第85話
昼下がりの市場に、浅葱の羽織がぞろりと並ぶ。
粗野な声が飛び交い、露店の帳簿をひっくり返しては値を吹っ掛け、娘を捕まえては肩を抱き寄せる。街を行き交う人々の表情は硬直し、ただひたすら通り過ぎるのを待つしかなかった。
冒険者ギルド長ガンジは、報告を受けながらも眼差しは冷めていた。
怒りに燃える若い者ならば、すぐさま飛び出して拳を振るったかもしれない。だが、老獅子の血は容易に沸騰しない。ただ、その奥底に煮えたぎる溶岩を抱えている。
(好き勝手しやがる……だが、せいぜい今のうちだ)
ガンジは吐息とともに、確信を胸に抱く。
この街にはすでに「本物」がいる。
五年前の大戦を指揮し、名もなき者たちの犠牲を抱きしめたあのギルド──”ミブロ”の者が。
浅葱の羽織を羽織った偽物たちが、彼の逆鱗に触れぬはずがない。
ガンジはすぐに対策を練り始めた。
集まった古参も若手も、彼の低い声に耳を傾ける。
「よく聞け。街に甚大な被害を出すわけにはいかん。あれらは偽物だが、羽織の色に住民は怯える。直接ぶつかれば混乱は必至だ」
逡巡を浮かべる者もいたが、ガンジの次の言葉に皆の背筋が伸びた。
「だからこそ、証を残す。全てをだ」
彼は棚の奥から箱のような装置を取り出させた。
手のひらサイズに羽根車が畳まれた記録装置。鉄の侵略者がこの世界を襲う前にあった技術を応用した撮影装置──今の冒険者達にとっては不可欠な映像記録用の道具だ。
「ひと班に一つ、必ず持て。あれらの行動を余すことなく記録しろ。連中は治安維持の依頼を受けていると抜かしていたな? ならば、こちらは治安を乱す現行犯として、動かぬ証を突きつけてやればいい」
冒険者達は一斉に頷いた。
装置を携えて散開する姿を見送りながら、ガンジは拳を握る。
(絶対に許さん……)
低く呟いたその言葉は、誰に聞かせるでもない。
街を恐怖に沈める者たちへの憤りであると同時に──五年前、災厄のただ中で彼らを救ってくれた名もなき武士たちへの誓いでもあった。
人間族ですら混乱に溺れていた時代に、他種族でありながら街を守れと告げ、誰一人徴発せずに去ったあの者たち。
彼らが背負った誇りと矜持を、今さら土足で踏みにじらせてなるものか。
ギルド長ガンジの瞳は、すでに一点を見据えていた。
偽りを暴き、裁きの場へと引きずり出す。
そのための手はずは、すでに整い始めている。
アルミルの空には、球体の小さな目が舞い上がった。
すべてを記録するために。
すべてを裁く日のために。
⸻
昼下がりの広場は、ざわめきに覆われていた。
露店を蹴散らし、机をひっくり返す音。酒瓶を片手に高笑いする声。浅葱の羽織を纏った一団が、まるで城下を占拠する兵のごとく振る舞っていた。
「おい婆ぁ! 今夜の宿代は“俺たちの名”でツケにしとけ!」
「こっちの酒は不味ぇな。代わりにそこの壷の中身を寄越せ!」
彼らが名乗る名は──”ミブロ”。
五年前、戦場で街を守ったあの名を、彼らは躊躇なく口にする。
だが、市井の人々の目は困惑に満ちていた。
彼らが覚えている”ミブロ”は、こんな狼藉者ではない。
あの時、総大将は柔らかな声音で「あなた達はここを守って」と告げた。
徴発も、略奪もなかった。
だからこそ、今の姿には誰もが言葉を失った。
その様子を、屋根の上から無機質な球体の目が見下ろしていた。
ギルドの撮影装置。
音もなく空を漂い、羽織の色に隠された狼藉を余すことなく記録する。
「……入れ食いだな」
冒険者の一人が路地裏で呟いた。
記録を担当する仲間が頷く。
「自分から証拠を差し出してくれるとはな。治安維持だなんてよく言えたもんだ」
笑いは乾いていた。
誰一人、奴らを本物と思ってはいない。だが、軽率に手を出せば住民に火の粉が飛ぶ。だからこそ、すべてを抑えているのだ。
一団は次の標的を求めて歩を進める。
行商人の荷車を止め、勝手に樽を開け、中身を味見する。
値を聞きもしない。強引に持ち去りながら「治安維持のための検査だ」とうそぶく。
それを見ていた少年が、泣きそうな声を上げた。
「返してよ! それ、父ちゃんが作った酒なんだ!」
偽ミブロのひとりが、にやりと笑って少年の頭を乱暴に撫でた。
「元気だな坊主。だったら俺たちの下で働けよ。肉壁程度にもならねぇだろうがな」
広場が凍り付く。
意気揚々と好き勝手する一団への住民達の怒りが見えるようだ。
ガンジは、冒険者たちから次々と届く映像を確認していた。
粗暴な笑い声、泣き叫ぶ子供、奪われる荷。
一つひとつが動かぬ証拠となって積み重なっていく。
「……自分から墓穴を掘ってくれるとはな」
低い声に、誰もが背筋を正した。
怒りを抑えた笑みは、嵐の前触れのようだった。
「記録は途切れさせるな。すべて押さえろ。証拠が揃えば、必ず裁ける」
ガンジの言葉は重く、確信に満ちていた。
偽物たちはまだ気づいていない。
自らの愚行が、どれほど確実に首を絞めているのかを。
「……こいつらは本物じゃねぇ。だが、羽織を着てる以上、ただの無法者でもねぇ」
ガンジは椅子の背に腕を預け、じっと映像を睨む。
五年前、この街を通り過ぎた本物の“ミブロ”。
あの時の総大将が率いていた一団を知る者ならば、誰も今の連中を信じはしない。
だが、一般人には区別がつかない。混乱を招き、街の信頼を崩すには十分だ。
「……奴らが本物じゃねぇ証拠は、全部残しておけ。絶対に言い逃れさせん」
低く呟いたその声に、古参の冒険者が頷いた。
街を守るために。
そして、あの日、外壁の外で野営してまで街を守った“名もなき武士”たちへの恩義に報いるために。
 




