ピアニスト志望の俺と頑固親父
「お父さん、一生のお願いです」
俺は、土下座をした。父は、ソファーに座ったまま、目を閉じている。少しかは望みありか。
が、はかない希望も、次の一言で消えた。
「駄目だ!金はだせん。お前はピアニストになるというが、ああいう職業はつぶしが効かないもんだ。今は人気が出てチヤホヤされてるが、飽きられたとき、どうやって生きていく?だいたいお前は、10歳の時からピアノばかりで勉強しなかった。受験から逃げてただけだ。」
頑固親父の信念は、前と変わらない。石よりも硬い。俺のほうを、見ようともしない。
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俺は、修行中のピアニストの卵だ。10歳の時からピアノを真剣に練習するようになり、高校3年の時、毎日音楽コンクールに出場。なんと優勝出来た。
俺は意識しなかったけど、かなり型破りだったらしい。驚きをもって報道され、ピアノ専門雑誌にも取り上げられた。俺、生野拓也は、音大を目指す受験生でもなく、ピアノを始めたのも、その遅さで記録更新。ファンクラブのあるようだけど、俺はまだプロじゃない。
コンクールで優勝のあと、審査員のフランス人のアンリ・デュトワ先生が、フランス高等音楽院への入学を、俺に勧めてくれた。ピアニストで世界の第一線をはしるデュトワ先生は、音楽院の教授もされていて、俺を指導してみたいと言ってくれた。
俺は留学することに決めたが、親父が猛反対。留学資金は一円も出してもらえなかった。母さんは、仕方ないという態度で、とりあえず、渡航費用だけは出してくれ、入学試験を受け合格した。
正直、入学試験より、フランス語検定3級をとる方が、ずっと俺には難しかったけど。
俺は返済不要の奨学金を受けて、この3年間、奨学金だけのきりつめてギリギリの生活。
その間、実家からの援助は一切なし。その大事な命の綱、奨学金が、今度、期間満了で切られる。後2年、学院で学ばないと、卒業資格はもらえない。それで、お金をやりくりして、旭川の実家に援助のお願いにきている。結果は予想できたけど、親父があそこまで頑固だとは。コンクール優勝も難関のパリ高等音楽院への入学も、親父には、”俺が逃げてる”としか思えないんだ。
で、玉砕した。母さんのほうは、”私、パートの時間を増やすから、少しなら仕送りできるから”と言ってくれた。弟にいたっては”父さん、兄ちゃん、頭悪いからさ、もう、とりかえしつかないよ”と、微妙な応援してくれた。ありがとな。
留学資金といっても、実際は”生活費”がほとんど。大学の学費は年間410ユーロ、だいたい日本円で5万くらい?問題は生活費のほう。食費はなんとかなったが、家賃が高い。
後、2年で卒業できるんだ。本当はそのあと、3年勉強することができるが。今のままで学校をやめてしまったら、卒業資格がとれない。なにより、俺はアンリ先生のところでもっと勉強したいんだ。
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今日は、高校時代の友達と居酒屋で飲み会。
音大付属の高校とかではなく、普通の高校。楽しかった。生徒会で学校祭の企画を考えたり、部活同士の調整役をかってでたり。飲み会は高校の時の話しで盛り上がった。でも、俺は心から楽しめなかった。俺は”学校を続けられるだろうか”と。まとまってお金をてにいれる機会があったことはあった。去年、地元のプロ・オケから共演の話が来たんだ。でも、アンリ先生に反対された。
”コンサート出演は早すぎます。あなたは、まだ何もわかってません。ちゃんと勉強しておかないと、後で行き詰まります。”
「生野、お前、よっぽど困ってるんだな」
そう菅井に声をかけられ、ハっとした。居酒屋での帰り、方向が同じの菅井と歩いてたんだっけ。大親友の菅井には、俺の知らない”俺”が見えてるらしい。
「そう、頼みの綱の奨学金が切れたんだ。あと、2年は勉強したいのに」
お金がなければ生活できない。生活のためバイトすれば、練習・勉強の時間がとれない。3年学んだけど、フランス語がネイティゥなみに使えないので、授業でおいて行かれる。わからない事は、あとで自習してとりかえさないといけない。レッスンのための練習にも時間を使う。
「生野は普段、前向きで明るくしてるけど、悩んでるときは無表情になるから、すぐわかる。どうしようもなくなる前に、相談してくれ。少しかは力になれるかもしれない」
夏の夜の繁華街で、菅井のところだけ、静かで涼しい風が吹いているような気分だった。
「サンキューな。菅井、他に手はないかもう少しあがいてみる」
俺は笑ったつもりが、苦笑いになったようだ。菅井が眉根を寄せてるが、それ以上は聞いてこなかった。この距離感が俺には心地よかった。
あの頑固おやじも、もう少し、俺の言うことに耳を貸してくれたっていいものを。
弟の拓海は、地元の大学に入ったから、学費は出したのだろう。拓海は俺と違い、小さいころから医者になるのが夢で、そのために努力してのは、わかる。でも、”考えが違う”だけで、俺はいまだに反対されてる。
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菅井と別れ、俺は考えながら、繁華街のおしまいまで来た。
喧噪の中で、覚えのある声が、俺の耳に入ってきた。
「やあ、よろしくお願いしますよ。有坂専務。うちの社も今回の仕事、是非,やらせてほしいんです。」
「生野さんでしたっけ。今日は楽しかったけれど、仕事は仕事で私は別の考えがありますので」
「はい、今日は私たちも楽しかったです。有坂専務は話し上手ですね」
「それにしても、専務の隣にいたマイちゃん、かわいかったですね。うらやましいですよ」
俺は気ずかれないよう、横道にそれた。あの専務だかに、コビコビの言葉で取り入ってるのが、うちの親父だ。専務はクールなようだったけど、うちの親父とその部下らしき若い人の、おべんちゃらに、まんざらでもなさそうだった。
これが、世に言う”接待”ってやつか。なんだかガッカリだ。親父。会社では”超かるい太鼓持ち”ってやつじゃん。家では偉そうにぶってるくせに。
親父のあとを、俺は後ろからついていく形になった。親父ってあんなに背中が丸かったっけ?いや、家にるときは、もっとシャンとしてるんじゃなかったっけ。時々、よたってる。ああもう、見てられない。
俺はすぐ追いつき、タクシーを拾って家に帰った。親父を載せて。
家についたら、親父は、だらしなく玄関で大の字になった。ちなみに車の中では寝ていた。あの、コビコビ接待の時は、明るくいきいきしてたけど、あっちが演技か?
「お父さん、こんな処で寝るんじゃありません、ほら、拓也。手伝って。お父さんを寝室に運ぶから」
俺と母さんに両肩をささえられ、やっと寝室まで歩く。家について緊張がとれ、急に酔いがまわったとか?親父は一人で立って歩くのも無理。
「ごめん、母さん。今日は自腹接待でした。どうしてもあの仕事をもらわないと、いけないんで、ごめんなさい。拓也、悪かった。タクシー代、あとで払うからな」
そういうなり、ベットにダイブしてそのまま高いびきをかいて、寝てしまった。
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居間で母さんがお茶をいれてくれた。夜のコーヒーはよくないという理由。もう一つの理由は、きっと節約だろう。
「母さん、親父の会社、危ないの?拓海は医大に行ってるんだろ。国立のくせに学費が高いし、用意できたの?ああいう大学って教材もベラボーに高いよ。」
「大丈夫よ、なんとかなった。拓海は奨学金を受けることができたし、今はバイトも少しやってくれてる。父さんの会社は大丈夫なんだけど、会社は人件費節減のため、管理職はボーナス半減、給料も下がったのよ。今回は、洋子に完全に頼ってしまったわ。」
洋子おばさん。母さんの妹で独身。ビザをとるとき、フランスでの生活費1年分の銀行預金残高証明が必要で、一時的にお金を借り、助けてもらった。拓海は、ビザなんてことはないから、おそらく入学金と授業料に借りたのだろう。当然だけど、身内とはいえ、借りたものは返さないといけない。
親父は、お金を出さないし、出せないんだ。
俺は親父のことも頑固で堅物、面白みがない。あの親父があそこまで低姿勢でおべんちゃらをふるなんて、想像すらできなかった
俺はいろいろとわかってないのかも。ただ、ピアノ練習してるだけだった。アンリ先生が俺のラフマニノフを聞いて、”綺麗なだけの薄っぺらい絵”と酷評するわけが、少しだけわかった。奨学金をもらい、学生という身分で、俺はある面、保護されていたんだ。
「母さん、ごめん。こんなときでも俺、やっぱりこのまま勉強を続けたい。俺、何も協力できないけど、迷惑はかけないから。俺の事は、”元々いない”と思って。仕送りはいらない。その分、拓海にまわして。」
「迷惑だなんて、何言ってるの。拓也。正直、何もしてあげられないかもしれないけど、お母さん、拓也のこと、応援してるのよ。実はお父さんもね。これは内緒にしててね。拓也の出てる雑誌とかは、買っておいてあるのよ。ふふ。まあ、お父さんの最後の意地と見栄ってとこかしら」
ベッドで寝てる父さんの顔をシゲシゲと見た時。ふけたな、シワも増えてる。って感じたんだ。顔色もよくなかった。顔色といえば、母さんもよくない。俺は母さんに”無理しないで”と、強く念を押した。
明日、フランスへ帰るって前の日、せめてもの親孝行に、俺は家の窓ふきをした。背の低い母さんには重労働だろう。あとは床のワックスがけ。
さあ、フランスでの生活が待ってる。俺はフランス行きの飛行機の中で、バイトしてなんとかしてみよう、と意志を固めた。そして借りれる奨学金がないかどうか、もう一度調べてはみよう。父さんがあれだけ頑張れるだ。俺も意地でも負けてられない。もちろん本業の勉強も手を抜かないけどね。
短編は、水晶日深夜(木曜日午前1時ごろ)に投稿します。