痛い。
薬をね。飲み忘れていたんですよ。
何かに没頭すると、つい忘れてしまうんです。朝に飲む分と、夜に飲む分。薬の内容は同じじゃないんですよ。夜の方が一種類多いんです。
他にも、曜日によって決められた、特別な薬なんてのもあるんですけど、これもまたうっかりしてると忘れてしまうんです。
――おや、気付くと木曜日が終っていたよ……じゃあ木曜の薬を金曜に飲むことになるなぁ。そうすると、土曜と日曜に飲む薬が、日曜と月曜になってしまう。
こんなことを繰り返していると、どうしても飲まなければいけない重要な薬は、日がずれてもどうにかして飲むんですが、一回くらい飲まなくても平気な薬などは、ついつい飛ばしてしまったりするんですよね。
そうこうして、徐々に溜まって行くのがこれらなのです。
「こりゃぁ随分溜まってるねえ。これをどうしようっていうんです?」
この辺りの薬はね、溜まってても断われないんですよね。「きちんと飲まなかっただろう」と叱られるのが嫌なんですよ。対価を払ってるのはこちらなんだから、更に叱られるってのも変な話だと思うんですが。
つまり、こちらはお客様じゃないですか。客の要望に応えるのが店の役割でしょうに、反対に、客を叱る店ってのはどういうことなのかと。
いや、叱られたい趣味の人は叱られていればいいんですが、私はそんなこと望んでませんからねえ。
ああ、この薬は、別に他の人が飲んだって構わないものなんですがね。むしろ、健康な人でもこの薬を積極的に摂取するくらいなもんで。
そうそう、子を宿してる母親なんかもそうですね。積極的に。
とりあえず、昨日も一昨日も薬を飲み忘れてしまいましたからねえ……今日も忘れかけて。そうそう、今日は朝に飲む分を夕方に飲んだんですよ。そしたら、夜に飲む分はどうしたらいいのか、っていう話ですよね。
大抵はまた忘れてしまったり、寝る直前になって思い出して、間隔がちょっと短いけど、飲まないよりはましかなぁ、と思いながら飲むかのどちらかですね。
うん、飲まないとね、痛いんですよ。
「痛い?」
飲まないと痛い。重い物を物を持つと痛い。軽い物を持つのも痛い。
扉を開けると痛い。蓋を開けるのも痛い。長時間歩くのも痛い。
少し酷いと、物を持てぬほど痛い。蓋を開けられず痛い。
もっと酷くなると、動かすと痛い。立つのも痛い。
更に酷くなると、寝たり起きたりでも痛い。
しまいには、何もしてないのに痛い。
痛み止めを飲んでるのに痛い。
痛いんですよ。
「痛いんですか……」
痛いんですけどね、あまりにも私が痛い痛いと言うもので、家の者からは「うるさいよ」という感じで鬱陶しがられてしまうんですね。
だから、多少痛くても何も言わない。そうすると今度は調子がいいもんだと思われる。
いや、痛いけど言わないだけで、今は重い物が持てないから、と、そういう仕事を断ったり他の者に頼んだりすると、「こんなことも自分でできないなんて」と文句を言われる。
できないんですよ。いや、できるかもしれない。痛いけど。
でも、できたとしても、明日は余計に痛くなるんですよ。そこがねえ、なかなか理解されないところで。
「痛いなら痛いって言えばいいんじゃないでしょうか。痛いのに痛いと言えないのって、酷くないですか?」
でもそうするとねえ……必ず「うるさい」って言われるんですよ。まぁ、痛いといっても逆に痛くないことはないので、多少の痛みなら慣れてしまっているのかも知れないのですけどね。
「それでも、痛いなら痛いと言うべきでしょう。痛みに慣れてしまうなんて、自分には考えられない」
割とね、いつの間にか慣れてしまうもんですよ。だからひょっとしたら、この痛みを知らない人に、ひょいっと同じだけの痛みを与えたら、その辺を転げ回ってのたうち回るんじゃないのかなあ、なんて考えることもあるんですけどね。
「それは相当な痛みですね」
ええ、そうかも知れません。
「ところで、今も痛いのでしょうか」
痛いですね……
* * *
「どうですか? 先生」
その女性は不安げな表情でわたしを見た。
「なんとも言えませんねえ……開けてみないことには」
「そんな……でも、開けてしまったら……」
「ええ、そりゃ開けてしまったら、どうしても跡が残りますのでね。できれば開けないのが理想です」
わたしはカルテをめくりながら女性に説明する。カルテには様々な検査の結果や、先ほどの聞き取りの記録も合わせて閉じてある。
「問題は『痛み』なんですよねえ」
わたしは腕を組んで、つい考え込む。女性も同じようなポーズを取り、二人揃ってうーん、と唸ってしまった。
「家族も、彼も、痛みさえなくなれば、と思っているのですが。どうしても痛いらしいんです」
* * *
「わたしたちのように手術済みの身体なら、そりゃあ、たまには生身の部分と接触してるパーツが適応しなかった時などに、痛みを感じたりしますが」
わたしは再度『彼』のカルテに目を通す。
「でも彼は、純粋なロボットでしょう?」
「そうなんですよ。最近の若い人の中には、脳だけ自前、なんていうお洒落な人もいますけど、彼は純粋な機械なんです。だから困ってるんです」
「不思議なこともあるもんですねえ……痛いなんて」と、わたしは自分の『手』を見ながらつぶやく。
最近換装したこの義手は、ちょい書き用のペンから手術用のレーザーメスまで組み込まれている。
医者専用のもので、しかも最新型だ。換装後三分ほどで慣らしを始めたが、それから今日までの三ヶ月間、一度も痛みなど感じたことはなかった。
これであと九十九年はローンに苦しまなければならないが、業績を上げれば半分の五十年で完済できるだろう。
まあこの義手の保証期間は五百年あるので、その間にアップデートがあっても無償交換してもらえる。ローンを完済してからもしばらくは最前線で活躍できることだろう。
「やはり開けなければいけませんかね……折角きれいな人工皮膚を使用した身体にしたのに」
彼とお揃いにするために自身も新調したのだろう、鮮やかなパープルの人工皮膚を身にまとった女性は、そのきれいな顔を困惑のためにゆがませた。
「では、これからは彼の脳の検査をしましょうか……ルーティンを『忘れる』というのも、本来ならあり得ないことですからね。最悪、メモリーだけ丸ごと新規の脳に移植することになる場合のお見積も――」
わたしは改めて説明をしながら、女性を診察室へ招き入れる。
ロボットの全身に人間用の人工皮膚や、滑らかな表情付き顔パーツを惜しみなく使えるだけの経済力はあるのだから、ここは是非、じっくりと話し合って解決策を見つけるとしよう――わたしのローン完済のために。