第十八項 忘却のラビリンスに差す、一条の光
筆者は自身のクズ性を暴露してまでツインテールの解明に体を張る。体を張るというより、ただ単にいろんなところに敵を作ってるだけのような気もしなくもないが。とまれ、筆者の志は世界中の糾弾を受けてなお、ツインテールの存在意義を証明し、新たな地平を開拓するまで止まることはない。蝦夷地に新国家を求めた旧幕府軍のように。その旗艦、開陽が不幸にも嵐で沈没したなどとは言ってはいけない。
筆者がどうしようもないクズである事実はさておき、この、親が我が子をツインテールにする、という前提を許容しなければ次の説が成り立たなくなる。
そう。第三の説は、ツインテール英才教育説! である。
親が幸せアピールのためかインスタ映えのためかは知らないが、とにかく娘をお出かけの度にツインテールにする。そして女の子は成長と共に自我が芽生え、ああ、これが私のよそいき用の髪型なんだわ、と、思い込むようになる。やがて自分からツインテールにし始めるようになったらしめたもの。ツインテールが大好きで仕方ないクズな父親大喜びのツインテール幼女の誕生である。ちなみに父親をクズ呼ばわりしたのには特に深い意味はなく、ただの勝手な思い込みなので気にしないでほしい。
これで第一段階クリアだ。これならば作中に父親クズ設定を入れれば遠慮会釈なくツインテール少女を無理なく登場させられる。
が! 少し考えて、この説もまたとんでもない無理があることに気付いた。幼女の頃はそれでもいいだろう。だが小学生になる頃には自分が少し浮いてる事に嫌でも気付きそうなものである。周りのコはみんなショートカットなのに一人だけツインテール。幼稚園で同じツインテールにしていた友達まで髪を下ろしている! しかも勝手に男子に媚を売る腹黒いうえ安い女の烙印を押されてしまうのである。ここで初めて自分は騙されていた事実に少女は気付くはずだ。ツインテールはよそいき用の髪型でもなんでもなく、ただ、愛玩動物でも着飾るような親のエゴにつき合わされていた事実を、よりによって小学一年生の入学式の日に突きつけられるわけである。
これは大変なトラウマである。ひどい! 二人してずっと騙してたのね! パパもママもキライ! もう一生ツインテールなんかしない! とばかりに少女は髪を切り落とし、親子の間に修復不可能な溝ができる。そうして夫婦の間にも微妙な亀裂を生じさせ、やがて家庭は三年後に崩壊する……。どうやらこのツインテール英才教育は相応のリスクを伴う危険性を孕んでいるようだ。洗脳は一見便利だが、当人の潜在意識に大きな負荷をかける。それが切れた時の反動は計り知れない。
これで第三の説も水泡に帰した。途中まではイケると思ったのだが、やはり現実の壁は途方もなく分厚く高い。
しかし! 筆者は転んでも決してタダでは起きぬドケチ野郎だ。この説の中に思わぬ副産物があったことを見落としてはいない!
それは、成長過程でツインテールは親にやってもらう、というもの。
この設定を踏襲すればツインテールイコールお嬢様の説明がつく。あの面倒な髪形は自分でやるのは確かに厳しい。が、召使やメイドにやらせれば何の問題もない。それどころかツインテールこそお金持ちのステータス、という記号になりうるのである。
そうなれば後は簡単。お嬢様キャラは清楚で優しい心の持ち主である小公女タイプと、鼻持ちならないタカビー女の二つに大別される。小公女タイプは言うまでもなくヒロインを地で行ってるので黒髪ストレートだ。そしてその対極にあるタカビータイプは否応なく金髪ツインテールに確定なのである。完璧!
自らの導き出した一分の隙もないツインテールタカビー理論に思わずうっとりしてしまった。この理論がベースになっているのなら、ツインテールが勝気で活発、しかもメインヒロインに対抗する立ち位置というのも説明できてしまう。仮説に過ぎないが、ルーツは小公女的物語にあった可能性が極めて高い。




