悟りの書 一冊目
正直、似たような設定を見た事あったような気がする。
始まって早々申し訳ないのだが、彼は死んだ。
ただ勘違いしないでほしい。彼がこれから異世界に転生する予定は無い。
未だかつてないビッグウェーブだからと言って、流行りに乗っかると言うのは些か芸がないと言うものだ。
異世界転生もの執筆者と、メタ発言を親の仇のように嫌う層を適度に刺激したところで話を戻そう。
もう一度言うが、彼は死んでしまったのだ。
しかし、彼は冷静であった。
死んでいるのに冷静とはこれ如何に?
浴室。出しっぱなしのシャワー。彼の死体。それを見下ろす彼だった二十一グラム。
そう、彼はいわゆる、幽霊になったのだ。
なんと斬新なアイデアか。まさか、いきなり主人公が死に幽霊になると言う発想。
天才のソレに違いない。
適度に自画自賛し満足したので話を続けよう。
何故、彼は冷静なのか。
それは彼の死因。
もったいぶるのもアレなので、この際ハッキリ言うが、情けない事に、テクノブレイクである。
死因がテクノブレイクだからと言って、自らの死を目の当たりにして、冷静でいられる筈がないだって?
お前は女か。
死因がテクノブレイクだからこそ、冷静でいられたんだろうが。
脳が死を選ぶほどの快感。
そして、その後訪れるモノと言ったら、空前絶後の賢者タイムしかないだろう?
冷静にならざるをえんのだ。
ちなみに、テクノブレイクは快感で死ぬ訳じゃないとか正論言う奴はセンスないからな。気をつけろよ。
少なくとも、夜が明ければ、家族の誰かが彼を発見するだろう。
それだけは、何としても避けなければ……。
しかし、どうすれば良いのか?
もろもろを処理しようにも、身体がすり抜けてしまって、物体に触れることが出来ない。
「さて、この状況、どうしたものか。」
「そうですねー。一応、オプションで黒歴史処理ってのがありますけど、お一人様、処理対象は一つまでとさせていただいております。 」
彼の隣に、突如として現れた謎の少女。
だからと言って、やはり彼は動じることはなく、冷静に少女を観察し、自分なりに分析を試みる。
牛や山羊と言ったところか。角のある草食獣の頭蓋骨を仮面のように被り、一部の狂信者に邪道だと罵られてしまいそうな、やたらと裾丈の短い振袖に身をつつみ、脚の長い一本下駄にもかかわらず、全くふらつくことなく、彼の視線のやや下から彼を見上げるように見つめている。
「どうしますか? 変態さん。」
「ど、どうするって……。」
「あー、携帯ですか? それとも、パソコンですか? この状況よりも隠したい事があるなんて、さすが変態さん! すごいですね! 」
冷静とは言え、彼は死んだのだ。いきなりどうするかと言われても困る。考える時間が欲しい。
だがそんな事よりも、今の彼には早急に訂正しなくてはならない重要な事柄がある。
「ちょっと待ってくれ。君が何者かはともかくとして、一ついいかな? 」
「はい、何でしょう? 」
「僕は変態じゃあない。」
「あー、大丈夫ですよ? よういうの。慣れてますんで。 」
仮面から、わずかに覗く彼女の口元は、微笑んでいるようだったが、憐れみを湛えていた。
「いや、そうじゃなくて……。」
「最近多いんですよ。でも、しょうがないですよね。変態とは言え男の子ですもんね。」
「その、ナースもののアダルトDVDみたいに慰めるのやめてよ。」
「え? 変態さんって意外と普通のご趣味なんですね。」
恐ろしく話が嚙み合わない。
生前の彼なら思わず声を荒げてしまっていたかもしれないが、現在の彼のクラスは幽霊賢者。冷静さはA+。聞きたい事は山ほどあるのだ。訂正を諦め、状況を進める。
「ところで、君は一体……? 」
「んふふー。気になっちゃいます? 私のことー、気になっちゃいますー? 」
なぜか、彼女は赤らめた頬に手を当て身体をよじる。
「気にならない方がおかしいだろう? 」
「やけに冷静ですけど、それ、普通最初に質問しませんか? 」
唐突に辛辣。
しかし、彼は冷静だった。冷静だったからこそ、冷静に考えた結果、とりあえず彼女を殴ってみた。死んで間もなくだったが、拳に伝わる感触が懐かしく感じた。
「おお!? 当たった当たった。」
「ちょっとー! いきなり女の子殴るなんて、どんな特殊性癖持ちなんですか! 」
復帰モーションの速い彼女は、頬を擦りながら涙目で詰め寄る。
自分の話を聞いているのか聞いていないのか。どちらでも構わないが、おちょくっているのだとしたら、もう一発はやむを得ないと考えつつ、彼は上っ面で謝罪する。
「ごめんごめん。それで、君は一体何者なの? 」
「んふふー。教えて欲しいですかー? 」
彼女はしたり顔でニヤつく。彼は若干の苛立ちを覚えるも、それを抑え、冷静につとめる。
「あ、ああ。是非教えて欲しいな。」
「えー? どうしましょーかねー。」
「頼むよ。この通り。」
彼は渋々頭を下げた。
「テクノブレイクで死ぬような変態さんには教えたくありません。」
それはまさに閃光。
彼の右ストレートが、彼女の意識を完全に刈り取った。
ありがとうございました!