第84話
辺境の街アルミルは、ようやく静けさを取り戻しつつあった。
先日の死病騒ぎでは街全体が恐怖と混乱に包まれ、冒険者ギルドもあわや壊滅かと思われたほどである。人々の顔には疲労の色が濃いものの、それでも夏の風と共に戻ってきた日常に、誰もが胸を撫でおろしていた。
そんな折に現れたのが──「ミブロ」を名乗る一団だった。
彼らは冒険者ギルドのロビーから出ると、街の往来を大股で踏みしめて進んだ。人混みを押しのける腕の動きは乱暴で、子供の肩をはね飛ばしても悪びれもしない。
纏っている羽織は浅葱色。左右に大きくダンダラ模様が染め抜かれている。街の者なら誰もが噂に聞き知っていた、かの治安維持ギルド「ミブロ」の象徴だ。
だが──その態度はあまりに横柄だった。
「なんだ、あれは……」
「ミブロって、もっとこう……」
人々のささやきは困惑と恐怖に入り混じっていた。
ただ一つ確かなのは、街の空気が一瞬にして冷え込んだということだった。
冒険者ギルド二階の窓から、その様子を眺めていたギルド長ガンジは、分厚い腕を組み、低く唸った。
その眼光は鋭く、場数を踏んだ戦士だけが持つ確信を帯びていた。
「……あれは違うな」
一様は、街にいることを許す形に落ち着かせたガンジ。
あの時、一触即発になりそうな雰囲気のロビーで、代表として前に出て両方の衝突を抑えた。
奴らのリーダー格の男は、得意げに浅葱色のダンダラ羽織りを広げ、いかにもそれっぽい意匠を見せつけ、「ある方の依頼できたんだ。邪魔するとどうなるか、俺たちも分からないなぁ」と言ってのけた。
完全な脅しの言葉に冒険者たちはざわついたが、「街の治安維持をするというなら止めはせん」とガンジは告げた。
そうして、了解を得たと勘違いしたミブロを名乗る一団は、冒険者ギルドから出て行った。
窓から外を見るガンジの背後で控えていた古参の冒険者が、たまらず声をかける。
「ガンジさん、いいんですか? どう見ても治安維持どころか、厄介事を持ち込む連中ですよ。街に入れるなんて──」
彼の言葉には、仲間としての苛立ちと、住民を守りたいという純粋な気持ちが込められていた。死病騒ぎをようやく収めたばかりの街に、これ以上の混乱は許されない。排除を望む声は、決して少なくなかった。
だが、ガンジは首を振った。
「皆まで言うな。あれが”ミブロ”なわけがあるか」
その声音には確固たる信念があった。
ガンジの脳裏に浮かんだのは、五年前の戦の記憶だった。
鉄の侵略者──名もなき異邦の軍勢が大陸を荒らし、各地の都市が焦土と化したあの日々。アルミルの街も例外ではなく、いずれ接収されることを覚悟していた。
だが、その時現れたのが「ミブロ」が率いる異種族混合の一団。
獣人も、エルフも、鬼人も、人間も、種族ごとにまとまった大隊を組んでおり、互いに距離を保ちながらも秩序を乱さない。
その統率の見事さは、軍隊以上だった。
しかし何より人々を驚かせたのは、彼らの振る舞いである。
街に入ることはなく、当時急ごしらえで更に高く作り始めていた外壁の外で野宿をした。
「総力戦」の名の下に、冒険者も住民も根こそぎ徴発されるはずだったのに、彼らはただこう求めただけだった。
――井戸の水を少し分けてほしい。
――僅かな食料を、代価を払うので譲ってほしい。
その時、街の誰もが耳を疑った。
「総大将」と呼ばれていたのは、橘花と比べれば小柄な武士姿の鬼人族。腰には二振りの刀。眼差しは鋭いが、声は驚くほどに柔らかかった。
『あなた達は、この街を守ってほしい。戦が終われば、ここは交易の拠点になれるはず。……ここから先はエルフの地が近い。豊かな特産品がある。守り抜いてくれれば、きっと未来につながる』
その言葉は、単なる軍略ではなく、市井の者を思いやる人柄に満ちていた。
誰一人として徴兵されることなく、街はそのまま残された。
当時、警戒に当たっていた冒険者が「あれは誰だ?」と思わず尋ねると、従軍していた獣人族の兵が別れ際に答えていた。
『あの方を知らないのか? 鬼人族のミブロ──二代目局長にして、この大戦の総大将だ』
常識を覆す采配。人間族すら乱れていたあの時代に、他種族の長がここまで人を思いやるなど考えられない。
それが可能であったのは、ひとえに彼の人柄、そして「ミブロ」という組織の在り方ゆえだった。
だからこそ、ガンジは確信していた。
──あんな粗野で下卑た態度をとる者たちが、あの時の「ミブロ」であるはずがない、と。
⸻
街の通りでは、偽ミブロが幅を利かせていた。
羽織の色も模様も確かに本物に似ている。だが、纏う者の背筋も、言葉も、すべてが軽薄だった。
「おい、そこの女! 酒場はどこだ!」
「飯屋は? さっさと案内しろ!」
怒鳴り声と共に、人々は脅えたように身をすくめる。
誰もがその浅葱色を知っているだけに、逆らうこともできない。
その報告に、ギルドの若い冒険者たちが立ち上がりかけたが、ガンジは手で制した。
「待て。下手に刺激すれば、街に火がつく。だが……やがて尻尾を出すさ」
そう呟く声には、静かな怒りが宿っていた。
彼にとっても、この街にとっても「ミブロ」とは、ただの伝説ではない。共に戦場を渡り抜けた仲間ではないが、あの大戦を前にして搾取せず、未来を紡いでほしいと残したミブロの総大将の言葉は、戦が終わった後の灯火となりこの街を救ったのだ。
その名を騙ることは、戦場で散った数多の命を汚すに等しかった。




