孔子とウィトゲンシュタイン
孔子とウィトゲンシュタインの哲学の間には直接関わりはない。しかし、二人の生涯は常に二つのものの間で動揺していた。二人の偉大な思想家は、その動揺から、自らのエネルギーを引き出した。この文章ではそういう風に考える。もちろん、自分は研究者ではないので、ただのエッセイとして書く。
自分の話を先にするが、最近、非常に賢い、優れた人物をネット上で見つけて、その人の言葉をずっと読んでいた。迷惑になっても嫌だから、名前は上げないが、歴史や文学の事など、非常に勉強になった。
しかし読んでいて、微かに違和感を持ったのはこの人物が「潔すぎる」という所にある。その語り口、結論があまりにも潔い、という事に疑問を感じた。この人物は確定した一つの結論を持っており、それは彼の脳内で、膨大な情報を抜けて現れ出てきた一つの確定された答えである。この人物の口ぶり、その断言する姿勢に、自分は違和感を感じたのだった。
では、潔いという事の何に問題があるのか。潔いという事に疑問を感じるのは何故なのかという風に考えた時、自分の中で孔子とウィトゲンシュタインの二人が頭に浮かんだ。二人は求道者だった。ウィトゲンシュタインは自殺願望をずっと持っていた。しかし、自殺しなかった。孔子は政治家として世の中の役に立ちたかった。政治家になった時もあったが、政治家としては失敗し、弟子と共に旅する段階に入る。孔子という人は迷った人であり、ウィトゲンシュタインも迷った人だった。後述するが、ウィトゲンシュタインは、「哲学など必要無い」という哲学を最初に打ち立て、哲学を捨てて生活に埋没するが、また哲学に戻ってくる。ウィトゲンシュタインは哲学と人生の間を揺れた人生を送った。孔子は、政治家と隠遁者の二つの間を揺れ動いていた。僕はそこに、彼らが自分という矛盾から「逃げなかった」偉大さを見たい。そこに彼らの魅力を見たい。
評論家の中井正一は孔子について、次のように書いている。
「この世を正しくすることがはたして可能であるかどうか、または不可能であるか。これを命題として問うならば。それはいわゆるアンチノミーを構成するであろう。しかし、孔子では行動として、可能と不可能の間を行きつ戻りつすることは、正しさとか正しくないとかを越えて、一つの連続した喘ぎであったとしか考えられない。第三者より見て愚とも狂とも思われる、みじめな蹌踉たる歩みであったであろう。」
(中井正一 「感嘆詞のある思想」)
孔子という人は、世の中を良くする事を夢見ていた。その為には実践が常に大切だと考えていたにも関わらず、大して実践できなかった。その「できない」という嘆きが、彼の思想を豊かにしている。しかし、思想なるものを豊かにする為に、わざと嘆いて見せたらそれは何の意味もない。
孔子の言葉にあるように、天下に道理があれば立身出世し、なければ隠遁生活に入るとは、言葉の上では単純だ。しかし、孔子自身はそう割り切れなかった。彼には一つの答えはなく、あるいはあってもそれは求めて得られないものであり、始終呻き続けた一老人に過ぎなかった。しかし、死ぬまで(不可能なものを)求め続けたという事に孔子の偉大さがあると思う。
ウィトゲンシュタインもまた常に動揺していて、彼は哲学を捨てて、生きる事のみをその全てにしようとするが、また後から哲学に戻ってくる。
「論理哲学論考」は確かに美しい書物であり、断言的な口調、この世の真理を全て蹴飛ばすという姿勢が今も若い人間を引きつける。語りうるものの境界を論理学の考察から決めて、語り得ないものはただ生きる他ない。ウィトゲンシュタインは一冊の本によってその境界を決め、後はただ「生きる」事にした。そこには、明快な真理がある。しかし、十年経ってウィトゲンシュタインは哲学の世界に舞い戻ってくる。「論理哲学論考」は修正される。
アルチュール・ランボーは、ウィトゲンシュタインとは違い「地獄の季節」という絶縁の書を書いて本当に世界を捨てた。「俺は架空のオペラとなった」 世界を捨てた自分のみがもう一人の自分を見る事ができる。死が迫っていた芥川はドッペルゲンガーを見たが、それは彼の生きた姿がもう世界から離れていたからである。人は世界から離れ、幽体のような存在となると、虚空にもう一人の自分を見る。世界の中でまだかろうじて呼吸している自己と、そこから離れている自己。二つの自己が一つの視線で結び合わされる。その時、世界は既に遠い。日常のざわめきは消えている。
ランボーは世界を捨て、若くして死に、芥川は自殺した。一方でウィトゲンシュタインは哲学に回帰してきた。それは単なる偶然だったかもしれない。しかし、彼の哲学における厳正さは、彼の生における厳正さとは重ならない。ウィトゲンシュタイン本人は哲学と生との間で揺れ続けた。彼の哲学の中で「語りうるもの」「語りえないもの」の二分法で考えられていたものは、彼の生そのものを矛盾と葛藤に満ちたものにした。しかし、ウィトゲンシュタインはそれを一つに決めなかった。あるいは、決めたと思ったら、もう一つの答えが彼の手に返ってきた。
生そのものを一つの答えに引き絞るならば、そこに疑問や悩みが消える事となる。そこでは全てが救済される。しかし、逡巡しつつも道を求めるならば、苦悩と葛藤が現れる。この苦悩と葛藤は他人の目には単なる曖昧、矛盾、自己決定の不足としか見えないかもしれない。孔子は門衛にこう言われている。
「これその不可なることを知りて、これをなす者か」
(「ははあ、時勢に勝てないとわかっていながら、ムダ骨折らなきゃ気がすまぬあのごじんだね」)
(「感嘆詞のある思想」より)
ここには、いわば風車に向かうドン・キホーテ的な姿勢が現れている。人間が自分の中の矛盾に対しても「止揚」のような一元的な答えを出さず、あえてその矛盾に腰を下ろし、つまりは神にも獣にもなれぬ矛盾した人間として生きていく事、そこからウィトゲンシュタインや孔子は強大なエネルギーを引き出したと考える。そうした生き方は、一つの概念、解答を自己に与える生き方よりも偉大であると自分は考えたい。人は答えを求めるが、求められない答えを求める事に偉大さがある。しかし、「求められない答えを求める事が答えだ」とはっきり言明すればそれはまた一元論に帰る。ここに、ニュアンスが生まれる。文体が生まれる。俗人が「わかりやすく言え」と言っても、断固として自分の面倒な文体を貫かなければならない理由がある。
思えば、小林秀雄はドストエフスキーを「矛盾の中にじっと腰を下ろした人」と評していた。人間が悩んだり、葛藤するのは生きていて当然の事だろう。しかし、それを「悩んでいるからいいのだ」と言えばそれはもう一つの答えとなる。答えを求めつつも、明快な答えにたどり着いたならば、すぐにそれを疑い、否定し、前へ進もうとする事。その地点で言葉はねじれ、単純ではないものとなる。文体は歪み、思考は複雑化する。それは答えが出せないからではなく、答えの先に行こうとするからだ。こうした場所で孔子もウィトゲンシュタインも鈍い歩みを続けた。そうした事が二人の姿を巨大なものにした。僕は、優れた思考の一刀両断よりも、その地点に粘り強くしがみつく事の方が重要と考える。しかし、僕がこのように言えば、これを一つの答えと人は取るだろう。だから、この先も、言葉は続かなければならない。「維摩経」も「論理哲学論考」も、その結論は沈黙であったが、その先には必ず言葉がある。そして言葉の先には沈黙がある。そして……沈黙の先にはまた言葉があるだろう。孔子とウィトゲンシュタインの二人は死が来るまで自身の鈍い歩みを続けたのだった。




