、サブポケットのファスナーがぱかっと開いている。
「誰かッ!!ッタすけテッ!ばッ、化け物に喰われるぅッ!!!⋯⋯ッ!!」
首根っこを捕まえられたネコのように暴れる柃の抵抗も虚しく、大きく開いたサブポケットの中に絡め取った全てと一緒に放り込まれてしまった。
世界からその場所だけ切り取られたような漆黒の空間で、ぴょんぴょんと跳ねる鞄が一つ。
それはしばらくその場で跳ねていたが『ゲッフゥー』と盛大なゲップを漏らした後、今度はまるで自分を飲み込むかの様にぐるんと裏返る。
鞄の内側にあった暗闇が表にくるとそこにあるのは、何もない漆黒の空間だけ。
世界が傷を塞ぐかの様に漆黒は徐々に小さくなる。
柃がいたはずの場所は、まるでその場所に元から存在していなかったかのように、世界から跡形もなく消えていた。