第89話
アルミルの街の衛兵詰所。その石造りの牢獄の奥に、偽ミブロたちは収容されていた。
その中でもリーダー格の男は、鉄格子に縛られてもなお余裕の笑みを浮かべている。
「本来ならば我々衛兵が尋問を行うところだ」
と、詰所の責任者は言った。
だが、その言葉を切り捨てるように、ギルド長ガンジは低く告げる。
「──尋問はギルドが行う。証拠を消されちゃ元も子もない」
静まり返る場。衛兵たちの間にざわめきが走る。通常なら、捕縛から取り調べまで衛兵の管轄。それを真っ向から冒険者ギルドがするなど前代未聞だった。
「な、何を根拠に……」
「根拠は簡単だ」ガンジの眼光が鋭く光る。
「奴らは“ミブロ”を騙った。依頼の持っていた書状は本物。その上で街の治安を乱したのはコイツだ。ギルドの名を汚した以上、その咎はギルドが直に裁く。文句があるなら、上に訴えろ」
有無を言わせぬ声音に、衛兵たちは押し黙った。
内心では誰もが理解していた。これはただの意地や縄張り争いではない。
ガンジがここまで強硬な態度を取るのは──違和感のせいだった。
偽ミブロが捕らえられたその日のうちに、なぜか「尋問は衛兵が」と強く主張された。
まるで事前に段取りをつけていたかのような速さ。
ガンジの直感が囁く。
──裏がある。下手に衛兵に預ければ、奴らに“知恵”を吹き込む者が現れるかもしれん。
だからこそ、譲れなかった。
橘花のためでもある。仲間の象徴である羽織りを弄んだ連中を、決して逃すわけにはいかない。
牢の中で鎖に繋がれたリーダー格の男が、ガンジの視線を受けて鼻で笑った。
「ふん、ただの田舎ギルドが。俺を尋問したところで何がわかる?」
ガンジは一歩前に出る。その巨体が石牢の影を覆い、男にのしかかる。
「わかるさ。──お前の口が割れるまで、何度でも聞けばな」
低く、重く響いた声に、鉄格子の向こうの囚人たちがざわめきを止めた。
尋問の権利は、すでにギルドが握っている。
ここから先は、男の余裕がどれほど続くかの勝負だ。
ガンジの眼差しは、すでに一歩先を見据えていた。
⸻
尋問の場に橘花の姿はなかった。
それはガンジの判断だった。
橘花は偽ミブロを捕らえても私刑などはしなかった。仲間を想う気持ちを胸の奥にしまい込み、淡々と務めを果たす。だからこそ、ガンジは理解していた。
――同じ人間族がやらかした罪を、種族を越えて守ってくれた恩人に押し付けるわけにはいかない。
尋問は本来、各街の衛兵が執り行うもの。だが今回は、ギルド長である自分の手でやるべきだとガンジは決めた。
見返りもなく街を救い、腐敗した貴族を御して、再びギルドを立て直させてくれた橘花。
そんな人物を貶めるような真似を、絶対に許せなかった。
「橘花は他人のことには怒るくせに、自分のことになると何も言わん」
だからこそ、ガンジが怒る。
橘花が唯一望んだ羽織りの出所――それを必ず吐かせるために。
地下牢の一室。
石牢の中に重苦しい沈黙が落ちていた。
ガンジは鉄格子の中にわざわざ入る。安全な鉄格子越しでは、コイツは落ちないと踏んでだ。
リーダー格の男は繋がれた腕を組み、余裕の笑みを崩さない。
「いくら睨んでも無駄だ。俺は何も知らねぇ」
ガンジは口を閉ざしたまま、ゆっくりと男を見下ろす。
その沈黙は圧力となり、じわじわと男の神経を削いでいった。
やがて、ガンジは低く口を開く。
「……お前ら、衛兵に渡るはずだったんだな」
男の瞳が一瞬だけ揺れた。その細かな変化を、ガンジは見逃さない。
「わざわざ“衛兵が尋問する”と声を上げた。理由は一つ……お前たちを庇う者がいる。知恵を吹き込むための時間稼ぎだろう」
「……っ」
「俺は政治側の人間じゃない。だが、わかるぞ。人間族の醜い縄張り争いぐらいはな」
ガンジの声が低く、鋭く突き刺さる。
「吐け。お前たちを差し向けた奴の名を。ミブロの羽織りを渡した奴の名を──だ」
リーダーの笑みが、ひきつった。
「は、羽織り……? あれが本物だってこと以外のことなんて──」
鉄の灯りが陰鬱に揺れる中、偽ミブロのリーダーは汗をにじませていた。
「もう一度聞くぞ」
ガンジの声は低く、静かだった。
だがその眼光は獣のように鋭い。
「羽織りはどこで手に入れた」
リーダーは口を噤む。しかし壁にガンジの拳が叩きつけられると、石壁が軋み、肩が跳ね上がった。
「……そ、そんなこと聞いてどうするんだ」
「貴様ごときが考えることじゃねぇ。答えろ!」
なおも黙り込む男にガンジは容赦なく言い放つ。
「俺は甘くないぞ。街を救った恩人を貶める真似を、二度とさせはしない」
リーダーの額に冷や汗が浮かぶ。笑おうとした唇が震え、声が裏返った。
「ま、待て……俺だって、好きでやったんじゃねぇ! 金を──金を掴まされただけだ!」
「誰に」
鋭い問いかけ。逃げ場はない。
男はうつむき、奥歯をきしませた後、吐き捨てるように叫んだ。
「……き、旧ミヤコ統括官、エルネスト・ホークだ! 人間族至上を掲げるあの男の命令だ!」
ガンジの目が細められる。
その名は、やはり出てきたか――と。
「ふん……吐かせりゃ早ぇじゃねぇか」
呟きと共に椅子を立ち上がると、背を向けて扉に向かう。
重く冷たい声が石牢を支配する。
この一言が、アルミルと旧ミヤコを揺るがす、次なる火種の始まりだった。




